16 精神世界にて
慎司――とは、僕が以前とある事情から十年前の世界に飛んだ時に出会った、二十一歳の曽根崎慎司である。じゃあ僕の知る三十一歳の曽根崎さんと同一人物かと言われると、わからない。慎司が言うには、この世界には面と呼ばれる無数の観測地点があり、その面ごとに観測者がいると仮定すればこれら観測者がまったく同じ面をたどるには天文学的な確率の奇跡が生じないといけなくて――
いや、ますますわかんなくなっちゃったな。とにかく、慎司は過去の世界で別れたっきり、二度と会うことが叶わないと思っていた友人である。
「今お前、何を考えた? 何をしようとしてた? いよいよもって見下げ果てたもんだぜ。ああ?」
だが当の慎司はというと、感動の再会なんてどこ吹く風で僕を罵る姿勢らしい。
「人ってのは考え続けることに意義があるっつったろうが。よもや俺のありがたきご宣託忘れたとか? あ? 二足歩行してやっとの思いで会得した巨大な脳を無駄にしやがって。お前みたいな現生人類が生まれてくるって知ったら、ネアンデルタール人はどんな顔するんだろうな」
「なんでネアンデルタール人?」
「デニソワ人でもいいけど」
「どこの誰だよ」
お変わりないようで何よりである。すげぇムカつくけど。
今や僕を取り巻く精神世界は、すっかり明瞭化していた。ここは……慎司の部屋のリビングだろうか? 部屋の主である慎司は椅子を引き寄せ座ると、大仰に足を組んだ。改めて観察した彼は、どこからどう見ても僕の記憶にある慎司そのままである。
「お前……本当に僕が知ってる慎司なの?」
「そうだろうな」
「僕が作り出したイメージじゃなくて? もし本物ならどうやってここに来たの? ここって僕の精神世界だよね。生きてる時間も面も違うのにどうやって……」
「お前、俺の口が四つもあるように見える?」
「哲学的な質問?」
「違う。いっぺんに質問すんなって意味だ」
ため息が聞こえる。億劫そうに慎司は言った。
「じゃあ順序立てて説明してやるよ。よく聞け、類人猿」
「僕、猿にまで退化したのか」
「まず今お前がいるのは、量子的であり、概念的であり、形而上的であり、意識でも無意識でもないものとして定義される場所だ」
「……えーと?」
「生物に備わる無意識的領域を第一意識、通常人が自覚する領域を第二意識とするなら、ここは第三意識と呼べるだろう。スピリチュアルだの超能力だの霊感だの、そういった部分にあたる領域だ」
「何もわからないんだけど」
「だろうな」
元より慎司も、僕が理解することに期待していないようだ。テーブルに片肘をつき、いたって冷たい目である。個人的な意見としては、類人猿に説明するならもっとわかりやすく噛み砕くべきだと思う。
かといって言われっぱなしも腹立たしいのだ。僕は必死で頭を回転させて、口を開いた。
「その……第三意識っていうの? 実は僕、ここに来る体験は初めてじゃなくてさ」
「おう」
「僕はここを固有の精神世界だと捉えてたんだけど、その認識は合ってる?」
「合ってるとも間違ってるとも言える。そう定義するなら、俺の精神世界ともいえるからだ」
「そこだよ。なんで僕の第三意識と慎司の第三意識が一緒になってるんだ? 僕らは違う時間と面の中に生きてたのに」
「だが、互いを知ってる。だから接続された」
「接続?」
「第三意識は時間や面から切り離されている。だから条件さえ合致すれば、こういうこともあり得るんだ」
――やばい、全然わからない。何言ってるんだ、こいつ。
けれどその意味不明さこそが、何よりも慎司という存在の確実性を証明しているようにも思えた。もし彼が僕が作り出した幻想だったとしたら、絶対にこんなことは言わせられないからだ。
……そうか、本物なんだ。今僕の前で遠慮なく足を組んでいるのは、紛うことなきあの本物の慎司なのである。
「……」
「なんだ、その変な顔」
「なんだろうね」
だけど胸に迫るものがあったのに、僕はチラとも泣けなかった。もしかすると二つの意識が重なっている分、相違が発生した場合に概念として反映されないのかもしれない。
つまり、互いに見たことがないものは見られないってことだ。僕、慎司の前で泣いたことないもんな。
逆を言うと、慎司もこの世界では泣けないのだろう。僕は慎司の泣き顔はおろか、曽根崎さんの泣き顔も見たことがないからだ。
「じゃあ、今の慎司は本当にあの時の慎司で、今の曽根崎さんじゃないのか」
「そうだと言ってるだろ。もっとも、俺は〝今の曽根崎さん〟も〝今のお前〟がどうなってるかも知らねぇが」
「でも、また会えた。さっき慎司は条件が合致すればって言ってたけど、それに心当たりはある?」
「……ある」
ふと慎司の声にノイズが混ざる。……声だけじゃない。顔も、モザイクがかかったみたいに判然としなくなった。
もしかして今の慎司は、僕が見たことのない顔をしているのだろうか。
「だが、それを詳しく言うつもりはない。今のお前がどの時代のお前かわからねぇからな。変にパラドックスを引き起こしても困るし」
「そっか。じゃあ僕も事情は言わないほうがいい?」
「そうだな。……いや」
慎司の顔にかかっていたモヤが消える。彼は、明らかに怒った顔をしていた。
「ごまかすんじゃねぇよ。お前今、考えるのやめて死のうとしただろ」
また戻ってきた話に、僕はウッと身を引いた。





