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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第7章 のたうつ霊の嘆きを聞け
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番外編 記憶喪失の彼と暮らすこと4

 翌日、早くに目が覚めた景清君を伴って散歩にでかけた。夜明け前に出たので人もあまりおらず、彼を外出に慣れさせるにはほどよい環境だろうと判断したのだ。

「……」

 が、彼はお守りのように私の腕を両手で掴み、怯えた目でキョロキョロと辺りを見回していた。痛覚が鈍いので感じるダメージは微々たるものだが、ここ最近腕に斑点状の痣ができているところを見るに、相変わらず成人男性の握力でしがみつかれているのだろう。もうどうにでもなれ。

「ひっ! 曽根崎さん、なんか突然車がいっぺんに動き出しました!」

 突然景清君に引っ張られた。違った。全身を使って体重をかけてきたせいで、私の体重が負けただけだった

「信号だな。あの三色の機械が青色を示した瞬間、車は動かないといけないルールなんだ」

「怖い……。ずっと赤じゃ駄目なんですか?」

「そうなるとこっち側の信号がずっと青になる」

「そっちも赤にしてください」

「未曾有の渋滞危機も予想される。あいにく私にそんな権限はないよ」

「……車、怖いです。みんな歩けばいいのに」

「そうだな。私に文明を破壊するほどの力があれば良かったんだが」

「曽根崎さんって、目からビームが出ないほうの人ですか?」

「まず出るほうの人の例を挙げてくれないか?」

 某漫画の主人公だった。そういや、昨日遊びに来た藤田君が朗読してたな。ついでに「オレは出るほうだから」「景清も努力次第では」とほざいていた余罪も判明したため、あとで彼にはそれなりの処罰が課されることになった。

「あ、猫……」

 そんな散歩の途中、ふいに彼からの拘束が緩んだ時があったのだ。塀の上で、一匹の三毛猫がまどろんでいた。

「かわいい。ふわふわだ」

「君、猫は覚えているのか?」

「柊ちゃんのぬいぐるみに似てるから、わかりました」

「なるほど」

「触っていいですか?」

「やめときなさい。噛まれたり引っかかれたりしてはいけない」

 それでも景清君はしばらく足を止め、興味深げに猫を見上げていた。恐ろしい外の世界にも、少しずつ自分の知っているものが増えていっているようだ。その事実は、景清君の精神を大きく安定させているように思えた。

