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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第7章 のたうつ霊の嘆きを聞け
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19 覚醒

 椎名の呪文から現れた影に半身を呑まれた曽根崎は、景清を抱いたまま立ち止まっていた。しかし、彼としては半ば目的を果たしたようなものだったのである。

 曽根崎が手にしていたのは、ヘリコプターから落としていた拡声器。これを拾うために、彼はここまで走ってきたのだ。

 景清の口元が覆われないよう上着を使って空気を確保し、身を捩って椎名――らしき何かを見据える。ここに来るまでに、曽根崎は椎名の体の自由を奪う呪文を頭の中で練っていた。

 この呪文はコントロールが難しく、聞いた者全てに効力が及ぶ。つまり景清はもちろん、協力者である財団員にまで影響が及んでしまうのだ。そしてその影響力の分、反動が曽根崎の精神を襲う。時として、か細い理性など一瞬で吹き飛んでしまうほどの。

 が、背に腹は変えられないだろう。曽根崎は拡声器を構え、大きく肺を膨らませた。

 しかし次の瞬間、曽根崎の口に何かが突っ込まれたのである。舌が動かない。曽根崎の歯は、覚醒した景清の腕に食い込んでいた。

「何やろうとしてんだ……!」

 さっきまで人形のようだった青年は、今やギラギラとした目で曽根崎を睨んでいる。答えようとした曽根崎だが、腕を噛まされていたのでは発言できない。仕方なく首を横に振った。

 同時に気がつく。――景清の声色が、以前自分がよく聞いていた彼のものに戻っていると。

「僕は大丈夫です」曽根崎の胸中を察したのか、景清が言う。

「全部覚えています。元々の記憶も、〝解読者〟としての記憶も、アンタに記憶を消されたあとのことも。全部思い出して、僕の中にあります」

「……」

「その上で、大丈夫です。わかりましたか?」

 他にどうすることもできず、曽根崎は頷く。それを確認した景清は、ようやく曽根崎の口から自分の腕を外した。頬まで上ってきていた黒い粘液をピッと親指で拭い、景清は曽根崎から拡声器を奪い取る。それから、椎名に向き直った。

「椎名さん、聞こえますか!? 僕です! 景清です!」

 黒の侵略は止まらない。こうしている間にも、曽根崎と景清の体を這い登ってくる。

「僕があなたに見せたイメージを覚えてますね!? 片田博士がいた青い世界です!」

「片田博士……!? 景清君、それは」

「曽根崎さんには後で説明します! 椎名さん、あの時に見せたイメージについて、まだお伝えしたいことがあります!」

 粘液が上ってくるのが止まった。景清は、息をするのも忘れたように捲したてた。

「片田博士がいるのは、この世界じゃない! 別の世界です! ここにある黒い石と台座は、別世界とこの世界を結ぶ窓のようなものなんです!」

「……!」

「だけど、これと同じような場所が、他にもあると思います! そしてそれは、こんな〝嵌め込みの窓〟じゃなくて、行き来ができる〝ドア〟かもしれない!」

 椎名のような形をした影が、どろりと動く。彼の体を滑り落ちる漆黒は月の光を反射し、汚らしい虹色を放っていた。

「でも、伝えられるのはここまでです。これ以上の情報は、僕も知りません。それに、今椎名さんが属する種まき人は、〝巨大な目的〟を成し遂げようとしてるんですよね? その巨大な目的に、この別世界の存在が関係している。そうでしょう?」

「……」

「だから種まき人に同調できない僕は、これ以上あなたに協力できない。でも、片田博士を探すことも諦めるつもりはないんです」

「……?」

 椎名の顎が微かに持ち上がる。彼の顔が見えたなら、不思議そうに眉の間を狭めていたことだろう。

「僕は、ツクヨミ財団に属した上で別世界のドアを探します。そこで片田博士を見つけたら、必ず連れて帰ります」

「……」

「椎名さんは、種まき人の中で博士を探してください。それぞれ持っている情報も情報収集手段も違うんです。二手に分かれたほうが効率的ですよね?」

「……一応聞くけど、君はそれでいいのか?」

 椎名が口を開いた。泥が混ざったごぼごぼとした声で、非常に聞き取りづらいものだった。

「何度も言うけど、一番早く解決する方法は俺と一緒に来ることだ。全て終わらせて曽根崎に記憶を消してもらえば、君はまた何も知らない幸せな日々を謳歌できる。けれど、景清君の言った方法だとまだまだずっと頑張らなきゃいけないよ。君は……みすみす無知の幸福を手放すのか?」

「はい」

 一呼吸置いて、景清は背筋を伸ばす。

「それに僕は、無知の幸福の中で生きるより、引きずってでも全部抱えてやろうと思ったんです。力が足りないなら頭を使います。持ってるものを使ってなんとかします。僕の全てを武器にするために、全部引っ掴んだまま前に進もうと決めたんです」

「……大変だし、つらいことだよ」

「それでも自分で決めました。後悔しても、納得できるなら僕は大丈夫です」

 今や曽根崎と景清を取り巻いていた影は、潮が引くように消え去っていた。体に自由が戻っていることを自らの手を開け閉めして確かめた曽根崎は、鷹揚に腕組みをした。

「――どうだ、見たか椎名。これが竹田景清という人間の強さだぞ」

「その景清君の記憶を消してたのは曽根崎じゃないか?」

「こういう彼を守るための必要措置だ」

「……ほんと君たち、一見すると相性が悪そうなのになぁ」

 調子はいつもの椎名ではあったが、声には依然濁った音が混在している。本人もわかっているのだろう。きまり悪そうに咳払いをして続けた。

「……ああ、フラれちゃったな」

 そうは言いつつ、その声色にはどこかさっぱりしたものがあった。椎名の形をした泥の上部が傾く。まるで人が星を見上げるかのように。

「たくさん教えてくれてありがとうね、景清君。お礼に、一つ重要なことを教えてあげる」

「重要なこと?」

「うん。種まき人の巨大な目的についてだ」

 曽根崎と景清の肌にピリッと緊張が走る。しかしなおもゆったりと、椎名は言った。


「いいか? 種まき人の巨大な目的とは、〝人類の滅亡〟だ」


 椎名の形をしたものの足元に、夜よりも深い色をした影が集まっていく。その影が重なるにつれ、それは少しずつ異形へと変わっていった。

「椎名さん!」

 景清の呼びかけに、影が歪む。月明かりのもたらす光沢と陰影のせいか、景清はそれが笑ったかのように見えた。

「じゃあね。田中さんには謝っといてくれると嬉しいな」

 そう言い残すと、影はペシャンと水が落ちるようになくなった。急いで駆けつけた曽根崎と景清だったが、既にそこには何の跡形もなかった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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