5 音
「……!」
その甲高い音は、ランダムに変化していた。モスキート音にも似ているけど、断言はできない。木々や建物に反射しているのか、ここからだとどこから聞こえてくるのかまではわからなかった。
ただ一つ確かなのは、こんな荒れ果てた山間の廃墟で発生する音ではないということ。――正体を突き止めるべきか? でも、今の僕は隣にヒデナちゃんがいる。もし音の出どころにいるものが、危険な存在だとしたら……?
「かげきよさん、どうしたの?」
ヒデナちゃんは、不思議そうに僕の顔を覗き込んでいる。……ここで変に不安にさせてはいけない。僕は無理して笑顔を作った。
「大丈夫だよ。ちょっと聞いたことない鳥の声が聞こえてさ。どこにいるんだろうって思って」
「鳥さん?」
「うん。ヒデナちゃんには聞こえない?」
まだ、音は聞こえていた。ヒデナちゃんは首を傾げて耳をそばだてていたけど、しばらくして「ごめんなさい」とうつむく。
「葉っぱのザワザワする音なら聞こえるけど。……あ、今鳥が鳴いたね。あれのこと?」
「ううん、それじゃない。もっと甲高い音なんだけど」
「……わかんない」
そうしている間に、音は聞こえなくなっていた。もし、これが曽根崎さんと出会っていない僕だったら、怖がりながらもすぐ忘れてしまったのだろう。だけど、今の僕は、尋常ならざる存在が世界の影に潜むことを知っていた。
「あっちのほうに行ってみよう」僕はヒデナちゃんの手を引いて、音の咆哮から遠ざかるよう歩き出した。
「向こうのほうは、キレイなお姉さんとモジャ助おじさんが探してくれてるから。僕らはこっち側を担当しよう」
「わかった」
進みつつ、スマートフォンを取り出して、片手で曽根崎さんにメッセージを送る。――今いる場所と、起こったこと。なんでもない事象だとしても、怪異の掃除人たる彼の目なら新しい事実を引っ張り出してくれるかもしれない。
……まあ、杞憂だと鼻で笑われるのが一番なんだけど。
ヒデナちゃんに気づかれないよう、一度だけ後ろを見る。打ち捨てられた廃屋が依然として物言わず佇んでいるのを確認し、僕はまた歩き出した。
景清が謎の音を聞く二十分ほど前。曽根崎と柊は、「ダウジングマシンを忘れた」と言って車に引き返した光坂を待っていた。といっても時間を無為にするわけでもなく、二人して足でガレキをどかしたりして周囲を探索していたのだが。
どちらも何も言わない時間が続いていた。だから、曽根崎は気を緩めていたのである。
「アンタ、最近また景清への執着がエグくなってきたわね」
「はー?」
挨拶並の気軽さで、触れにくいだろう話題に突っ込んでくる人間はいるものだ。曽根崎はできる限りの「踏み込むな」を込めて睨んでみたが、柊に効くはずもない。むしろ翳りの無い美貌が、無邪気に曽根崎の凶相を見つめ返してきた。
「……仕方ないだろ。小動物じゃあるまいし、鍵をかけたケージに閉じ込めておくわけにもいかないんだ」
「まあ」
曽根崎の返答に、柊は呆れた様子を隠そうともしなかった。
「むしろ倫理的に許されるなら閉じ込めるのかしら」
「倫理面だけじゃない。実現性や彼自身の精神的な面から考えても、非現実的な案だよ」
「そうね。黒ヤギマンに狙われたらアルカトラズ島の監獄にいても無駄でしょうから」
「黒ヤギマン? もしかして黒い男の話をしてるのか?」
柊の認識は独特なのである。妙に芯を捉えているのがまた何とも。
「それに景清もヨシとしないわね。あの子、自分で納得できなかったらどんな手を使っても脱出してくるもの」
……知っている。だから結局、自分の目の届く範囲に置いておくのが落としどころだと。そう曽根崎は考えていたのだ。
しかしそれもまた少しずつ変わってきた。あの集団が自分の周りに現れ始めたせいで――
「種まき人」
小さく呟いた柊の声に、曽根崎は動きを止めた。異常に勘が鋭い彼女を訝しむも、すぐに曽根崎の思考はある結論を導き出した。
「……忠助の入れ知恵か。どこまで聞いた?」
「あら、バレちゃった。なんてことない範囲よ。せいぜいアンタの探してる黒い石が、種まき人の“巨大な目的”に繋がる秘石ってことぐらい」
「ほぼ全てじゃねぇか」
「いいじゃないの! ボクとアンタは友達でしょ? 隠し事はナシ! そんなんじゃ、いざボクの力が必要って時もすぐに動いてあげられないわよ?」
「本音は?」
「こんな面白そうなこと、ボク抜きでやんないでよ!」
「機密事項を、友人の想い人を当てる女子高生のノリで深掘りしてくるんじゃない」
だが相手はあの阿蘇である。何の思惑も無く、トラブルメーカーである柊に情報を伝えたりはしないだろう。真の狙いは、黒い石を探索しようとする曽根崎の監視だろうか。それとも……。
「でも、そうね。遠回りな攻め方は好きじゃないわ。率直に聞くわよ」
――自分への釘刺しか。曽根崎に向けられた柊の目が、キラリと鋭利な光を放った。
「アンタ、種まき人が景清に何すると思ってんの?」
曽根崎は、彼女の問いに一つも怯むことなく、いつも通り背筋を伸ばしていた。





