9 倉庫前
だけど一点不思議なことがあった。なんで種まき人の過去の悪行が責められるでもなく、同じ名前で活動できているんだろう。
「それこそ種を蒔いていたからさ」
合流した田中さんが教えてくれる。場所は聞かされていた通り、郊外の大きな貸し倉庫だ。
「彼らの行った慈善事業は本物だった。誠心誠意社会に尽くしていたんだ。事実、集団自殺事件後の種まき人への風当たりは不気味なぐらい静かなものだった。まあ決定的な証拠が無かったのもあったがね」
「え? 自殺した人は種まき人に洗脳されてたんじゃないんですか?」
「結局は可能性の高い推論でしかないんだよ、ガニメデ君。666人、その殆どが種まき人の構成員であり、かつ同日同時刻に自殺したなんて偶然にしては出来すぎだろ? 未だ洗脳的誘導以外に納得できる説明は存在しないが、さりとて明確な裏付けが無いのなら推定無罪さ。彼らの手首に鉄の錠は嵌められない」
「じゃあ今でも種まき人を信じてる人はいそうですね」
「いるだろうね。もっとも、この件についてはメディア含め誰も口を開きたがらないが。必ず意見がわれると分かっていて進んで火種をまく者はいるまい」
「……歯痒いですね。実際の種まき人は銃ぶっ放して石と人をさらってるのに」
「ほんとほんと。国営放送をジャックして世間に教えてやってもいいくらいだよ。か弱い一般人に銃を向けるなんて現代日本じゃ重罪さ」
そんなことを言ってる田中時國御大は、現在進行系で拳銃を手入れしてる。僕の緊張を和らげるための軽口かな? いや本気だな、この目は。
一つため息をついて、こっそりと物陰から目的の場所を覗き見る。大型トラックを平気で数台飲み込めそうな建物が立ち並ぶ中、あるシャッターの前にだけ二人の男が立っていた。……あそこが、ギロさんの閉じ込められている倉庫だ。発信機の情報を元にしてるから、厳密に言うなら田中さんの財布が閉じ込められている倉庫、だけど。
「しかし、まさかあの石にそんな価値があったとはね」
拳銃を懐にしまった田中さんは、よいしょと僕の隣にやってくる。
「世界を守るツクヨミ財団としては見過ごせないよ。個人的な理由抜きにしても必ず取り戻さないとだ」
「……田中さんにとって石が大事な理由は、それをくれた人が特別な人だったからですか?」
「君はいやにセンチメンタルな聞き方をするね」
あえて軽い調子の声色を作っているように聞こえた。案の定、彼はうつむき自身の左手に目線を落としている。センチメンタルと言うなら、この話に触れる時の彼がまさにそれだった。
「君が聞きたいと言うのなら後でゆっくりと教えてあげるよ。そうだ、今晩空いてる? 僕もたまには庶民的な食事をしたいんだ」
「いいレストランでもあるんですか?」
「いや、曽根崎君の事務所で夕飯のご相伴に預かりたい」
「この切り出し方で僕がたかられることってあるんだ……。まあ別にいいですけど。今日は焼鮭と味噌汁と卵焼きとポテトサラダの予定です。材料費と手間賃で三百円頂戴してもいいですか?」
「もっと取りなさいよ。僕ならその百倍の値がついても払ってやるのに」
「三万円の晩ごはんとか逆にプレッシャーですよ。それはそうと、そろそろ曽根崎さんが指定した時間になりますが」
「おお、そうだそうだ」
打って変わって、遠足直前の子供みたいに声を弾ませる。財団トップのあなたがこんな戦前に立たなくてもいいんじゃないですか、と喉まで出かけたけど、きっと何度も繰り返されてきた問答なんだろうなと思って飲み込んだ。
「カリスマを会得するトップってのは、凡人の想像が及ばぬほど思考し行動した者さ」
僕の心を読み取って、彼は呟く。
「行くよ。君の演技力には期待している」
肩を叩かれたことで、僕も気合を入れ直した。――よし、僕だって将来的には曽根崎さんの所で正式に働く身なのだ。腹を括って、しっかり役立つところを見せないと!
