2 幽霊という因果
電波が飛び交い、様々な科学的発見が重ねられてきた現代においても怪異は存在する。そう思われている。
けれど、この世界で起こる事件には全て理屈がつけられるのだ。もっと具体的に言うなら“人が起こす”事件である以上必ず裏にカラクリが存在し、また人によって解決できる。
そんなニッチな需要にお応えするのが、怪異の掃除人こと曽根崎さんだった。
「ほ、本当に守ってくれるんでしょうね!」
で、今僕らの前でガタガタ震えているのが、今回の依頼人にしてハートフルウォーミングコーポレーションの現社長、茂柳さんである。前社長の死により急遽副社長から繰り上げられた彼は、今にも夜逃げしそうなぐらい怯えていた。
「だっ、大体なんで社長の尻拭いを私がしなければならないんですか! 所詮幽霊騒ぎなんて、社員の妄想でしかないってのに……!」
「しかしそれを単なる妄想と片付けられなかったからこそ、私を呼んだ。そうじゃありませんか?」
唾を撒き散らしながら喚く茂柳さんに、曽根崎さんは冷静に返す。
「警察による捜査の結果、前社長である千代川様は五階の窓から自ら飛び降りた可能性が高い――つまり自殺であると判断されました。彼は生前、パワハラを超えた横暴を社員に対し働いていたようですね。中には自殺した者もいらっしゃったとかで……」
「だから良心の呵責に耐えきれず死んだっていうんですか!? はっ、あの社長がそんなタマなものですか! あの日だって『幽霊のしっぽを掴んで引きずり出してやる!』と言って張り込みに行ったんですよ!?」
「しかし、遺体が握った紙には、自殺した社員に詫びる言葉が書かれてありました」
「そんなもの、でっち上げです! そうだ! その夜に働いていた社員が適当に社長を脅して握らせて……!」
「はい、警察もそういった前提の調査をしています。けれど、当時ビル内で働いていた社員二名は六階のオフィスから出ていません。それを、各入り口に取り付けられた監視カメラが証明しています。かつ、千代川様が亡くなられた時間、彼らは顧客先の障害対応で通話していたのです」
「うう……」
「何より、気になるのが――」
曽根崎さんの睨むような目が、茂柳さんを見据える。
「千代川様が最期に残した、『稲岡』という言葉」
「……!」
その名前に、茂柳さんの顔が真っ青になった。相応の歳を感じさせる皺は恐怖のためますます深く刻まれ、見開かれた目は充血している。茂柳さんのガードを崩したと見た曽根崎さんは、ぐっと上体を前に乗り出した。
「稲岡とは、一ヶ月前に自殺した社員の名ですね? 彼の名を叫ぶ千代川様の声が、残業をしていた社員の通話記録に残っています」
「だが……! 幽霊など、非科学的なもので……!」
「ところが現にあなたは今、辞表を提出して社長の任を放棄なさろうとしている」
「……ッ!」
「信じてらっしゃるんでしょう? 稲岡様に似た嘆き声を聞いたという、社員二名の証言を」
相手に反論する余裕も考える時間も与えず、曽根崎さんは畳みかける。
「ここまでの事実をまとめてみましょう。当日の晩、あのビルに入ってきたのは千代川様と社員二名のみ。六階にいた社員は階を移動しておらず、千代川様も五階から出た形跡はない。しかも千代川様は五階の窓から落ちる直前、自殺した社員である稲岡様の名を呼んだ。稲岡様へのパワハラを認める謝罪文を握りしめて。そして、残業をしていた社員二名は稲岡様に似た声を聞いた」
「録音には残っていない! でたらめだ!」
「その可能性はあるでしょう。けれど、かような状況ではこんな噂が広まるのも然りと言えます。傲慢を絵に描いたような社長が、怨念極まる稲岡様の霊を見たことで怖気づき、全ての非を認めて自ら命を絶った、と」
「あ……あなたもそう考えているのですか!? 稲岡の幽霊が祟るなど……!」
「とんでもない。理屈にもならない馬鹿げた話です」
曽根崎さんはため息をつき、首を横に振った。
「一見理解しがたい現象を、曖昧な定義と因果でもって無理矢理証明とする。これほどロクでもないことはありませんよ。事実に導かれた結果ではなく、〝納得〟という主観的視点でもって自己満足的な答えを優先させているのです。思考という人の尊厳の放棄。パスカルの言う考える葦にもならない」
「ならば、この事件は……」
「れっきとした殺人事件でしょう」
その発言に、僕も茂柳さんも驚いて曽根崎さんを見た。けれど、彼は僕らの視線に臆することなく、綺麗に背筋を伸ばしている。
「断言しましょう。幽霊でも何でもない、法で裁ける何者かの悪意が千代川様の命を奪ったのです。もっとも、まだ不透明な点は残っていますが」
「殺人事件……やはり! やはりか! アイツらが俺達を逆恨みしたんだ! 大体仕事もできないくせに、一人前の待遇を要求するなど……!」
「つきましては、茂柳様。お願いがあるのですが」
いきなり息巻き始めた茂柳さんの言葉を遮るようにして、曽根崎さんは人差し指を突きつける。
「一つ、社内で吹聴してほしいのです。今晩二時、幽霊を捕まえるために一人で五階オフィスに調査に行くと」
「わ、私がですか!? なんでそんなことを……!」
「いいから。せっかく社長になれたのです。厄介者を排除した上でその場所に座り続けられるなら、それに越したことはないでしょう?」
――彼の言は、茂柳さんの胸の内を全部見透かしたかのようだった。茂柳さんは少し考える素振りを見せたものの、最終的には頷いた。
「結構です」
曽根崎さんはというと、茂柳さんの反応に満足そうにして深くソファに座り直した。
「今晩にも証明してさしあげますよ。幽霊など、人の恐怖が作り出した因果の材料にしか過ぎないのだとね」
僕はそんな自信満々の曽根崎さんにひやひやしながらも、確かな頼もしさを感じていたのである。
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