9 二人の田中
「紅茶の用意をしてきましょう」
そう言って宙國さんが離席した後。束の間謎の緊張感から解放された僕は、ぺそりとテーブルの前で頭を垂れた。
「はあぁ、びっくりしました……。まさか田中さんが双子だったとは」
「まあわざわざ話すようなことでもないからな。立場上、自分と瓜二つの顔があるのを知られるのはあまり良くないし」
「財団長ですもんね。でもあれほど性格が違ってたら、人違いも無いんじゃないですか? 僕の知ってる田中さんって、めちゃくちゃ破天荒でいつも銃ぶっ放す理由を探してる人ですよ」
「君もずいぶんと言うようになったなぁ。けれどほら、狙ってくるのが田中さんの性格まで知ってるとは限らないだろ」
「そっか、顔を見るだけなら当然間違えられるか。でもほんと、性格だけ見たら別人なのになぁ。曽根崎さんだって、田中さんとは全然態度違いましたし」
「私とて敬意を払うべき人にはそうするさ。加えてヒロさんは……」
彼が何か言いかけた所で、ティートレイを持った宙國さんが帰ってきた。白磁のお皿には山盛りのクッキーがあって、つい目が吸い寄せられる。
「お待ちどおさま。クッキーもよかったら食べてもらえないかな。お客様からのいただきものだけど、私一人じゃ食べきれなくてね」
「あ……では、ありがたく!」
「ありがとう。アップルティーは苦手じゃないかい?」
「はい! 大丈夫です!」
宙國さんは微笑むと、上品なデザインのカップにアップルティーを注いでくれた。……顔が殆ど同じなせいか、田中さんに優しくされてるみたいな不思議な感覚である。あと、あの曽根崎さんが借りてきた猫のように大人しくサクサクとクッキーを食べているのもちょっと面白い。かしこまっているせいか、なんかいつもより体が小さく見えるな。
ここでカランとドアベルの音が鳴った。誰か来たようだ。
「あーもう疲れたー! ヒロ、曽根崎君は来てるかい!? それとお腹空いたからオヤツくれよ!」
眉間に皺を刻み、ずかずか大股でやってきたのは和装のロマンスグレー――今度こそ、ツクヨミ財団トップの田中時國さんのご登場である。
「おや、トキ君。曽根崎君なら、今お茶してる所だよ」
「げ、じいさん」
「げ、とはなんだい、げ、とは! そもそもここに僕を呼んだのは君じゃないか!」
頬を膨らませて、田中さんは猛抗議する。どうやら田中さんと曽根崎さんはここで待ち合わせしていたそうだ。だというのに、曽根崎さんは優雅に紅茶を飲んで淡々と吐き捨てる。
「呼びはしましたが、約束の時間は一時間後ですよ。耄碌しては時計の針も追えませんか」
「予定より早く仕事が片付いたから、飛ばしてここまで来たんだよ。第一、ここは僕の兄の店だ。一時間ほど思い出話に花を咲かせたいと思って、何が悪いんだい」
「悪くはありませんが、老体の身で感傷に耽るのは控えた方がよろしいかと。老化と共に衰えた大脳の中枢機能が感情を抑制できず、みっともなく大泣きしてしまってはいけません。いくらあなたとはいえ、外聞や体裁があるでしょうしね」
「生憎と僕はまだ若いからねぇ。灰色の脳細胞が隙間なく機能する僕のオツムの心配より、君自身と愛しのガニメデ君に心を砕いてやるほうが賢い時間の使い方じゃないかい?」
「ンだとコラジジイ」
「お、やるか若造」
喧嘩が始めてしまった。割って入れずあわあわとする僕に、宙國さんはやっぱり微笑んだままお茶のお代わりを入れてくれる。
「放っておいて問題無いかと。いつものことです」
「そ、それはそうかもですけど」
「あれはあれで戯れているのでしょう。曽根崎君は昔の弟によく似ていますからね」
「あ、やっぱり?」
僕の返事が面白かったのか、宙國さんは小さく吹き出した。
「ええ。頭の回転が早く、口達者。なんなら私より双子らしいぐらいです」
「言ったら本人は怒りそうですけどね」
「本当のことを言われたら、大抵の人は怒るものですよ。さて、口論をしたら喉も乾くでしょう。新しくお茶を作って来ようと思うのですが、竹田君、手伝ってもらえませんか?」
