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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 壊せぬ石
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番外編 マクベスの老人2

 老人の実在性と聞いても、僕にはピンと来なかった。そんな僕の反応も田中さんは織り込み済みで、素早く説明を加えてくれる。

「演技の難しさの一つに、いかに役を自然に見せるかって点がある。君は君の人生しか生きたことがないんだから、普通全く別の人生を歩んできた別人になるなど不可能だろ? 想像力を加えたとしても、どこかしらじらしい上辺を貼り付けただけのものになる」

「そういうものなんですか?」

「たとえば君が今発した言葉一つとっても、容易く他者には真似できないんだよ。君にとっては何気ない応答でも、二十一年分の経験とそれに裏打ちされた君の性格が内包されている。それぐらい、役の人生を生きるのは難しいんだ。何もかもをリンクさせなければ、『マクベスのセリフを連ねる男』から『マクベスそのもの』にはなれない」

「でしたら、ギロさんは本当にその老人が生きているみたいに演じてたんですか?」

「まあ……」

 田中さんは、神経質な仕草で椅子に座り直した。

「そういうことになる」

 忌々しげな口調で、彼は言った。




 ――鳥肌が立った。さる大学に身を置く一演劇部員である田中時國は、今まさに信じ難い光景を目にしたところだった。舞台に立っているのは、年不分相応に態度の大きい男子高校生のはずである。だというのに……。

「……“この七十年間、恐ろしいことも奇妙なことも味わってきた”」

 田中の目に映るその男は、不穏な重厚さを感じさせる一人の老人そのものだったのだ。

「“だが、あの残酷な夜は、それら全てをも踏み躙るかのようだ……”」

 わざとらしい嗄れ声ではない。キャラクター性の高い終助詞もない。しかし、低くもったいぶったそれは、紛れもなく言葉を何度も咀嚼した老獪な男が発する声だった。

 それがギロと名乗る高校生の演じた“老人”であったのである。田中は稽古が終わるなり、帰ろうとするギロを急いで呼び止めた。

「君のあの老人! あれはなんだ!」

 息を切らせてギロに追いついた為に、つい説教じみた勢いになったことを田中は反省した。だが振り返った彼はニィと口元で笑うと、ふいと前を向く。

「今日は調子が良かっただけ。ありゃー上々の出来だ」

「調子がいいだけであんな演技はできない。一体どういう役作りをしたっていうんだ?」

「役作り? ……ああいう爺さんってなぁ、現代日本じゃパチンコ屋の裏路地で酒飲みながら一日中通行人を見てるもんだ。役作りって意味なら、そういう爺さんとこにここんとこずっと通い詰めて話してた」

「……学校は?」

「俺ァ役者で食ってくから」

「君なぁ」

 呆れて今度こそ説教しそうになったが、迷った挙げ句口を閉じた。今の彼にとって必要な『勉学』は、パチンコ屋の裏路地にあった。ただそれだけの話なのだろう。

 代わりに田中はギロの隣に並ぶ。ギロのほうが頭ひとつ分高いので、見上げる形になるのは癪だったが。

「……高校に通って得られる経験は、十分ってわけかい?」

「俺じゃ真面目な高校生役はできねぇだろうからな。不良学生ってんなら今の身分でいい」

「擦れてんねぇ。高校生って知ってなきゃ、タバコの一本でも勧めてたよ」

「別に勧めてもらってもいいけど」

「うわっ、えっ!? 君いつの間に僕のタバコを……!」

「ピース吸ってんのか。甘ぇの好きなんだな、時國」

「返せ!」

 一応同時期に演劇サークルに入ったためにギロは田中を同期と見做しており、年齢差をものともせず呼び捨てにしていた。田中としては気に食わないものの、変にかしこまられても困る。加えてあの演技力である。結局矯正できないままここまで来ていたのだ。

 秋の匂いを乗せた風が、田中の足元の小さなビニールゴミを転がしていく。これがたとえば枯葉なら、まだ情緒もあったろうに。

「……君ほどの実力なら、主役のマクベスもできたんじゃないか」

 発してから、もしかして弱音に聞こえたかと懸念した。マクベスとは、まさに田中自身の役だったのである。けれどギロは一切田中のほうを見ず、思いの外真面目な声で答えた。

「いや、無理だ。今の俺にゃできねぇ」

「今の俺?」

「年齢? 人生経験? ……多分、そういうのが足りねぇんだと思う。まだアンタがやるほうがマシなもんになるよ」

「年齢って……それを言うなら、老人のほうが上じゃないか?」

「マクベスのほうが考えなきゃならねぇことが多いだろ」

 だいぶ抽象的な表現だが、何となく言わんとすることは分かった。だからそれ以上は追求せず、しばらく二人並んで歩いたのである。陽はとっくに落ちており、街頭の作る長い影が田中達の後ろに伸びていた。

