5 聴取
阿蘇さんによって手錠をかけられた男は、自らを鰐淵と名乗った。本名かどうかはわからないけど、今は便宜的にそれでいい。
「その爺さんの言う通り、俺は種まき人だよ」
鰐淵は、田中さんを下からすくい上げるような目つきで見る。
「あんまり人にバレちゃいけないんだけどさ。ほら、なんていうの。自分も仲間に入れてくれとか、安易にそういうこと言われたら困るしな」
「つまらない冗談だねぇ。世紀のカルト教団の仲間になるなんざ、真っ当な感性なら口が裂けても言わないだろうに」
「あ、まだそんな認識なわけ? 爺さん、アンタ偉そうにしている割に“下層”だね」
「下層?」
「おっと、これもアンタ達の言葉じゃなかった。構成員として長いとつい出ちゃうな」
こんな状況なのに鰐淵はニヤニヤとしていた。こういう表情をする人が何を考えているか知っている。「自分はお前達とは違う」という、人を見下した感情だ。
「確かに、種まき人は二十年前の事件によって下層に過激派カルト教団として認識された。全国各地で行った同時集団自殺によってね」
鰐淵は胡坐をかいて言う。……僕は集団自殺について知らなかったけど、今は先の話を聞くためにスルーした。
「だがあれはあくまで表沙汰にされた活動の一つでしか無いんだよ。我々は、アンタらが思うよりずっと包括的でクレバーな組織なんだ」
「へぇ。ならば何故そんな素晴らしい組織が愚にもつかない男にコソ泥を依頼し、壊れぬだけしか能の無い石を盗ませたんだ?」
「オッサンにゃあれが能の無い石に見えるのか。まあそうだよな、あれの価値が下層にわかるはずもない」
「……」
恐らく自分より年上だろう人にオッサン呼ばわりされた曽根崎さんは、えもいわれぬ表情で僕を見た。何かツッコんでやってくれ、じゃねぇんだよ。自分でやれ。
「あの石は人類発展の為に必要不可欠なシロモノだ。決して壊れぬだけが能じゃない。そうでなきゃ、ありとあらゆる種をこの世界に蒔く我々種まき人が目をつけるもんか」
「ふーん。具体的に何がどう人類発展に繋がるんだい?」
「そ、それは」
「なんだよ、答えられないのか。いや当然かな、君あからさまに下っ端のようだし」
「んだと!? むざむざ石を盗まれたジジイが減らず口を!」
図星だったのか、田中さんの言葉に鰐淵は激昂した。
「知ってるか? アンタずっと俺に俯瞰されてたんだぞ! 偉そうなツラして間抜けなヤツめ!」
「俯瞰ってのはさっきも言ってたね。一体どういう意味なんだい? 知能レベルの差により会話が成り立たないのはやむなしだが、特定コミュニティの造語をさも共通語のように振りかざすのは幼稚な人間の考えるマウントでしかないよ。頑張っててエライけど、対話を重んじる理性的な大人として振る舞いたいならやめたほうがいいんじゃないかな」
打って返された皮肉に鰐淵の頬がピクリと痙攣する。……田中さんに口喧嘩を挑むだけ不毛だろう。なんせ相手は海千山千の屁理屈を操る権力者なのである。鰐淵は言い返そうと口を開けたけど、何も思い浮かばなかったらしく悔しそうに吐き捨てた。
「……そんじゃ下層にもわかるように教えてやるよ。俺は司祭様に選ばれて、“見下ろす目”の呪文を与えられたんだ」
また新しい言葉が出てきた。
「うまくいけば誰がどこにいても全て見られる。この意味が分かるか? 俺はいつだってお前を殺せたんだよ! 本当は石を持っていることだってずっと前から知って……!」
「だったら何故今の今まで僕は放置されていたんだい?」
「う……」
「うまくいけば、と言ったね。ひょっとして君、自在に呪文を使うことはできないんじゃないかな?」
矢継ぎ早に核心をついた質問を浴びせられた鰐淵は、たじろぐ。でもこれ以上コケにされるのは我慢ならなかったのだろう。噛みつかんばかりの勢いで声を荒げた。
「うるせぇ、知ったような口をききやがって! この呪文だけじゃない、俺は選ばれている! 誘導の呪文だって与えられてるんだ!」
「――“誘導”?」
「そうだ! 唱えるだけで俺の思い通りの場所に下層を導ける呪文だよ。その気になりゃ海の中に飛び込ませることだってでき――」
