6 殺意の証明
「順を追って解明していきましょう。コトの発端は、稲岡様が半年前に会社を辞めたことですね?」
「はい。稲岡は、千代川社長の執拗で陰湿なパワハラによって酷い鬱状態に陥っていました」
曽根崎さんの言葉を受けて答えた栗原さんが、視線で稲岡さんにも同意を求める。うつむく稲岡さんは、「診断書も貰いました……」と蚊の鳴くような声で言った。
「そして稲岡様は、住んでいたアパートも引き払って地方のご実家に帰った。けれど、日も経たずに首を吊って自殺した……ということになっています。そのような噂を元職場に流した理由を伺ってもよろしいですか?」
「社長達への復讐のためです」
今度ははっきりと、稲岡さんは断言した。
「いじめていた社員が自殺したと知れば、普通罪悪感の一つも抱くでしょう。おれは、社長や副社長に反省してもらいたかったんです。それに、あの人達に苦しめられていたのはおれだけじゃない。今働いてる人にとっても役に立てるかもって……。だから、他の社員の人にも協力してもらったんです」
「しかし、思うような成果は得られなかった」
「はい」
「ふざけるな、稲岡! お前、そんな浅ましい魂胆で俺を騙して……!」
「ちょっと黙っててください。今は稲岡さんが話をしているんです」
吠えようとする茂柳さんを、曽根崎さんは容赦なく制止した。不満が収まらない茂柳さんは更に何か言おうとしたけど、曽根崎さんは無視して大きな声で稲岡さんに尋ねる。
「そして、求めた結果にならなかった稲岡様は次の手を考えた。そうですね?」
「……仰るとおりです。おれは、栗原さん達と相談して幽霊騒ぎを起こそうとしました。事前に会社に忍び込み、ずっと社内に隠れ住んでいたんです」
「社内に隠れ住んでいただと!? お前、いつからいたんだ!」
「……五日前です」
茂柳さんの問いに、稲岡さんは顔を上げずに答えた。そういえば、監視カメラで遡った情報も三日前までだったっけ。何も映ってないはずだ。稲岡さんはそれ以上前から潜んでいたのだから。
「幸いトイレは階を移動しなくてもいい場所にあったし、食事などは栗原さんが用意してくれました。隠れる場所も……このオフィスにはたくさんありましたし」
「そ、そんな前から社員共は俺を殺そうとしていたのか! オフィスに潜んで、幽霊騒ぎに乗じて俺と社長を殺そうと……!」
「違――」
「それは違います、茂柳さん」
断固とした声に、僕は最初曽根崎さんが割り込んだのかと思った。違う。声を上げたのは栗原さんだったのだ。
「副社長はともかく、社長の身に起きたことは本当に自殺なのです。自分と稲岡君がやりたかったことは、あくまであなた方に反省を促すための幽霊騒ぎ。決して死に追いやりたかったのではありません」
「何を……!」
「加えて申し上げますと、社員共というのも不適切なのです。確かに社員は稲岡君が生きているのを知っていましたが、社内にいると知っていたのは自分のみだったのですから」
「だが録音じゃ、三井も稲岡の声を聞いたと言っていた!」
「三井君にさせたのは、稲岡君の声を聞いたと嘘をついてもらうだけですよ。二人も聞いたとなれば信憑性が増すでしょう? ですが彼ですら、本当に稲岡君が潜んでいたとは知りませんでした。
……だけどまさか、本当に社長が稲岡君の死を悔いていたとは思いもよらず。社長は、稲岡君が現れてしまったことでついに良心の呵責に耐えきれなくなりました。彼を幽霊を思い込んだまま、衝動的に窓を開けて飛び降りたのです」
「つまり栗原様は、遺書は千代川様の本心からの言葉だったと言いたいのですね」
もともと鋭い目をもっと鋭くして、曽根崎さんが尋ねる。予想外の質問に栗原さんは少し顎を引いて、「はい」と言った。
「だってあの状況ですよ? そうとしか考えられないじゃないですか。それとも何か? 曽根崎さんは、他の可能性があるとお思いなのですか?」
「思うも何も、遺書は偽装されたものですからね」
その場にいた全員がギョッとした。曽根崎さんの言葉だけじゃない、彼の手にはビニール袋に入った赤茶色の紙が掲げられていたのだ。紙に付着した赤茶色は、言うまでもなく飛び散った血液だった。
「これは被害者が握りしめていた遺書です。……目を凝らして御覧ください。紙の四隅ですが、少しだけ表面が毛羽立っているのがわかりますか」
「……よくわかりませんが」
「鑑定の結果、間違いないとわかっています。では、このような状態になったのはなぜか? その答えはこちらの窓にあります」
曽根崎さんはぐるりと体を回して、一つの窓を示した。それは、僕が曽根崎さんに違和感があると伝えた窓だった。
「これもまた、よくよく見なければわかりにくいかもしれません。窓の中央付近に、僅かに外側の汚れが取れている部分があります。小さなものですが、四箇所にあるのがおわかりでしょうか」
「……」
「そしてこの四箇所に囲まれた部分の大きさは、ちょうどA4用紙と一致します。また、現場からテープの切れ端も発見されているとなれば――。栗原様。私の言いたいことがおわかりになりますか?」
栗原さんは難しい顔をしている。うつむいたままの稲岡さんは、頭を抱えて震えている。
「――そう。遺書は、この窓の外側に貼られていたのです」
答えない栗原さんの前に、曽根崎さんは真実を突きつける。
「では、これに気づいた者が紙を剥がそうと思えばどんな行動を取らねばならないか。当然、窓を開けて身を乗り出すでしょう。……さて、ここでもう一つ質問です。もしも身を乗り出した瞬間、死んだはずの者が目の前に現れたらどうなるか?」
茂柳さんは、今にも目玉が転げ落ちそうなほど目を見開いている。その目を見下したように一瞥し、曽根崎さんは残りの言葉を吐いた。
「非常に高い確率で動揺するでしょうね。運が悪ければ勝手に窓の外に転げ落ちるでしょうし、そうでなくてもそんな状態で足を掬われればひとたまりもありません。
――あったのですよ、殺意は。隠された罠が悪ふざけで済ませられる範疇にない以上、千代川様は紛れもなく悪意をもって殺された被害者となのです」
稲岡さんから絶望的な呻き声が漏れる。栗原さんは、苦虫を噛み潰したような顔で曽根崎さんを見つめていた。





