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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第7章 のたうつ霊の嘆きを聞け
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15 普遍的なルール

 ヘリコプターから降りた曽根崎は、乱れた髪を整えようともせずまっすぐに立っていた。なおこの着陸の際、片田博士の幽霊がいる丘はめちゃくちゃにされている。もっとも、周囲の石もバラバラになったために博士の姿は消えていたのだが。

 しかし、椎名もそれを咎めることができないでいたのだ。無抵抗の景清の腕を掴んで自分に引き寄せ、椎名は曽根崎の鋭い目を見据えた。

「どうやってここがわかった? 景清君のスマートフォンは、壊して捨てたはずだけど」

「発信機が一つだけだと思うなよ?」

「……なんという周到性だ。アンクレットにつけてたのか? それとも服?」

「手品のタネを明かすマジシャンがいるか。さあ椎名、景清君をこちらに引き渡せ」

 曽根崎の背後には、ツクヨミ財団の者と思われる戦闘服を纏った数人が銃を構えている。椎名は唇を引き結んで曽根崎を睨んでいたが、やがて小さく首を横に振った。

「まだ、彼は返せない」

 焦りの滲んだ声だった。

「文字の解読には、景清君の力が必要だ。師匠を助けられるぐらいの情報が集まれば、必ず彼は解放すると約束する。曽根崎、解読者としての任を俺が引き受けるためにも、まだ景清君は俺に預けておいてくれないか?」

「最低限の情報収集はできる時間は与えた。貴様も言語学者なら、これ以降は自分で導き出してみせろ」

「時間は与えた……? 君はわざと俺を泳がしていたのか?」

 椎名の問いに、曽根崎は唇をひん曲げて笑ってみせる。感情表現が壊れた男による渾身の嫌味に、椎名は顔をしかめた。

「……相変わらずとんでもないヤツだな。俺が言うのもなんだが、何を企んでいるんだ?」

「言う必要を感じない。それに、企みごとはあるのはお互い様だろう」

「俺は師匠を助けたいだけだよ。曽根崎とは違って、真っ当な正義感から行動してる」

「正義? 組織を裏切り、誘拐まで企てたテロリストが?」

 曽根崎は、いよいよ大声で笑った。

「バカバカしい! 欠落者が普遍的善性という絶対的矛盾を信奉し、人真似に踊っている。貴様とて気づいているんじゃないか?」

「……」

「酷く滑稽で哀れだが、否定するつもりもないよ。憧れるのは勝手だ。熱意を注ぐのも好きにすればいい。だが、その目的のために彼に手を出すと言うなら話は別だ」

 曽根崎の視線が一気に冷える。ポケットに手を突っ込んだまま、彼は悠然と椎名の前まで歩いてきた。

 ぴたりと止まる。曽根崎は、わずかに自分より背の低い椎名をこれでもかと見下ろした。

「そこの彼は、私の一線だ。踏み越えるのであれば、私はありとあらゆる手段を用いて貴様の細胞一片まで潰さねばならない」

「……どうしてわかってくれない? 少し待ってくれるだけで、全てが上手くいくんだ。俺が解読者の任を負えば、師匠を助けられる。景清君も種まき人に狙われることがなくなる。曽根崎が彼の記憶を消したのだって、平和な生活を送ってもらいたいからだろ?」

「……だからその仮定も、お前の都合のいい妄想でしかねぇんだよ」

 曽根崎は低い小声で悪態をついた。曽根崎の視線は、椎名の足元で座り込みうつむく景清に向けられている。

「お前の思い込む“普遍”は、お前自身が定義した“主観”でしかない。私が私のルールで動く以上、永遠に貴様が想像した普遍とは交わらないんだ。わかるか?」

 曽根崎は、何も言わない椎名に顔を近づけた。

「――わかんねぇだろうな。だからこそ、お前は外にルールを求めたんだ」

 核心を突かれた椎名は、動揺したほんの一瞬景清を拘束する手を緩めた。その隙を逃さず、曽根崎の長い足が椎名の腹部を蹴り飛ばす。鍛え上げられた椎名の体は器用に衝撃を受け止め、微動だにしなかった。が、確かに隙ができたのである。

 曽根崎は景清を抱き上げ、全速力で走り出した。椎名が叫ぶ。無意識かそうでないのかは誰にもわからなかったが、その音が進むにつれ、辺りに濃く生臭い血の臭いが漂い始めた。

「全員逃げろ! 絶対にこちらを見るな!」

 銃を構えた部隊に曽根崎が声を荒げる。既に彼の足には、闇が纏わりつき始めていた。

「クソッ……ワケのわかんねぇ基準で人間やめやがって!」

 次第に曽根崎の動きが鈍くなる。それどころか、椎名のいるほうへズルズルと引きずられ始めた。抵抗しようとした曽根崎だったが、闇は彼の足首から先を完全に絡め取っていく。

 闇から小さな手が無数に伸びている。曽根崎の抱く景清に向かって伸ばされている。まるで、闇に呼び込もうとするかのように。

「……!」

 もう身動きの取れない曽根崎は、せめて景清だけは守ろうと彼を庇った。




 ――そういえば、僕がこの世界で自意識を保てることは、一度や二度の話ではなかったのだ。忌まわしき昆虫が見せる夢。生ける炎を信仰する教祖との対峙。ああ、深い穴に落ちて黒い男と対話した時もそうだっけ。

 僕は、自分の精神世界にいた。脳で起こる化学反応の隙間に生じた世界。この場所に存在する感覚を説明することは、少し難しい。無理矢理表現するなら……心で全ての在り方を捉えているような? 心って何?

「……」

 今の僕の脳は、大量の情報たちであふれかえっていた。もしここにいる僕があの場所に戻ってしまえば、瞬く間に飲み込まれてしまうのだろう。曽根崎さんが記憶をまるごと封じてくれたのは、僕という自我を守るにあたって正しい対処だったのかもしれない。

 だけど、このままではまずい。自意識を失った僕の脳は、大量の情報を処理していくにつれ、得体の知れない何かを生じさせ始めていたのだ。対処しなければ、まもなく僕はあれに脳を乗っ取られるだろう。

(……どうしよう)

 なのに僕は、悠長に迷っていたのである。意識が世界に溶けて、境界が曖昧になっていく。それは解放感を伴う心地よさだった。僕という個人を手放すことは、全ての責任を投げ捨て、他の誰かに任せてしまうことに他ならない。僕はもう、苦しむことも、悩むことも、後悔することもなくなるのだ。

 何も考えなくていい。どこにも存在しなくていい。肉体から剥がれた意識は、いずれ霧散して消えてしまうのだから。

 だけど、僕が無と同化しようとしたその時である。


「――それはつまり、お前の思考を放棄するってことか」


 ふと聞こえた声に、顔を上げた。一気に世界と自分の境界が明確になる。それどころか、組み上がるように辺りの景色が変化し始めた。

 だけど何より僕の意識を捉えたのは、目の前に現れた男の姿。記憶の中にしかいない彼が――あの日絶対的な決別をしたはずの友人が、僕という意識の前に存在していたのである。


「……慎司?」


 僕の問いかけに、ただでさえ冷ややかな目が小馬鹿にしたように細くなる。そんな表情さえ胸が詰まるほどに懐かしくて、僕はそれ以上言葉を継げないでいた。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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