「はい、えっと、宙國さん」
「ヒロで構いませんよ。皆そう呼んでます」
「では、ヒロさん。僕でよければお手伝いします」
「助かります」
だが、僕が席を立とうとした時である。またもドアベルが澄んだ音を店内に響かせたのだ。ただし今度は、店にいた全員に見覚えがない人だったのだが。
「いらっしゃいませ、お客様でしょうか?」店の奥に行きかけた宙國さんが、足を止める。
「すいませんが、本日はお休みをいただいておりまして……」
「自分は客ではありません。人を探していましてね」
「人を?」
帽子を目深にかぶったスーツの男の前で、宙國さんが動きを止める。しかし遅かった。次の瞬間、宙國さんは首に腕を回されこめかみに銃を突きつけられていたのである。
「なっ……!?」
「ツクヨミ財団理事長田中時國。同じ顔が二つあるのは想定外だが……まあいい。二人とも来てもらうとしよう」
「やめたまえ! その人は財団に一切関係無い。連れて行くならこの僕だけにするんだ!」
「そう言うってことは、お前が田中時國か」
名乗り出た田中さんを、男は鼻で笑う。……恐らく、ツクヨミ財団に敵対する組織の人なのだろう。田中さんは尾行され、店を突き止められてしまったのだ。目の前で繰り広げられる映画のような事件に、僕は動かなければと思うのに足がすくんでしまっていた。
「いいや、お前を拠点に連れ帰るまではコイツにも来てもらう。人質としては有能そうだからな」
「卑怯な……!」
「おっと動くなよ。言っておくが、今裏口から俺の仲間が入ってきている。三秒以内に全員手持ちの武器を捨てて、床に伏せろ。でないとこの男の頭は――」
「裏口から?」
驚いたようにヒロさんが言う。それから男の言葉を待たず、続けた。
「弱りましたね。だとしたらあなたのお仲間は、相当悪い状況でしょう。何故ならうちは特別なお客様も多い。セキュリティには殊更気を払っておりますので」
「あ?」
「もしも、もしもですよ? 其方に若干の油断等があったのなら、今頃皆様綺麗にひっくり返られていると思われます」
落ち着いた声を聞いた男の目に、僅かな動揺が浮かぶ。でも隙をつけるほどのものではなくて、「3」と男はカウントを始めた。
「2」田中さんが懐から銃を出す。「1」膝をついて、拳銃を床に置く。「ゼ……」曽根崎さんが、内ポケットに手を伸ばした。
「!」
初めて動いた曽根崎さんに、男は気を取られた。けれど銃をめり込ませようとしたこめかみは、既に彼の腕の中に無い。
身を屈めて男の支配を逃れていたヒロさんは、ヒュッと風を切って足払いをしたのである。
「ぐあっ……!?」
ぐらりと男の体が傾き、後ろの壁に強く後頭部を打つ。それでも銃は手放さなかったが、ここまでくれば数の多いほうが有利なものだ。曽根崎さんが素早く走り、ブーツの踵で男の拳銃を持ったほうの手を踏み潰す。その間に起き上がったヒロさんが、男の腕をねじり上げて床に押しつけた。
「そりゃあ当然知っていたとも。君達が僕をつけていたのはね」
とどめの田中さんが、実に悪い笑みで男の額に銃口を突きつけた。
「実に気持ちよく泳いでくれたものだ。海と思い込んだ水槽の泳ぎ心地はどうだったかい?」
「お前……!」
「ああ、お仲間が裏口で伸びてるのも口から出まかせではないよ。この店は“そういう場所”なんだ。君達のような、思い上がった追跡者をウサギに変える罠場――。これに懲りたら、二度と僕の兄を巻き込もうだなんて考えないことだね」
まあでも……と、意外にもヒロさんが言葉を継ぐ。
「君には、もうそういった機会も回ってこないだろうけれど」
穏やかながらも底知れぬ恐ろしい声色に、僕はぞっと身を震わせた。男も同じなようで、もはや抵抗する素振りすら見せない。
「……そういうことだよ、私が彼に敬意を払う理由」
いつのまにか僕の隣に来ていた曽根崎さんが、そっと僕に耳打ちする。
「あの人な、怒らせるとべらぼうに怖いんだ」
……なるほどね? どんな弁より雄弁な光景を前に、僕はただうんうんと頷くしかできなかった。





