21 謎の需要
「当時の僕は、ツクヨミ財団の跡取りとして事業を引き継ぎ間もない頃だった。つまり、ある意味では人手が足りなかったんだ。だから片田〝君〟から椎名君を引き受けたいと持ちかけられた時には、正直ホッとしたよ」
懐かしげにそう言って、田中さんは口元を緩めた。
「彼は面倒見が良く、椎名君もあれで素直な性格だからね。とはいえ、椎名君は一事が万事あの調子だったから、片田君も苦労しているようだったが。それでも二人は、健全な師弟関係を築けているように見えた」
気持ちがその時に戻っているのか、田中さんの口調は穏やかである。けれど、また落ち込んだものに変わった。
「そう思えば、椎名君にとっては恩人とも呼べる片田博士が突然行方不明になったんだ。どれほど平然としているように見えても、心穏やかでいられるほうがおかしい。椎名君には、強引にでもメンタルケアを施すべきだったんだな」
「いやにセンチメンタルですね」
呆れたように返したのは曽根崎さんである。いつのまにやら、彼も日本酒を煽っていた。
「心配せずとも、アレにそんな上等な動機はありませんよ。〝自分が憧れる善人のような行動を取れる機会を与えられた〟。椎名は、単に人真似の証明をしたかったんです。ヤツにあるのはそれだけですよ」
「だからこそ純粋なる利他的動機とも言える。そうじゃないかい?」
「人真似をしたいというのは自己中心的では?」
けれど田中さんのほうは、これ以上深掘りする気はないらしい。今となっては無意味だと、重々承知しているからだろう。田中さんはお猪口を置いて肩に手を置くと、ぐるりと首を回した。
「さて、この事態をどう見ようかね。椎名君はもう我々の仲間とはいえないけど、話を聞く限り絶対的な敵対者でもないようだ。そもそも、片田君を救出するという点では一致している。そこに目的を絞るなら、別の形での協力も期待できるかもしれない」
「おや、いつにも増して少女の夢のように非現実的だ。椎名には種まき人の監視がありますよ。警戒すべきかと」
「もちろん、椎名君から接触してきた場合は安易な判断を下してはならない。あえて排除に動くべきではないという話をしているんだ」
排除という単語に、少し身震いした。ツクヨミ財団は、正義という旗のもとに人を脅威から守る一面がある。だったら、多数の人を脅かす存在であれば〝排除〟に動くことも当然起こりうるだろう。
「――ところで、椎名君の言った種まき人の〝巨大な目的〟については事実と捉えていいのかね?」
僕の怯えを悟ったのか、田中さんは別の話題に変えた。曽根崎さんは田中さんからの酌を片手で断り、首を縦に振る。
「人類の滅亡についてですね? ええ、事実とみていいでしょう。椎名に嘘をつく理由はありません。まあ、種まき人がそのまま真実を伝えているとも思いませんが」
「婉曲的な表現だと?」
「最終的に人類は絶滅する、ぐらいのニュアンスで捉えています。どういう方法を用い、どれぐらいの期間を見積もって滅ぼすつもりなのかは、見当もついていませんし」
「……今のところ、〝鍵〟はこちらの手にあるようだけどね」
田中さんの視線がこちらに移り、僕は小さく縮こまった。きっと僕の解読者としての能力のことを言っているのだろう。
「曽根崎君から粗方聞いているよ。体調のほうは大丈夫なのかい?」
「は、はい」
「そうか。まずは一安心だが、君にとっては厄介なことになったもんだね。なんせ人類滅亡のために種まき人が躍起になって欲しがっていた力が、今や君の脳の中にあるんだ。ガニメデ君は、どんな国の指導者にも劣らぬほどの重要人物になってしまったよ」
「やはりそのレベルですか」
「もう今日から金庫で寝泊まりしてくれ」
「……僕は別に、それでもいいですよ」
僕の言葉に曽根崎さんが不服そうにため息をついたけど、心からの返答だった。覚悟を決めたからには、種まき人の件が解決するまで自分に自由はないと思っていた。
でも田中さんも、渋い顔で腕組みをしている。
「いやァー、ご協力非常にありがたいんだけどね、まったくどうしたもんかな。半ば本気で言ってはみたが、君を金庫に閉じ込めようもんなら『さあ彼は重要な情報を握っているぞ』と表明しているも同義だろう? 加えて、君は椎名君に君しか知り得ない情報を渡していたんだったね?」
「はい」
「だったら、現状種まき人にもこちらと同じだけの情報があることになる。それどころか、椎名君は長くここで研究もしていたんだ。財団の持つ情報もすっぱ抜かれていると見ていいだろう。つまり……種まき人は、わざわざ僕らに迎撃される危険を犯してまで、君をさらうような真似はしないんじゃないかな?」
「そうでしょうか」
「ああ。椎名君が種まき人側についたこと、そんな彼に君が情報を渡したことが人類にとって吉と出るか凶と出るかはわからないが、少なくとも当面の君には良かったのかもしれない」
「……すいません。椎名さん伝えた時点では、まさか種まき人が人類滅亡を企てているとは知らなくて」
「いや、責めてるんじゃない。ただ人類が滅亡する瞬間、ちらっと僕の脳裏に君の顔がよぎるかもしれないだけで」
「それ責めてません?」
冗談だったらしい。田中さんは僕をとりなすように快活に笑うと、またお酒を飲んだ。日本酒の甘い匂いが漂う。
それから僕は、〝解読者〟としての能力は必要な時まで決して使わないようにと田中さんに釘を刺された。彼も、僕がこの力を使う時はとても体に負担がかかると知っていたらしい。
「……ところで、君はもうすっかり記憶を取り戻してしまったんだね」
そして、宴もたけなわになった頃。しみじみと田中が言った。
「はい、お陰様で。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんてとんでもない。君は大変いい子だったよ」
「いえ、わからないことだらけでしたし、怯えてばかりでした。本当にみっともないところばかりお見せして……」
「みっともないもんか! むしろ――!」
情緒たっぷりに間をおいて、田中さんは持っていたお猪口を座卓に叩きつけた。
「なんで――なんでもう少し待っててくれなかったんだい!!」
「……え?」
思いもよらぬ発言にぽかんしていると、田中さんは手振りを交えて嘆き始めた。
「もっとゲームやおもちゃを買ってあげたかった! 〝たなかのおじちゃん〟って慕われたかった! お散歩とかして知らない花の名前とか教えてあげたかった!!」
「え? な、なんて……?」
「困ったもんだ。孫を甘やかす典型的なジイさんですね。先も言いましたが、うちの教育に差し支えるので引っ込んでてくれませんか」
「何おう!? 君だってねぇ、愛情不足のこどもが大人になってからどれほど苦労するか知らないだろう!」
「アホみたいに物を買い与えるのが愛情ではありませんよ」
「んぐぬぬ! 一緒に遊ぶから大丈夫だい!」
「……」
そういや、曽根崎さんの事務所やマンションには、入れ代わり立ち代わり色々な人が訪れていた。僕自身は「迷惑かけて申し訳ないなぁ」と思っていたけど、田中さんの挙動を見る限り謎の需要が生まれていたようだ。記憶喪失になった人間を何だと思っていやがる。





