表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 壊せぬ石
130/285

6 ナイ様

 すぐにわかった。人間の姿を取ってはいるけれど、彼はあの“黒い男”だと。

「やれやれ、所用で来てみれば哀れな小羊が鳴いているとは」

 浅黒い肌の男は大袈裟な溜息をつくと、パチンと黒手袋を嵌めた指を鳴らす。鰐淵の後頭部が盛り上がり、ファスナーが開くように大きく広がった。中にあるはずの脳は見えず、代わりに黄ばんだ歯と大きな舌がべろりと覗く。

「ナイ様、来てくださったのですね! ありがとうございます、ありがとうございます!!」

 そこから鰐淵の声が発される。――恐ろしく醜悪な光景だった。転がって指先一つ動かせないはずの男が、ばっくりと開いた後頭部からこぼれた舌をグロテスクに蠢かせている。爛々と輝く目玉からは大粒の涙が溢れていた。

「……それが、今回の貴様の名か」

 曽根崎さんは身じろぎもせず、黒い男をまっすぐ睨んでいる。

「随分と簡易な名だな。私に会った時はもっと仰々しい物だったが」

「使い分けているのですよ。彼のような機能不全のブローカ野でも扱えるようにね」

「操る? はて、妙だ。私の知る貴様は呪文をつつがなく唱えられるよう、契約時に脳をかき混ぜていたはずじゃなかったか」

 どこまでが比喩でどこまでが事実なのだろう。二人の会話についていけず戸惑う僕と阿蘇さんをよそに、カチッというライターの音が割り込んだ。

「――なるほど。彼がかの黒い男とやらか」

 煙草の匂いが漂い始める。田中さんだ。

「お初お目にかかるね、闇を纏いし君。僕の名は田中時國。君には随分と曽根崎君が世話になったようだ」

「おや、いたのですか時國君。こちらこそ曽根崎君には楽しませてもらっていますよ」

「そう」

 突如耳をつんざくような銃声が響いた。田中さんの手には拳銃。黒い男に向けて発砲したのだ。だが着弾しただろう黒い男の首部分には漆黒の霧が散るだけで、男の表情には何の変化も生じていなかった。

「ちぇっ、やっぱ無傷か」

 田中さんは吐き捨てると、銃をしまう。同時に何かが空間を鋭く裂いて田中さんの咥えていた煙草を弾いた。彼の頬に走った傷から真っ赤な血が垂れる。

「……ご丁寧に銃弾のお返しまでしてくれるとはね。思った以上に、君は幼稚な精神性をお持ちのようだ」

「何、単なる配慮ですよ。貴公の大事な曽根崎君が愛でる彼を思えばのこと」

「ああ、これは失敬」

 黒い男と田中さんの視線が僕に向く。気色悪い認識をされていることはさておきこれぐらいの煙草なら平気だったけど、いい機会だったので僕も黒い男に向き直った。

「それで、なんでアンタがこんな所に来てるんだ? 鰐淵と面識があるみたいだけど、種まき人と関わりでもあるのかよ。石はどういう目的で……」

「いけませんよ、景清君。我慢していたとはいえ、一気に質問を浴びせては」

 からかうような笑い声と共に人差し指を一本立てられる。驚いたことに、声は鰐淵の後頭部の口から出ていた。

「そうですね、質問は一人一つまでとしましょう。自分も暇な身ではありませんので」

「もっと答えろって言ったら?」

「真実とはそう易々とは手に入らぬもの。与えられるだけ上等だと思いませんか?」

「……」

「ではまず景清君、君の質問から受けつけましょう」

 僕は曽根崎さんに目配せをしてから、言った。

「アンタは、種まき人とどういった関係なんだ?」

「いい質問ですね。一言では真実にたどり着けないものを選んだ」

 いつの間にか男の左手首から先が無くなっている。と思ったら右頬にゾクリとする温度が触れた。空中から突き出た奴の手が僕を撫でているのだ。叩き落とそうとしたけど、その前に阿蘇さんが無言で手刀を振り下ろして追い払ってくれた。

「自分は……そうですね。彼らの崇拝対象とでも言いましょうか。その言葉が最も適切でしょう」

「崇拝対象? アンタが、種まき人の?」

「おや、日本人には馴染みのある思想じゃありませんか? 豊かな山を見ては住まう女神を夢想し敬い、水害の多い暴れ川を龍に見立てては治めようとする。かねてより人は信仰し従属することで、大いなる力の一部を手中に落とさんとしてきたのです」

「つまり、アンタの力が欲しい人間が種まき人として集まりアンタと契約していると?」

「いいえ、私と彼らは必ずしも契約で繋がっているわけではありません」

 黒い男の左手は、鰐淵の後頭部の口にかけられている。まるで鞄の取っ手を持つかのような粗雑さで。

「皆勝手にこうしているのですよ。『こうすれば力を与えてもらえるのでは』と私に期待し、崇拝し、従属して群がり媚びへつらっている。その力で“下層”を慰み者にして、自らの価値を誇示せんとしているのです。自分達はそれが許される超越者なのだからと」

「……つくづくゲスばっかりだな」

「しかし種まき人から見れば、“下層”である景清君が“上層”への貢献を無自覚に生きていることこそ非常識でしょう。こればかりは視点の問題です」

「でもおかしいだろ。契約していないなら、なんで鰐淵は呪文が使えたんだ?」

 僕の問いに黒い男はこっちを見もせず口笛を吹いた。腹が立ったけど、そういや質問は一人一つまでだっけか。

「ならば私が質問しよう」歯痒く思っていると、曽根崎さんが口を開けた。

「おい、ナイ」

「曽根崎にその名を呼ばれるとゾッとしませんねぇ……」

「答えろ。何故この男は呪文を使える?」

「簡単なことですよ。彼は呪文を又貸しされているのです」

「又貸し?」

「ええ。私と正式に契約した者から借り受ける形で、この男は呪文を使っています」

 そこで即座に僕の頭に浮かんだのは、モーニングを着た小太りで小柄な男の姿。何故か首に彫られたタトゥーの絵まで鮮明に思い出された。

 宙に浮かぶ黒い男の手が、ぐいと鰐淵の後頭部の口の端を持ち上げる。呻き声が漏れるその空洞は笑っているような形になった。

「司祭に有用と判断された構成員は、こうして呪文が使えるようになります。愉快ですよ。彼らは愛らしい皺だらけの脳を使い、好奇心で虫の羽をちぎる幼児のように人を脅かします。人を人とも思わない――否、同じ人類だからこそその残虐性は一層悲劇的で喜劇的なものにさせるのです」

「そんなの普通の感覚じゃない!」

「普通? それもまた景清君の主観による幻想でしかないことに気づくべきです。果たして君は、千を超える反対意見に囲まれてもなお自らをマジョリティと定義づけられますか?」

 めりめりと鰐淵の後頭部の口が開く角度を大きくしていく。聞こえる声はもはや絶叫に変わっていた。

「だから私はこうして種まき人を観測しているのですよ。彼らが用意してくれる愉快な舞台。その蜜を啜り、味を評価し、時に――褒美を与える為に」

 この事実を、曽根崎さんは知っていたのだろうか。不安になって盗み見た彼の表情は、憮然としていてどうとでも読み取れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
小説家になろう 勝手にランキング script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