15 落ちた言葉
「いやいやいや!?」
「なんで!?」
そこに、普段の美形が崩れるほど驚いた藤田と柊の顔が割り込んだ。
「か、景清が曽根崎さんちに住むんですか!? 何スか、それ! どういうことっスか、それ!!」
「アンタまさか主治医に直談判したの!? よく許可降りたわね! どういう説得したのよ!? お金!? お金かしら!?」
「ずるいずるいずるい! オレだって景清と生活したい!」
「ついにやったわね……。前々から危ぶんでたけど、景清と暮らしたいがためにとうとう搦め手を使ってくるなんて」
「私に説明させろ、君達」
どんどん迫ってくる二人の顔面を両脇にどけ、曽根崎は景清の表情を窺い見る。景清は、目をパチパチとさせて曽根崎を見返していた。
「まず、君の容態だが」曽根崎は、淡々と景清に言った。
「主治医曰く、入院が長引いているのは健忘症ゆえに身の回りのことができないため。健康面については問題ないそうだな」
「あ……はい。先生からは、サポートをしてくれる人がいれば退院できるって言われました。でも、僕は家族とも疎遠なようでして……」
「だから自分ひとりで最低限の生活ができるようになるまで入院している、と。ならば、そのサポート役を引き受ける者がいれば、君は晴れて退院できるというわけだ」
「そ、それはそうですけど……」
景清は、オロオロと目を泳がせた。
「どうして曽根崎さんが僕を? だって、曽根崎さんって僕のバイト先の雇用主の方ですよね? そこまでしてもらえる関係ではないと思うんですが……」
「そうね! しかもシンジってば、自分の面倒もまともに見られないし!」
「あと、食べるのも寝るのも忘れるし。何なら時々人の心も忘れてるよね」
「景清を引き取ったところで、一週間後干物になったアンタ達二人をタダスケが発見するのがオチよ!」
「好き勝手言ってくれやがるな、貴様ら」
ここぞとばかりに口を挟む柊と藤田に苦い顔をする曽根崎だが、さりとて退くはずもない。ため息をつき、腕を組んで仏頂面を決め込んでいたが……。
「――二人とも干物にしねぇための措置なんだよ」
やっと曽根崎の援軍が到着したのである。阿蘇は退院手続きの紙を全員に見せつけると、大きく息を吸い込んだ。
「兄さんと景清君を一ヶ所にまとめておいて、俺らが時々様子を見にいく。どうせ面倒見なきゃいけねぇ二人だ。バラバラにしておくより効率がいいだろ?」
「う、正論……!」
「加えて、兄さんだって一応人間なんだ。人としての自覚がある以上、景清君が最低限生活をしていく上での手助け程度ならできるはずだ」
「忠助。援護射撃のつもりなら、もう少し私への配慮をだな」
「それに、幸いコイツは自由業の中でも特に自由だ。家も金もあるくせに、基本的に仕事らしい仕事はない。四六時中景清君をサポートするにあたって、これほど適切なヤツもいねぇだろ」
「もしや巧妙に貶されているのか?」
「だから景清君も、納得してもらえると助かる」
阿蘇にそう言われ、景清は憂いを含んだ表情でうつむいた。藤田と柊も同じで、この説明では黙らざるをえなかったのだ。彼らの今の生活では、常にサポートを必要とする景清を補助しきれない。記憶を失った景清は、日常の思いもよらぬ部分で躓いてしまうのである。
「……最初、景清はベッドの降り方もわからなかったんですよ」
藤田が、悔しそうに呟く。
「全部が全部そうってわけじゃないですけど、物の名前や常識的な感覚すら忘れてるんです。喉が渇くって状態も忘れてて、首押さえてパニックになったこともありました」
「す、すいません」
「景清が謝ることじゃない。オレは曽根崎さんに言ってるんだ。……わかってますか? 曽根崎さん」
曽根崎に、鋭い声が突きつけられる。
「あなたはそういう景清のサポートをするんですよ。自分の生活もままならないあなたに、本当にそれができるんですか?」
「できる」
しかし曽根崎も一歩も引かず、即答した。
「彼がこうなった責任の一端は私にある。ならばその責任分、彼が元の生活を送るために補助をするのは当然だ」
「……口でいうほど簡単じゃないですよ」
「なに、彼の世話など面倒のうちにも入らんさ。加えて、私はこれまで大いに彼に助けられているからな。今度は私が助ける番だよ」
「…………ねぇ、阿蘇」
藤田は、苦虫を噛み潰した顔で阿蘇を振り返った。
「これ、ちゃんと本物の曽根崎さん? なんかいつにも増して胡散臭いんだけど」
「何言ってんだ。本物だから無事胡散臭ぇんだろうが」
「二人とも、鼻フックで市中引きずり回されたいか?」
悪態をついたものの、これもまた曽根崎の日頃の行いゆえんである。だが、一人だけこの曽根崎の言葉に目を丸くしていた者がいた。
「――本当ですか? 曽根崎さん、僕のこと迷惑じゃありませんか?」
景清である。不安と幾分かの期待が入り混じった声で尋ねる彼に、曽根崎はゆっくりと首を横に振った。
「迷惑なものか。さっきも言ったが、私は今まで何度も君の世話になっている。恩を返すにあたって、これほど良い機会はない。もっとも、私も退院したばかりだから面倒をかけてしまうかもしれないが……」
「そ、そんなことないですよ!」
「そうか。では遠慮なく、私を頼りにしてくれると嬉しい」
「あ……ありがとうございます!」
深くお辞儀をした景清だったが、すぐに顔を上げた。
「あの……僕、頑張りますんで! 覚えていないことも多いですが、一日でも早く自分一人で暮らせるように努力します! あと、曽根崎さんの家にタダで置いてもらうのは申し訳ないですから家事とかしますし、できる範囲で仕事のサポートもします! もちろん、その間の給料はいりませんので!」
「ああ、ありがとう。しかし給金は支払わせてくれ。雇用契約を交わしている以上、働いてくれる君に対価を支払うのは雇用主たる私の務めだ」
「曽根崎さん……!」
感極まった景清が、曽根崎の空いた右手を固く握る。曽根崎も満更ではなさそうに、微笑んで応えていた。
「……なんか、やり込んだギャルゲーを攻略するみてぇに景清の信頼を勝ち取ったね」
そんな二人を、藤田を始めとする三人はえも言われぬ表情で見ていた。
「さながら景清RTA」
「そりゃクソ兄は景清君の心理は把握し尽くしてるだろうからな。これぐらいできるわ」
「シンジ相手じゃなきゃ美談にできたんでしょうけどねぇ。なんせ相手はシンジですもの。ほんとこれだからシンジは」
「おいそこ、何他人面してるんだ。君達には私と景清君が干からびないよう、尽力してもらう必要がある。抜かるなよ」
「我が兄ながら面の皮厚いな……。シフト組むか……」
そんなやりとりの後ろで、景清は早速細々とした片付けをしている。その横顔にはほんのりと笑みが浮かび、頬は上気していた。
阿蘇は、藤田と柊の予定を聞いてスケジュールを作っている。少し空いた窓の外からは、救急車のサイレンの音が聞こえる。束の間、曽根崎の存在が誰の視界からも外れた時間があったのだ。
だから、彼がたった一つこぼした「すまない」という言葉も、誰の耳にも届かずに落ちて消えたのだった。
第6章 霊は廃墟にてのたうつ 完