「俺、今度の舞台が終わったらサークルやめっから」

 ふと、ギロが言葉を落とした。

「劇団に入る。もう契約も済んでんだ」

「いつの間に……っていうかそれこそ学校はどうするんだい?」

「安心しろ。もう退学してる」

「君は迷いなく一般的なコースから外れるねぇ」

「同じ場所に留まってたら、淀む気がすんだよな。俺の中の何かがさ」

「……」

 彼のような人を要領がいいと言うべきか、不器用と呼ぶべきか。判断しかねたが、自分よりは自由という概念に近いんじゃないかと田中は思った。

 突然視界に一本のタバコが迫る。眼鏡のレンズを掠めるも、すんでのところで田中は足を止めた。

「俺を観に来いよ、時國」

 火のついていなタバコの先で、ギロの射るような目が挑発的に笑っていた。

「俺が本気でマクベスをやる時は、だ。絶対ビビらせてやっから」

「そりゃ楽しみだけど……えらく先の話じゃないか?」

「先でもいいじゃねぇか。なんたって、この俺の演技が見られるんだぜ? ファンクラブでも立ち上げて、追っかけてこいよ」

「君のマクベスを観るためだけに、ファンクラブを? 自意識過剰もいいとこだね」

「はっ。自分に意識のねぇ俳優なんざ、いいとこ三流止まりだろ。むしろ前途有望じゃねぇか」

「つーか僕のタバコ返せよ」

「先行投資だ。ケチケチすんない」

「返せ、未成年!」

 しかし体格では余裕でギロに負ける田中である。箱ごと奪われたため、やむなく「二十歳になってから吸えよ! 役者になるなら肺ぐらい大事にしろ!」と捨て台詞を吐くことしかできなかった。

 長い脚はどんどん前に突き進み、田中を置き去りにしていく。つい冷たくなった指先をポケットに突っ込んだ田中だったが、そこにもうタバコはなくて、暗くなる空に向かって悪態をついたのだった。




「……あ、思い出したら腹が立ってきた」

「お疲れ様です」

 どっかりと椅子に座って天井を眺める田中さんの話は、大きなため息と共に終わった。それにしても驚きである。あの田中さんが人に振り回された過去があったとは。

「それで結局、こうしてギロの舞台を観に来てるんだからなぁ。人生はわかんないもんだよ。そんなつもり、これっぽっちも無かったのに」

「作らなかったんですか? ファンクラブ」

「作るわけないだろ! その次に印象的な奴との思い出が、灯子君の葬式になるってんのに」

「うわ。どうなったんですか?」

「詳細は省くが、概ね先日事務所にギロが来た時と同じだね」

「まさか銃はぶっ放してませんよね?」

 返事はなかった。これ撃ってる可能性あるな。

「……人間のクズではあるが、ギロの才能と熱量だけは本物だ」また袂を探りかけて手を止め、田中さんは言う。

「よって、この劇もいいものには違いないだろう。腹立たしいことだけどさ」

「わかりました。楽しみにしてます」

「うん、それでいい。芸術に個人的な確執なんざ不要だよ」

「……」

「どうした?」

 ふいに、僕の心に浮かんできた仮説があった。先の事件でもそうだったけど、ギロさんは曽根崎さんと阿蘇さんのお父さんであるだけに、非常に鋭い人である。そんな彼が、曽根崎さんが舞台の誘いを断る可能性を考えないだろうか? つまり、ギロさんの狙いは最初から……。

「……や、なんでもないです」

 だけど、これは不確定要素の多い仮説である。僕だって、田中さんじゃなく三条とかを誘う可能性もあったのだ。そういうわけで無かったことにした僕は、改めてパンフレットを取り出した。

「あれ」

 すると、中から何か細いものが転がってきた。拾い上げて確認する。

 何の変哲もない、一本の白い紙巻きタバコだった。

 それを上から覗き込んでいた田中さんだったけど、すぐに察したのだろう。行き場のない苛立ちに両手の拳を震わせていたけど、やがて堪えきれなくなったらしく勢いよく吐き捨てた。

「あンの瓢箪野郎! 返すなら箱ごと返せよ!」

 ……この分だと、劇に確執を持ち込まないのは無理そうである。なかなか複雑な関係性に同情しながらも、終始苦虫を噛み潰したような顔をした田中さんの隣で、僕は思いっきり演劇を楽しんだのだった。


番外編 マクベスの老人 完

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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