「はあ? ンだよ、それ」
だがこれは阿蘇さんの地雷ワードだったらしい。一気に顔を険しくした彼は、鰐淵の胸倉を掴んで引き寄せた。
「それさ、爺さんじゃなくて俺に聞かせろよ」
「なっ、何を……!?」
「そういやお前、ゴミ神様の時にも一般人を捕まえて何か仕込んでたよな。もしかしてあれもそういうこと?」
「……く、くく……そうだよ、ご名答だ。俺があのみじめな“チェンジリング”を手伝ってやって、呪文で棲み処まで導いてやったんだ」
知らない言葉ばかりが男の口から出てくる。だけど今度はマウントでも何でもなく、普段から彼が使っている用語なのだと直感した。
いや、彼“ら”か。
「あのチェンジリングが自分の体を拒否って、自力で肉を引きちぎった所までは結構面白かったよ。でもそこまでだ。結局臭ぇし人は死ななかったしで全然楽しくなかったな。せっかく俺がお膳立てしたってのに……どうしてくれんですかねぇ、国家権力のお犬様」
曽根崎さんも僕も、チェンジリングについて詳しい話を聞きたかった。だけど今の阿蘇さんを遮ることはできない。彼はいよいよ恐ろしい形相を男に近づけた。
「なあ。今、面白かったっつった?」
「……ッ」
「教えてくれよ、何が面白いんだよ。テメェの関わったあの事件で社会的地位を失う人もいれば、人間関係の修復に苦しむ人もいた。なんか知らねぇけど、お前はさぞ頭がいいみてぇだな。ならこれの何が面白いか、さぞ素晴らしい言い分で納得させてくれるんだろ」
「……ウケるだろうが。俺と形だけ似た下層達が泣きながら同じ下層を共食いしてんだぜ」
阿蘇さんに怯みながらも、鰐淵は笑って言う。
「国家のお犬様はさぞ崇高な理念を思い込んでおられるみたいだけどさ。結局下層は上層の餌なんだよ。烏合の衆でも、使いようによっちゃ最高のエンターテイメントに変わる。種まき人ってのは、高い能力で人間社会を維持する代わりにそういった娯楽を享受できる選民なんだ」
「つまり上級国民だから一般市民をいたぶれる力を持つと? ……反吐が出るような思想だな」
「下層側からすると受け入れがたい事実だろうね。誰だって現実を直視したくない……。もっとも、アンタだってすぐ思い知らされるよ。俺は留置所に連れていかれるかもしれねぇが、不思議とすぐに釈放される。分かるか? 種まき人はあちこちに根を張っているんだ」
「どうだか。どんなに裏から手を回そうったって、うちの組織も一枚岩じゃねぇ。案外この場所が恋しくなるぐらい、我慢ならねぇぐらい窮屈な場所に留まることになるかもよ」
「……下層が」
鰐淵の唇が怪しく動こうとする。けれどついに長身の男が動いた。鰐淵以外の全員が耳を塞ぐ中、鰐淵の体がピーンと突っ張り崩れた。
「……後悔したくなければ、と言ったはずだ」
目玉だけをぎょろぎょろ動かす男を見下ろし、曽根崎さんは言う。
「呪文保持者がいるから警戒していたんじゃなかったか? 種まき人様は下層からの愚言に脆弱と見える」
「兄さん……」
「忠助、安い煽りにムキになるんじゃない。田中のジジイと同列になりたかねぇだろ」
「曽根崎君、聞こえてるぞ」
「それにそんなに躍起にならなくてもコレは下っ端だよ。大した情報は持っていない。拘束し、あとでゆっくり聞き出せば十分だ」
舐めた曽根崎さんの口調に、さぞ鰐淵は腹を立てているだろうなと思った。だけどもう彼にできることは何もない。阿蘇さんがしょっ引いてしまえばそれで終わりだ。
――終わりのはずだった。しかしここで、僕の感じていた胸騒ぎはついに形になってしまったのである。
突如不自然な風が吹く。生ぬるく、肌を撫でるような嫌な風。何よりそれは黒く渦を巻いていて徐々に濃くなっていった。今や空を覆い、僕らを押しつぶしてしまいそうなほどに。
鰐淵は驚愕していた。だけどその眼には、明確な歓喜が見て取れた。
「……やっと、情報を持ってそうな奴が来たじゃないか」
負けじと曽根崎さんの唇も歪む。彼の視線の先に立っていたのは、闇から生まれたように現れた黒い服を身にまとった男。
「今日は殊更不快な顔だな」
彫りの深い顔をした“人間の男”は、嘲るように笑った。





