1 二人の訪問者
往々にして偶然の出来事は起こるものだ。あの日、曽根崎さんの事務所で珍しくテレビがつけっ放しになっていたのもその一つで。
「あ、この役者さんいいですよね」
映っていたのは壮年の俳優。佳境に差し掛かった二時間サスペンスドラマにて、いよいよ犯人として探偵に名指しされた所だった。
「ぐっと引き込まれる魅力があるというか。普段はそうでもないのに、見せ場での表情と声に迫力があるんですよね。特に眼力がすごい」
「ふーん、味噌汁」
「もっと会話する努力をだな」
今日も僕の雇用主は興味のない話題にテキトーである。呆れたもんだと思っていると、散らかったデスクの上から鋭すぎる目が覗いた。
「つーか君、何テレビ見てるんだよ。バイト中だろ」
「休憩中ぐらいいいじゃないですか。今日はお客さんの予定も無いですし」
「同じ見るならこっちの映画にすればいい。ほらDVD」
「えー。ちなみにタイトルは?」
「燃えよペンタゴン」
「某国国防総省絡んでます?」
「中身は悪質なパロコメディだ。舞台挨拶の場で監督が謎の黒服に拉致された」
「なんでそんな危険物がここに……。いいからドラマ見せてくださいよ。そうだ、曽根崎さんもこの俳優さんみたいに髪型まとめてみたらどうですか? 結構雰囲気とか似て――」
「くだらねぇ」
「あー!」
まさにトリックが暴かれようとしたタイミングでテレビを消されてしまった。見始めたのは五分前からだけど、ちょうど面白い部分だったので消化不良気味である。ひでぇや、曽根崎。
けれど消されてしまっては仕方ないので、大人しくバイトに戻ることにした。それにしても、あの俳優さんの名前は何て言ったっけな。確かふくべ……。
「邪魔するぜー」
懸命に思い出そうとしていた所でドアが乱暴に開かれた。あれ、今日は来客予定なんてあったっけ? っていうかインターフォンすら鳴らなかったな……。だけどそんな様々な疑問は、訪問者の顔を見た瞬間に吹き飛んだ。
「近くに寄ったからよー、たまには顔見ておこうと思ってさ」
「あ、あなた……!」
「ん?」
「もしかして、俳優の服辺ギロさんですか!?」
「おー青年、俺のこと知ってんのか」
無精髭の生える精悍な顔に、人懐っこそうな笑みが広がる。背は高く、足はモデルかと思うほどに長い。パーマのかかった髪を大雑把に頭の後ろでまとめ、平時から鋭い眼光で事務所内を見回す彼――服辺ギロさんは、紛れもなく僕がさっきまで見ていた俳優その人だった。
「へ? あれ? 本物?」
「おう、本物だとも。何なら握手してやろうか?」
「ぜひお願いします! わー、初めて見た……!」
「景清君、ちょっと頭を下げてくれ」
「? こうですか?」
曽根崎さんの指示通り僕が身を屈めた途端、何かが頭のてっぺんを掠める。同時にゴッと打撃音がして目の前のギロさんがぶっ倒れた。しゃがんだ体の隙間から、片脚をトンと床についた雇用主と目が合う。
――コイツ、今ギロさんを回し蹴りしやがった!?
「ななな何してんですか、アンタ!?」
「クソッ、急所は外したか……!」
「正気ですか!?」
「はは、相変わらずヤンチャだな慎司は……」
むくりとギロさんが身を起こす。どうやら傷は浅いらしい。それからおもむろに立ち上がると、狼狽する僕をよそに大股で曽根崎さんの元に歩いていった。
共に180センチ超えの二人が並ぶと、石柱を前にしているみたいだ。そしてギロさんは、キザな仕草で右手を突き出した。
「またしばらく見ねぇ間にまたでかくなったじゃねぇか。いいもん食ってるか?」
「……」
「早速でわりぃんだが、金貸してくれや」
「死ね」
ポケットに手を突っ込んだまま、曽根崎さんのローキックが炸裂した。未だまったく二人の関係性が見えない僕はドン引きするばかりだが、ギロさんの目はまだ諦めていない。
「なんでだよ! 倍……いや三倍にして返すから!」
「その文言で引っかかると思ってんのか。とっとと寄生先に帰れ」
「アイツ財布の紐クソかたくてさ」
「相変わらず真っ当な女を引っ掛けやがる」
「ンだよ、いいじゃねぇかよ! 親の言うことが信じられねぇってのか!」
「――え?」
ギロさんの口から出た単語にギョッと目を見張る。けれど曽根崎さんは一切動じず、親指を下にして言い放った。
「子供の金でパチ行く親の何を信じろってんだ、ゴミクズ。や、ゴミはまだ役に立った後の存在だからそれ未満か」
「え? え?」
「口がわりぃ。そんな子に育てた覚えはねぇぞ」
「こればっかりは育てられた覚えも無い」
……親? え、ギロさんが? 曽根崎さんの? 嘘だろ?
でも、言われてみれば似てなくもないのだ。目つきとか。髪の感じとか。
だけど確認する前に、新たな訪問者によって事態は更なる混沌へと突き進む。これまたインターフォンすら鳴らされず、バンとドアが開いた。
「やー、失礼するよ! 僕だよ、僕! みんな大好き正義の使者、田中時國さんだよ!」
ツクヨミ財団トップ、田中理事長である。
「まったく曽根崎君、あれほどスマートフォンの電源は入れておけと言っただろう。よもや着信拒否だなんて無粋は働いていないと信じているが、何せ君のことだからな。念の為直接調べさせてもらえれば今後の信頼関係の為にもいいんじゃないかと……」
そんな彼の視線が、はたと曽根崎さんとギロさんに止まった。……あれ、面倒の種が増えたと思ったけど、これチャンスじゃないか?
そりゃ性格はちょっとアレだけど、なんだかんだで最年長者なのである。ここは年の功をもって、この諍いに収拾をつけてくれ――。
「なんだギロか。死ね」
「田中さーーーーーーん!!」
しかし一も二も無く銃口を向けやがった為、慌てて止めに入った。誰だこのヤベェ人に拳銃持たせたの。なるほど自己判断か、もっと間に人を挟め。
そうしてしばらく三つ巴ならぬ四つ巴で揉めた挙げ句、ギロさんがほうほうのていで逃げだしたことで一応の決着となった。曽根崎さんも田中さんも割と本気だったので、流れでギロさんを庇うことになった僕はめちゃくちゃに疲弊した。
「やれやれ、アイツは忘れた頃にやってくるな」
腰を深く椅子に沈め、まるで天災のような物言いをする曽根崎さんである。僕からすると全員どっこいどっこいだったけど、口にするのはやめておいた。
彼は僕の入れた麦茶を一気飲みした後、田中さんに向き直る。
「それで、何のご用です? わざわざギロを追っ払うまでしたんです。また秘密裏の依頼でも持ってきたんでしょう」
「ご推察感謝するよ。ただ秘密裏というのはその通りだが、今回はツクヨミ財団としての依頼じゃない。僕――田中時國個人の頼みでさ」
両腕を反対側の袖口に入れた田中さんは、どこか力無く言う。最初こそ疲れただけかと思ったのだ。だけど、それもちゃんと田中さんの顔を見るまでだった。
「――壊せぬ石」
銀縁眼鏡の向こうには、彼にしては珍しい沈痛な表情があった。
「君には、僕に代わってその石を壊して欲しい」
曽根崎さんは眉を一つ動かしただけで、あとは無表情に彼のバリトンボイスに耳を傾けていた。