見張り番というのも不本意な役目である。その男――とある大型倉庫の前に立つ男は、本日何本目かのタバコを吐き捨てると靴の踵でぐりぐりと火を消した。
「今頃中では尋問してんのかなぁ」
缶ジュースをあおるもう一人の男が、つまらなさそうに言う。
「しかも相手はナントカって俳優だろ? いいな、オレも参加してぇ」
「俳優? あの小汚いオッサンが?」
「小汚いのは役作りだろ。知ってるか、俳優女優ってのは役になりきるためなら健康な歯でも抜くんだぜ」
「ふぅん」
一見興味のない風を装ったタバコを吸う男だったが、本心ではサディスティックな興味を掻き立てられていた。私生活すら犠牲にしてまで、“何か”に入れ込んでいる。そんな何かを持つ人間が、今我ら種まき人の手の上にいるのである。恐らく必要な情報さえ引き出してしまえば、司祭様は我らにその俳優をお与えくださるだろう。そうなれば我らはナイ様を楽しませるための供物という名目で、彼を思うがまま蹂躙できるのだ。
この世界は退屈だ。金と口と手さえあれば何でもできる、手に入る。そんな若くして成功してしまったがために刺激のない世界に至ることを余儀なくされた自分に、突如として亀裂を入れたのが種まき人という組織だった。
魅了された。恍惚とした。世界はまだこんなにも愉快な種がそこかしこに埋もれていたのである。
だから今はこうして見張りなどという退屈な役目にも甘んじているのだ。それは隣の男とて同じだろう。だがいずれ自分たちも司祭様から“見下ろす目”を賜り、蒔かれた種の育ちゆくのを特等席で観賞するのである。下層どもが我ら選ばれし上層の為だけにのたくり、喘ぎ、滅びゆく様を。
そんな下卑た考えに、男の唇が緩んだ時だった。
「すいません! 十一番倉庫ってどちらでしょうか!」
やけに強張った大声に耳をつんざかれた。見ると、カチコチに緊張した青年が腰の曲がった老人の手を引いて立っていた。
「あ?」
「じゅ、十一番倉庫です! 僕は迷子です!」
「あ、そう……。知らねぇよ。自分で探せば?」
「ここの倉庫の番号は何ですか!? 参考にしたいです!」
変なガキである。一瞬だけ「警察関係者か?」とも疑ったが、これほど肩の力が入っていてはその線は薄いだろう。普通にちょっと頭のネジが緩んだヤツと思ったほうが良さそうだ。
「知りたいです! お願いできませんか!」
だがこの声の大きさは少々厄介である。下手に時間を費やして、外でトラブルがあったと思われかねない。
――今まさに、中に司祭様がいらっしゃるというのに。
「わかったわかった、調べてやるよ」
適当に取りなし、もう一人の見張りと共に倉庫の横に回る。そこに倉庫番号が書かれていたはずだった。だが彼らがそれを目にする機会は永遠に奪われることとなる。
「やあ」
しゃがみこんでいた見知らぬスーツの男に挨拶されるなり、男は背後から口を塞がれた。地面に強く叩きつけられた弾みで、肺の中の空気を全て追い出される。いや、まだだ。俺にはもう一人仲間がいる。そう思って振り返った彼が見たのは、青年と共にいた老人に銃を突きつけられ両手を挙げた仲間の姿だった。
「うん、上々」
立ち上がったスーツ男の上背は、軽く見上げるほどに高かった。さっきの青年にグーサインを出している所を見るに、こいつらは一味なのだろう。
「やはり君を選抜して正解だったよ。逆に怪しまれなかった」
「逆にって何です?」
「それじゃ諸君らには中の様子を吐いてもらうとするか。何、大人しく白状してくれたなら痛いことはしない」
濃いクマを引いた威圧感のある顔が近づく。引きつったような笑みが酷く不気味だった。
「……多分」
わざとらしくゆっくりと付け加えられた一言に、種まき人の構成員二人はがっくりとうなだれたのである。