 いい兆候である。この分だと、次回佐倉精神科医からお咎めを受けるのも私一人で済むだろう。

「お腹が空きました」

 しかし緊張の糸が緩んだ分、空腹を感じる余裕が出てきたらしい。腹部に片手を当てて途方に暮れた彼の目に、私は首を左に傾けて解決策を考えた。

「どうしようかな。外食はできそうか?」

「ガイショク?」

「外で食べることだ」

「えっと、そこにも阿蘇さんがいるんですか?」

「流石の忠助もそこまでは過重労働はしていない。違うよ。金を払えば、食事を提供してくれる場所があるんだ」

「へえー。そこ、美味しいんですか?」

「さあ? 行ってみんことにはわからんが、忠助以上の可能性もある」

 景清君は真剣に悩んでいた。彼の中で空腹と恐怖と好奇心が戦っているのだ。しかしついに勝者が決したらしい。腕を引っ張られ、また私の足はたたらを踏んだ。

「い、行って、みたいです」

 景清君の頬は紅潮し、脈は速くなっている。彼は勇気を出し、何かに向けて一歩進もうとしていた。

「僕の分の食事代は、お給料から引いておいてください」

 その一言にどこか懐かしいものを感じたせいか、自ずと口元が緩んでいたようだ。景清君もつられて、柔らかな表情をした。




 といっても、この時間から開いている店などそう多いものではない。私と彼は、二十四時間営業の牛丼チェーン店に入っていた。

「朝から牛丼……! 本当にいいんですか!? 阿蘇さんに怒られませんか!?」

「大丈夫だろ」

「で、でも阿蘇さんには黙っててくださいね。僕が朝からお外で牛丼を食べるのは、決して阿蘇さんの料理に不満があったわけじゃないので!」

「これ浮気レベルの罪悪感なのか? バレても怒られはしないから堂々としてたらいいよ」

「阿蘇さんはしょっちゅう『君が美味しく食べてくれるのが一番嬉しい』って言ってくれるんです! だから悲しませるかもしれない……!」

「いいから注文しろって」

 景清君ははしゃぎ倒していた。口数が多くなっているのでそれとなくわかる。

 ほどなくして、景清君のもとに牛丼の並が運ばれてきた。一応色々トッピングできるとは伝えたものの、「僕は初心者ですから」と断られてしまったのだけが不可解である。こんなもんに初心者も何もないだろ。個人的な判断で味噌汁だけつけてやった。

「いただきます!」

 そして景清君は、割り箸を二膳使って食べようとしていた。慌てて止めた。

「え、これ割って使うんですか!? どうりで食べにくいと……!」

「そうだよな、初見で割り箸はハードル高かったな」

「よいしょっ!」

「瓦割りの要領じゃ効率が悪いぞ。下のほうを持って左右に引いてごらん」

「割り箸が凶器みたいになりました!」

「最初はみんな凶暴なことになるもんだ。ほら、私が割ったのがあるからこれで食べなさい」

「なんで曽根崎さんはそんなに上手に割れるんですか? 才能……?」

「習慣づけられた行動及び努力の結果を才能と一括りにした瞬間、人の成長は止まる」

「つまり僕はもう二度と成長できない……」

「ごめん、ただの比喩表現だから泣きそうにしないでくれ」

 牛丼はしっかり美味しかったようだ。幸せそうな顔で無心で食べては、時折うんうんと頷いている。また、食べている間に卵焼きが追加で運ばれてきた。振り返ったら、知らない男が親指を立てていた。「あちらのお客様からです」。不気味だったが、店員が直接厨房から持ってきたのであれば毒は入っていないだろう。景清君が目を輝かせていたこともあり、受け取ることにした。

「阿蘇さんの作る卵焼きとはまた違いますね。こっちも美味しいです!」

「そりゃ良かった。どっちが好みだ?」

「え。ど、どっちも好きって言ってもトラブルになりませんか……?」

「だからなんで浮気してる気持ちになってんだよ」

 後ほど景清君は、丁寧に男にお礼を言っていた。男曰く、「とにかく美味しいものを食べさせてあげたくなった」とのこと。景清君は不思議そうな顔で感謝していたが、やはり不気味だったので彼を連れて足早に店を出た。この時間にこの店を訪れることは、二度とないだろう。




 外に出てみたことで、景清君の中で変化が起こったらしい。まず、来客があった時に布団から出てくるようになった。加えて、忠助に積極的に声をかけ、家事を手伝うようになったのである。それから二、三日もすれば、十分最低限の身の回りのことはできるようになっていた。

「いや、兄さんができなさすぎなんだよ。なんで記憶失ってるわけでもねぇのにまたティッシュを洗濯機にぶち込んでんだよ」

「景清君に洗濯物を入れておいてくれって言われたから……」

「もう世話係の立場が逆転してんじゃねぇか……」

 この分だと、事務所に連れて行っても問題ないだろう。せっせと洗濯物を干す景清君を見ながら、明日の仕事の算段を立てていたのである。

 だが、その晩。何の連絡もなく、忠助が訪問してきたのである。

「どうした? 景清君に用事なら呼んでくるが……」

「いや。俺は兄さんに会いに来たんだ」

 忠助の様子には、少々尋常ならざるものを感じた。しかし一歩後ずさろうとした身は、彼のたくましい腕によって防がれる。

「逃がさねぇ」

 その目は、いつもより鋭く尖っているように見えた。

「なに、業務連絡だ。一晩もかからねぇうちに終わるよ」

「何を……」

「一旦戻ってもらうぞ、〝怪異の掃除人〟」

 知らないはずなのに、いやに耳慣れた言葉に息を呑んだ。その隙に、忠助は私の前にある紙を突きつけた。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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