2 石はどこへ
「壊せぬ石は、かつて知り合ったとある女性から貰い受けたものだ」
僕らの沈黙を説明要求と受け取った田中さんは、語り始めた。
「残念ながら彼女は余命幾許も無い身でね。だからせめて贈り物をしたいと思い、好きな宝石を尋ねたことがあった。すると彼女は『嫌いな石ならある』と言ってそれを差し出したんだ」
「実はこれ、昔好きだった人からもらったものなの」
「……」
「何度も壊そうとしたのだけど、結局壊せなかった。……私はこの体だし、お願いできるならあなたにこれを壊して欲しいの」
「……大事なものじゃないのか」
「とんでもない。粉々にしてくれる?」
「――それが、彼女と交わした最後の言葉になった。贈るはずだったものは渡せず、ついに僕は貰いっぱなしになってしまってさ。約束だけは守ってあげたいと思ったんだけど……僕にはどうしても石を壊せなかった」
「……田中さん」
「いやぁ、本当にアレもコレも試したんだけどねぇ。ダイヤを削るドリルでも傷一つかないとは難儀なものさ」
「え? マジで壊そうとしたんですか?」
「そりゃそうだよ、だって壊せってのが彼女の願いなんだよ? 国語のテストのように遠回しな意図なんざ汲む謂れは無いね」
ついツッコんでしまった僕に、田中さんはふんぞり返って言う。
「よもや『彼女から貰ったものだから大切すぎて壊せない』なんて言うとでも思ったかい? おセンチな発想は二十歳を超えたら秘するべきだ」
「何も言ってませんが」
「ここは事実をそのまま鵜呑みにしておくれ。彼女も僕も考えうる最高の手を使って石を壊そうと躍起になっていたし、曽根崎君にもそうしてもらいたいと思っている」
「えー」
ほんの数秒だけでもしんみりしてしまった僕の純情を返してほしい。かといって口で勝てるわけないので押し黙ったのだが。
「で、どうして今になってその石を私に押しつけるんです?」
一方、曽根崎さんは迷惑そうな様子を隠そうともしていない。
「壊せないなら地中深くにでも埋めりゃいいでしょう。その上にアメリカネムノキでも植えればいい」
「空いっぱいに枝葉が広がるから雨宿りしながら想いを馳せられるな。いやそうじゃない、僕はどうにかして彼女との約束を果たしたいんだよ」
「しかし石の粉砕なんざ私の専門外ですが」
「そうでもない。何故なら分析の結果、多少石灰が多かったぐらいで至って普通の石だとわかった」
「つまり?」
「多分怪異だ」
「くだらねぇ」
本日二回目の発言と共に「はー」と曽根崎さんは長いため息をついた。やはり乗り気じゃないらしい。けれど僕としては、少なからず田中さんに協力したい気持ちが芽生えかけていたのである。
その女性とどんな関係か、かつどれぐらい前の話かはわからない。でも田中さんは曽根崎さんと同じぐらい負けず嫌いな人だ。本当は自分の力で壊したかっただろうことぐらい、容易に想像がつく。
「とりあえず、石を見せてもらえませんか?」渋い顔の田中さんに僕は声をかけた。
「どんなものか知りたいですし、実物を見たら曽根崎さんも気が変わるかもしれません」
「おい、何を勝手なことを」
「いいじゃないですか。どうせ他に仕事も無いんですし」
「む」
「……」
田中さんはキョトンとして僕を見ていた。けれどふっと表情を和らげ、微笑む。
「恩に着るよ、ガニメデ君」
「そのあだ名はそろそろ飽きてください」
早速、田中さんは意気揚々と袂に手を突っ込んで石を取り出そうとしていた。けれど「おや?」と眉をひそめたかと思うと、反対側の袂を探し始める。それからもう一度、元の場所も。
「……」
「……」
壊せぬ石は、無くなっていた。
「ギロあの野郎!!」
「まままま待ってください! まだ盗まれたと分かったわけじゃないです! 単に落としただけかもしれないじゃないですか!」
「それが財布も一緒に無くなってるんだなぁ!」
「じゃあ間違いなくギロの仕業だな。警察を呼ぼう」
「息するように阿蘇さんを巻き込まないでください! 今お仕事中なのに!」
「仕事中だからこそだろ。実の父親が盗みを働いたと聞けば顔色変えてすっ飛んでくる」
「可哀想ですよ! いいから追いましょう、そんなに遠くへは行ってないはずです!」
もつれるようにして事務所のドアを開け、僕らは階段を走り降りる。っていうかギロさん、本当に曽根崎さんと阿蘇さんのお父さんだったんだな。
……曽根崎さん、実のお父さんのこと芸名で呼んでるんだ……。
道のど真ん中に出て周囲を見回すも、当然姿が見えるはずもない。だけどこちらの布陣にいるのは、実の父の性格をよく把握する曽根崎さんと比類無き財力を持つ田中さんだ。ついでに、二人とも目的の為には手段を一切選ばないいい性格だったのもあり。
「実はこんなこともあろうかと財布にチップを埋め込んでたんだ。レーダーによると、ギロは今この辺りにいるようだよ」
「おや? この近辺にはパチンコ屋も賭場も無いはずです。もしや非合法の……?」
「こんな真昼間から非合法の賭場に入るなら僕の財布を盗んだりはしないだろう。自分のせいで警察をぞろぞろ連れてきてはコトだからね」
「でしたら別の目的があると見たほうがいいでしょう。例えば誰かと会う予定……取引があるなど」
「ふむ、一理ある。しかもかなり厄介な相手と見た」
「ええ、あのギロが我々が追ってくる可能性を考えていないとは思いませんからね」
散々な評価を元にした推測でギロさんの状況が特定されていく。こんな大人にだけはなっちゃいけないな。
「クソ親父が兄さんに金せびりに来た挙げ句、盗みを働いたと聞いて」
そしてやっぱり来てしまった阿蘇さんである。たまたま近くをパトロールしていたとのことだけど、申し訳無さと不憫さが拭えない。
「でも父さん、田中さんの財布盗んでるんだろ? タクシーとか使われたら逃げられるんじゃねぇか?」
「有り得ない。奴は飯食う金さえパチンコ玉に錬金する人間だ」
「腐ってやがる……」
阿蘇さんは一応父さんって呼ぶんだな。やっぱ評価は散々みたいだけど。
そうして僕らは連れ立って、ギロさんがいるらしい運動公園へとやってきた。
「うん、さっきからこの場所でポイントが動いていない。瓢箪野郎はここにいるはずだ」
田中さんの言葉で僕らはこそこそと捜索する。間もなく、木々が植えられて人目につきにくい場所でギロさんの姿を発見した。
少し離れた場所から茂みに隠れて様子を見る。サングラスをして帽子をかぶってはいるけど、遠目からでも分かる抜群のスタイルの良さは隠せない。
「……誰かと話しているな」
曽根崎さんが呟いたのを聞いて、首を伸ばして確認してみる。さっきまでは角度的に見えなかったけど、ギロさんの向かいに緑の上着を着た男の人がいた。
だけどその姿を確認した阿蘇さんが驚いたように息を飲んだのを、僕は見逃さなかった。





