8 裏切らないでね
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「なんでそれを君が……?」
僕の問いにヒデナちゃんは微笑んだ。取り繕うように見えたのは気のせいだろうか。
「この石のことでしょ? ええ、モジャ助さんが持ってたものだと思う。彼の近くに落ちてたのを拾ったの」
「……そう」
「すぐに返そうと思ってたけど、忘れちゃってた。……本当よ?」
ヒデナちゃんは、掬うような目つきで僕を覗き込んでくる。……すんなりと納得するには、あまりに彼女にとって都合の良い話だった。それに、あの曽根崎さんが石を落とすなんてうっかりミスを――
するか。するわな、あのオッサンなら。
とにかく、彼女の手に石があるのはまずい。僕は片手を突き出した。
「返してくれる?」
「どうして?」
「人の物を取ったままにしてちゃダメだからだよ。僕が曽根崎さんに渡しておくから、ちょうだい」
「……わかった」
思ったより素直に、ヒデナちゃんは黒い石を僕の手に乗せてくれた。だけど肌が触れるなり、艶かしく指を絡ませてくる。
「景清〝君〟、約束覚えてる? 私が先に石を見つけたら、恋人になってくれるって」
「……。覚えてるけど、了承した覚えは無いよ」
「イジワル言わないで。そんな気の引き方、小学生の男の子みたいで格好悪いわ」
ヒデナちゃんは、僕の袖を引っ張って腕に顎を擦り付ける。媚びた目の形は、今まで僕が見てきた大人の女性そのものだった。
「……そんな怖い顔はやめて。不安になっちゃう」腕に軽い痛みが走る。見下ろすと、僕の皮膚に小さな爪が突き立っていた。
「ねぇ、覚えてるわよね? 私、今まで散々周りの人に傷つけられてきたって。裏切られて、蔑ろにされてきたって――。だから私、人から拒絶されるのがすごく怖いの。それが恋人の景清君なら、尚更」
「……ッ」
「でも、あなたはそんなことしないって信じてるの。だって、景清君も私と同じだって言ったでしょ? 私と同じ、ずっと周りの人に疎ましがられて、ひとりぼっちだった」
「それは……」
「なら、私の苦しみもわかるはず」
ぷつりと僕の腕の皮膚が弾け、血が滲む。……痛い。これが、十にも満たない女の子の力か?
いや、そうじゃない。
今の彼女は、明らかに僕と目線が近くなっていた。髪は伸び、輪郭はシャープになって、口元にあったあどけなさは消えて。僕の腕を掴み束縛していたのは、高校生ぐらいの容姿の女の子だったのだ。
咄嗟にスマートフォンに手が伸びていた。けれど、指先は何にも触れずに終わる。
「これを探してるの?」
ハッと顔を上げる。ヒデナちゃんは、僕のスマートフォンを見せつけるかのように掲げていた。
「今はいらないよね? 私と喋ってるんだもの」
「ヒデナちゃん……!」
「ちゃんとあとで返してあげる。それまでは私が預かるから」
「……あとでって、いつ?」
「気になるの? 私達は恋人になってずっと一緒にいるんだから、いつ返したってあんまり変わらないでしょ」
ヒデナちゃんは勝ち誇った笑みを浮かべている。曽根崎さんとの連絡手段を絶たれたことによる焦燥を必死で押し隠し、僕はどうすべきか考えを巡らせていた。一縷の望みをかけて大声を出してみようかと思ったけど、異質な存在を前にそれは無謀過ぎた。
「……心配しなくて大丈夫。私と景清君は、素敵な恋人になれるから」僕の戦慄を見ようともしない彼女は、なおも甘ったるい声で言う。
「お互いが、お互いの傷の深さを知っているんだもの。他の人ではありえない絆で結ばれて、繋がり合える。……たくさん、可哀想って言ってあげる。たくさん、愛してるって言ってあげる。他の人から貰えなかったものを、全部私がプレゼントしてあげる」
