3 取引現場
阿蘇さんの異変に気づいたのは僕だけじゃなかった。
「どうした忠助。相手を知っているのか」
曽根崎さんである。阿蘇さんは少し考えるようにうつむいた後、頷いた。
「間違いねぇ。緑の服の男、アイツはゴミ神様騒ぎの時に護送車から逃走したヤツだ」
「ああ、呪文所持疑惑のある」
ゴミ神様騒ぎというと、先日阿蘇さんが解決した怪異事件である。背後に種まき人の影があったとのことだけど、僕は資料で概要を読んだだけで詳しい話は知らない。でも流石に曽根崎さんはちゃんと把握しているらしかった。
「しかしどうして奴がギロと繋がってんだか」
「わかんねー。ここからだと話が聞こえねぇし、もう少し近づいてみよう」
誰も異を唱える者はいなかった。男四人だとこっそり動くには結構な大所帯だったけど、幸いギロさん達は話に夢中で僕らに気付く素振りは無い。
「これが約束の品だ」ギロさんが、ポケットからつるりとした黒い石を取り出す。
「本当にこんなもんで百万がもらえるのか?」
「ええ、勿論です」
――ひゃ、百万? 額に驚いて相手を観察するも、どう見たって普通の三十代前半の男性でしかない。とてもそんな大金が絡んだ取引をする人とは思えないけど……。
「彼、案外金持ちかもね」
ぽつりと呟いた田中さんに顔を向ける。
「左腕にしてるあの時計、相当な値打ち物だよ。履いているスニーカーだって海外のハイブランドだし、ジャケットもよく見りゃ完全オーダーメイドで有名な店の品だ。全身総額四百万といった所かな」
「え、すご」
「ただ組み合わせのセンスは壊滅的さ。まったく、彼は服をワンランク下げても専属スタイリストを雇うべきだったね」
言いたい放題だけど、彼の言葉通りならポンと百万円を出しても不思議じゃないのかな。そこまでして種まき人が石を欲しがる理由は謎だけど。
いよいよ近くの植え込みまで来る。葉の隙間から覗き見たギロさんは、やれやれと頭を掻いていた。
「つーかこんな石、何に使うんだよ。言っちゃあなんだがマジでただの石だぜ」
「余計な詮索は無用です。あなたはただ我々に石を渡してくれるだけでいい」
「“我々”、ね」
「それはそうと……」
さりげなさを装っていたのだろうけど、僕は男の目が怪しく光ったのを見逃さなかった。
「この石は、どこで手に入れたのです?」
「えー? どこだったかなぁ。日本国内なのは間違いねぇよ。ただ俺も撮影だの舞台だので点々としてっからさ」
「どうしても思い出せませんか?」
「すぐには無理だ。あ、上乗せ三十万ほどでちったぁ記憶が明るくなるかもしんねぇけど」
いけしゃあしゃあと取引額を増やそうとするギロさんに、緑の服の男は目線を自分の後ろにやる。そこには白いワンボックスカーが、エンジンをかけっぱなしで停まっていた。
「……わかりました。三十万円とは言わず、五十万円増やしましょう」
「お、話がはえぇじゃねぇか」
「ただし今の私に持ち合わせはありません。額も額ですし、車内で取引願えませんか」
「ハン、そりゃ飲めねぇ相談だぜ。俺ぁ昔ヤクザに攫われてからワンボックスカーがトラウマになってんだ」
隣で阿蘇さんが「事実だよ」と教えてくれる。彼の言うには、以前某組長の愛人に手を出しあわや半殺しの憂き目にあったらしい。ドラマよりぶっ飛んだ人生だ。
「ここで金を渡せねぇってんなら、取引はおしまいだ」
ギロさんは挑発的に笑うと、石を持っていないほうの手で顎を撫でる。
「石だけ持ってとっとと帰りな。十分ガキの使いは果たせたろ」
「……どうあっても、石の拾った場所について口を割るつもりは無いと」
「譲らねぇオメェさんに俺が譲る謂れはねぇ」
――男の舌打ちは、ここにいても聞こえた気がした。それを合図とするように車のドアが開き、マスクとサングラスをつけた人が複数出てくる。逃げようとしたギロさんだったが、緑の服の男に羽交い絞めにされた。
咄嗟に長い腕で払いのけるも、足止めには十分である。追いついた男らに口を塞がれたギロさんは体を倒され、否応無く車に引きずられていった。
「何をしている!」
そんな中、真っ先に動いたのは阿蘇さんだった。今は警察服だし、さぞ視覚的な効果も大きいことだろう。何より彼が実の父親だからって見捨てなくて本当に良かった。
けれどそうやって胸を撫で下ろす手は、響いた銃声にぴたりと止まった。
「え……!?」
引き攣った顔をした阿蘇さんの足下の地面が抉れている。――車の中から出てきた一人が彼に向けて発砲したのだ。
「何も驚くことは無いね。バックにいるのは種まき人なんだ」
軽やかに答えて立ち上がったのは、田中さんである。
「案じる必要は無いさ、ガニメデ君。今より僕が実に平和的な対話にてコトを解決に導いてやろう」
「でも相手は銃を……!」
「うん、それこっちにもあるから」
言うが早いか彼は空に向けて発砲した。心臓は跳ね鼓膜はビリビリと痺れる。それは当然、僕だけに起きた現象じゃなかった。
「やあやあやあ! 善良で非力な警察官に対し何だね、君達は!」
時が止まったような沈黙の中、ずかずかと阿蘇さんの隣までロマンスグレーが進んでいく。
「目には目を、歯には歯をという言葉を義務教育で教わらなかったのかい? ならば教授してやるのが正しい大人の姿さ!」
足を止めた田中さんの口角が、ニヤリと引き上がった。
「――さあ、土を舐めながら感涙するといい。僕の授業は安くないぞ」
……車から出てきた人達の表情は見えないけど、少なくとも緑の服の男の人と阿蘇さんはドン引きしていた。





