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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 壊せぬ石
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17 手渡されたもの

 僕は慌てて布に包んだ石を取り出し、見比べてみた。……壊れてるけど間違いなく手元にある。じゃああの石は?

「安心しろ。こっちが本物だよ、景清君」

 手招きして僕を事務所へ呼びながら曽根崎さんは言う。後に続くギロさんは、ビシッと自分の胸を親指で差した。

「感謝しろよ? 機転をきかせた俺が、その辺の河原で拾った石にすり替えてたってわけだ」

「じゃあ偽司祭はそれに気づかず奪おうとしてたってことですか?」

「おうよ。間抜けな話だぜ」

 楽しげに指を鳴らす音が聞こえたけど、「ぐふっ」といううめき声と一緒に止まる。曽根崎さんに蹴られたんだろうな。

 事務所に戻った僕は、お茶の用意をするためキッチンに引っ込んだ。例の石は、ソファに座る二人の間のテーブルにぽつねんと置かれている。

「まったく。ただの石のために腕を一本失う所だったぞ」

 曽根崎さんの疲れたような声がした。今彼の右手は、銃弾が掠めたために真っ白な包帯が巻かれている。

「悪かったな。慎司があそこまで体張るたぁ夢にも思わなかったんだ」

「こっちにも色々事情がある。察しろとまでは言わんが、金輪際余計なことはするんじゃねぇ」

「わぁったよ。だがテメェもテメェで無謀だぜ? あんなんじゃいくつ命があっても足りねぇよ。時國にゃ感謝しとくんだな」

「あれこそ想定外なんだよ。なんで田中さんは……」

 だけど曽根崎さんは思い直したらしく、それ以上言わなかった。田中さんは“巨大な目的”のために石を奪われるよりも、曽根崎さんの身の安全を優先した。あの時、もし数秒でも迷っていれば彼の手は今の怪我どころじゃなかっただろう。

 ポケットに手を入れ、小石サイズに砕かれてしまった石に触れる。……何にせよ、僕としては曽根崎さんがこうならなくて良かったと思っていた。

「まあ怪我した所で、忠助もいたからそこまで重要な問題じゃなかったんだがな」

「んだよ、アイツ医師免許でも取ってんのか?」

 阿蘇さんの負担を考えたらな! やっぱコイツ実の弟をアテにしてやがった!

「それじゃギロ、この石は俺が貰い受けるぞ」

 実の父に向かい合う曽根崎さんの口調はいつもと少し違っていた。リラックスしているのか、“私”口調の自分をあまり見せたくないからか。僕は湯呑みのお茶が傾かぬよう気をつけて、お盆を持ち上げた。

「お、石持ってくか? じゃあ百五十万」

「それ情報代込みの料金だろうが。足元見てんじゃねぇ」

「しかも今なら身内特別価格で百六十万だ」

「なぜ引き上げた?」

「親孝行するチャンスだぜ」

「俺に存命の親はいない。石で貴様を力いっぱい殴っていいオプションがつくなら考えるが」

「つくか!」

 辛辣というレベルを超えて曽根崎さんが煽ること煽ること。そりゃあ曽根崎さんにとっては、自分と病弱なお母さんを捨ててお金だけ持って女の人と逃げた相手である。簡単に片付かない感情はあるだろう。でもこのままだと本気で石で殴りかねなかったので、慌てて会話に割り込んだ。

「ギロさんギロさん、この石って昔あなたが曽根崎さんのお母さんに贈ったものなんですよね?」

「ん? おお。時國の野郎から聞いたのか」

「はい。昔好きだった人から貰ったと、灯子さんは仰ってたそうです。プレゼントにしてはユニークだなと思ったんですけど、どういう経緯があったんですか?」

「……そうか。灯子のやつ、そんなことを……」

 初めて、ギロさんの鋭い目が和らいだように見えた。その目は、普段僕が見慣れた曽根崎さんのものによく似ていた。

「付き合いたての頃かな。俺ぁまだ駆け出しも駆け出しでよ、全国あちこちの劇場に自分を売り込んじゃあ灯子を置いてりにいってたんだ。んで寂しがった灯子が何でもいいからみやげが欲しいって言うんでな、それを持って帰ったってわけだ」

「石を? どこかで買ったものなんですか?」

「そんな金はねぇ。ロケ地で拾ったもんだ」

「……怒られませんでした?」

「『アデリーペンギンか!』と怒鳴られ、渡した石でそのまま殴られそうになった」

 アデリーペンギンは、せっせと小石を運んで巣を作る習性があるという。

「女は何してくるかわからねぇぞ。気をつけろ、坊主」

「女性側の問題じゃないと思うんですよ……」

「だからあの鰐淵……だっけ? アイツに時國が持ってる石を奪えって言われた時にゃあ、おったまげたぜ。まさか灯子が死ぬ間際まであの石を持ってやがったとはな」

 ギロさんは、気恥ずかしそうに鼻の横を指で擦った。

「それで、ま、なんつーの……。ただの石だけど、急にアイツらにくれてやるのが惜しくなってさ。気づいたらすり替えてたんだよ。ほ、ほんとだぜ、慎司! 時國なら財布に発信機とか入れてんだろうと睨んでたしさ、俺ぁオメェらに協力するつもりだったんだよ! その証拠にちゃんと後で返すつもりだったしさぁ……!」

 実の父の弁解を曽根崎さんはしらーっと聞き流していたけど、僕は少し温かい気持ちになっていた。この人も、まるっきりクズというわけじゃない。彼なりに、曽根崎さんや灯子さんを大切に思う気持ちがあるようだ。

 ……灯子さんが石を粉々に破壊したいと思ってたのは、言わないほうがいいんだろうな。

「それにこの俺の機転でちゃんと本物の石は守られたわけだろ!? 結果的には良かったじゃねぇか!」

「……そこは認めてもいいが」

「だろ!」

「ところで田中さんの財布の中身は?」

「それが二万円ぽっちしか入ってなかったんだわー。あんな端金じゃ一時間も遊べな」

「景清君、通報」

「はい」

「待て待て待て待てわぁーったわぁーったよ! 石はタダでやるから時國の野郎に立て替えといてくれ! それでいいだろ!?」

 話がまとまって何よりである。曽根崎さんとしては思わぬ損失かもだけど、石を壊した報酬で田中さんからいくらか入るはずだから十分元は取れるだろう。

 ギロさんはもう少し曽根崎さんと話したいみたいだったけど、阿蘇さんのお母さんの話題になるなり脱兎の如く逃げてしまった。あの辺りも並々ならぬ事情があるらしい。ちなみにギロさんが曽根崎さん達を捨てて転がり込んだ女性は、阿蘇さんのお母さんとは別人だという。それを聞いて、少しホッとした僕だった。

 そしてようやく静かになった事務所には、僕と曽根崎さん、加えて黒っぽい石だけが残った。

「確か秘術が刻まれてるんですよね」

 人差し指の先で、石をつんつんとつついてみる。

「でもやっぱ何も書いてないですよ。割った表面に描いてあるとか?」

「金太郎飴じゃあるまいし。それに残った種まき人は割れた状態の石に頓着していなかったから、このままの形で意味があるんじゃないか?」

「そこですよ。ギロさんが偽物にすり替えてたってのは種まき人にバレてないんでしょうか」

「“ナイ様”には筒抜けだろうな。だが奴は基本的にどちらか一方に肩入れはしない」

 種まき人へ呪文を授けるのは十分肩入れじゃないかなと思ったけど、多分そういうことじゃないんだろう。僕は黙って石を指先で転がしていた。

「とりあえず石自体については一旦保留だよ。まずはギロがこれをどこで拾ったか調査しなければ」

「本人に聞けば済むんじゃ?」

「あの野郎は覚えていまい。覚えてたらもっとふっかけてきてる」

「嫌な信頼があったもんですね……」

「場所の特定は多少時間はかかるだろうがさほど難しくないだろう。六屋さんに頼んで秘密裏に奴のこれまでの撮影場所について調べてもらうとしよう」

「え、六屋さん、もうそこまで業務を任されてるんですか?」

「なんせ田中さんがアレだからな。六屋さんの実直な人柄は、普段ジジイに振り回される部下達を一瞬で虜にしたらしい」

「部下の皆さん……」

「ま、この件はこんな所だ。田中さんにとっては弔いになったろうし、下っ端とはいえ種まき人の狙いも阻止できた。あとは後者の代金を財団に上乗せして終了だろう。景清君もご苦労さん」

 そう言ってこちらを見た曽根崎さんの横顔は、窓から差し込む夕焼けの陽に照らされて深い影を落としていた。すらりと背筋の伸びた長身と、今は赤を映す夜の瞳。まるで先日のドラマの続きのような光景に、僕は現実の境界が揺らぐのを感じた。

「……やっぱギロさんの血ですかね」

「ああ?」

「すいません怒らないでください悪気は無いんです。でも無精髭伸ばしてると余計似てるように見えますよ」

「今すぐ剃ってくる」

「あ、あと髪がもじゃもじゃなのもだいぶ似てます!」

「君、これを機に私に身なりを整えさせようとしてないか?」

 本意がバレたけど、既にシェーバーとクリームを用意していた僕は曽根崎さんの背を押して一階へ誘導した。これでしばらくは曽根崎さんの身だしなみをなんとかできる理由ができるなと、僕はこっそりギロさんに感謝したのである。


 第5章 壊せぬ石 完

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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