だから――と傷口に指を押し付けられる。真っ赤な僕の血を、真っ赤な彼女の舌がひと舐めした。
「絶対裏切らないでね? 景清君」
――脅迫だ。底冷えのする粘ついた感情に僕の喉は締め上げられ、思うように言葉を発せない。けれど、目の前の瞳はじっと僕の返事を待っていた。
「……安心して」
そうしてどうにか絞り出したのは、情けないぐらい保身に徹した言葉。
「僕、自分からフったこと無いんだ」
それを聞いたヒデナちゃんは安心したのか、微笑んでするりと手を離した。くっきりとした弓形の傷を、僕の腕に残して。
「黒い石をもっと見てみましょ」
また、指の間に彼女の指が滑り込んでくる。
「どれを〝りなちゃん〟のところに持って帰るか、選ばなくちゃ」
――持って帰るのは、〝さなちゃん〟のところにじゃなかったか。もはや疑うべくもない彼女の異常性だけど、指摘なんてできるはずもない。僕は曽根崎さんの持っていた石を、ただ縋るように握っていた。
曽根崎のスマートフォンが音を鳴らす。ツクヨミ財団からの調査結果が示された画面を一瞥した彼は、無表情のまま冷たく舌打ちをした。
「やはりだ。近隣の小学校に、ヒデナと名のつく少女はいなかった」
「……そう。ますます怪しいわね」
曽根崎の言葉を受け、柊は腕組みに乗せた指をトントンと忙しなく動かしている。隣に立つ光坂も、強張った表情で口元に手を当てていた。
「そ、それじゃ景清君に危険が迫っているんじゃないですか? 早く私達も行かないと……!」
「ダメよ、佳乃。アンタだってわかってるでしょ? ある程度向こうがどんな存在か把握していないと、下手したら返り討ちに遭っちゃうって」
「でも……!」
「……急ぐ必要はあるが、景清君についてはまだ心配しなくていい」スマートフォンに並ぶ字を目で追いながら、曽根崎が言う。
「幸いヒデナとやらは、彼に対して敵意を見せていない。それに、景清君自身も決して無思慮な男じゃないんだ。しばらくはうまく時間稼ぐだろう」
これに少し驚いたように曽根崎を見た柊だったが、何も言わなかった。代わりに早口で彼に尋ねる。
「で、結局ヒデナちゃんは種まき人の陣営ってこと? けど、アイツらって全員がそうと公表してるわけじゃないわよね。特定しようがないなら、どうやって情報を集めるのよ?」
「一つ当たりをつけている。過去、種まき人が関わった事件だ」
「種まき人が関わった事件――っていうと、集団自殺事件? けど、あれは加害者っていうより犠牲者ばっかりで……」
「待て。連絡が来た」
再び、曽根崎のスマートフォンがメッセージの着信を知らせる。メッセージアプリを開いた彼は、恐ろしい笑みを漏らした。
「……あった」
その表情の変化に、柊と光坂はゾクリとした。そんな二人を置いて、曽根崎は顎に手を当ててぶつぶつとつぶやき始める。
「これで私の推理は確信に近づいた。法、倫理、罪悪感……あるとないとでは随分違う。問題はその目的と手段だが――」
「ちょ、ちょっと、どういうこと!? アンタ、どんな情報を貰って……!」
「あの女に、法的手段は通用しない」
ちぐはぐな応答だった。今の曽根崎の脳は、会話にリソースを割けないほど目まぐるしく情報が駆け巡っていたのである。混乱する柊と光坂の前に、曽根崎は先ほど送られてきたある成人女性の顔写真を突き付けた。
写っていたのは、三十代前後の薄茶色の瞳の髪の長い女。名は写坂秀菜とあった。
「ヒデナという女は、既に死んでいる」
言葉を失う二人の前で、曽根崎の口角はなおも上がったままである。
「彼女は、二十年前に起きた集団自殺事件における666人の死者の内の一人だ」





