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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
特別編1 僕とあなたの小旅行
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8 テーラー天照

 本日も晴天なり。なんとかお酒も抜けた午前十時、僕の運転する車はなだらかな坂道を下っていた。

「このレンタカーはどうするんだ? 系列店に返しゃいいのか」

「はい。そこから新幹線に乗って、最寄りの駅に着いたらタクシーに乗り換えます」

「分かった」

 さあ、今日で曽根崎さんとの旅行もおしまいだ。最後の最後で台無しにしてしまわないよう、ハンドルを握り直す。カーナビ音声が、一キロメートル先を右に曲がるよう告げた。

「今日行く所ってテーラーですよね。服の仕立て屋さん」

 尋ねると、横から「そうだよ」と返ってくる。癒しまくりツアー最後の行き先は、曽根崎さん自身が指定した場所だった。

「贔屓のお店なんですか? 曽根崎さんのスーツを作ってくれてる所とか」

「まさしくその通り。普段私が着ているのも、概ねテーラー天照あまてらす製さ」

「へえ。詳しいわけじゃないけど、曽根崎さんのスーツって質がいいですよね。結構派手に動いてるのに、破れてるのとか見たことない」

「ヒロさんは腕がいいからな。教えを乞いに、わざわざ来日する者もいるぐらいだそうだ」

「ヒロさん……」

 曽根崎さんが愛称で呼ぶなんて珍しい。もしかしたら、結構長い付き合いなのかな。

「いずれ君を紹介しなければと思っていた」

 どこか声に機嫌の良さを滲ませて、彼は言う。

「いい機会だし、君もしっかり挨拶をしておくといい。寛容な人だが粗相の無いようにな」

「だ、大丈夫ですよ。僕を何だと思ってるんです?」

「初対面でも平気で飛び蹴りくらわせる人間」

「人は選びますよ!」

「否定はしないんだな」

 だって、前科あるし。でもあの時は曽根崎さんも危なかったし、こっちもこっちで必死だったし。

 目的地までは、あと十五分足らずである。そこまで言うなら身だしなみを整えなきゃなと、僕は信号待ちの間にバックミラーを見て寝癖を片手で撫でつけたのだった。




 お土産でパンパンになった旅行鞄を引きずり、僕たちはとある街へとやってきた。テーラー天照は、街並みにひっそりと収まった小ぢんまりとしたお店だ。ショーウィンドウの中には、パリッとした仕立てのスーツが一着だけ飾られている。

「ごめんください」

 カランと澄んだ鐘の音と共に、曽根崎さんが店内へ足を踏み入れる。慌てて僕も「こんにちは」と続いたが、緊張していたせいか妙に声が掠れてしまった。

「ヒロさん、曽根崎です。いらっしゃいますか」

 案外奥行きがある室内に、曽根崎さんの声が響く。両脇にある木製の棚には、スーツの見本だろう生地が整然と並べられていた。それら品に見入っていると……。

「やあ、曽根崎君」

 聞き覚えのあるバリトンボイスが耳に届く。顔を上げて驚いた。二階へと続く階段から降りてきていたのは、黒縁眼鏡の奥に涼やかな目元を覗かせるスマートな五十代後半の男性――他でもない、ツクヨミ財団のトップである田中さんだったのだ。

「た、田中さん!?」

「はい、田中と申します。そう言うあなたは竹田君ですね」

「なんでこんな所に!? それにすごく紳士的だし……あ、ひょっとして世を忍ぶ仮の姿!?」

「景清君」

「まさか普段の傍若無人な振る舞いっぷりは演技だったとか……!?」

「景清君」

 曽根崎さんに二度嗜められて、急いで口をつぐむ。……落ち着いてよく見れば、濃いブラウンのスーツを着た彼は僕の知ってる田中さんとは少しだけ違うように思えた。あの人の髪は白髪混じりのロマンスグレーだけど、目の前の人は髪の生え際まできっちり黒に染められている。あと、田中さんの眼鏡は銀縁で、この人のは黒縁だ。

「驚かせてしまい申し訳ありません。竹田君の言う田中とは、きっと弟のことですね」

 自力で答えに辿り着く前に、その人は軽く会釈をして柔和に微笑んでくれた。

「申し遅れました。私は彼の双子の兄である、田中宙國たなかひろくにといいます。とはいっても時國のような傑物ではなく、見ての通り小さなテーラーを営む一仕立て屋です。以後、お見知り置きを」

「お、お兄さんなんですか!? 田中さんの双子の!?」

「ええ。よく似ているでしょう?」

 彼――宙國ひろくにさんは、おかしくてたまらないみたいに肩を揺すって笑った。その仕草は、僕の知ってる田中さんには無いものだった。

「す、すいません。僕、勘違いして……」

「いいえ、どちらか一方を知る方は必定同じことを仰います。竹田君だけではありません」

「お、恐れ入ります。あの、改めまして、僕は竹田景清です。大学生で……えっと、曽根崎さんのお手伝いをしてます」

「ええ、聞き及んでおります。年若いながら、立派に曽根崎君のサポートをしていらっしゃると。彼は利発である一方、少々危なっかしい所がありますからね。竹田君のように頼れる方がそばにいるならば、これほど心強いことはありません」

「ほえ」

 雨のような褒め言葉を浴びて、僕は数秒固まってしまった。いや、決して押しつけがましくないのだ。むしろどこまでも優しくて、ずっと聞いていたい心地よさがある。

 ……一般的にいいお父さんっていったら、こういう人を指すのかな?

「日程変更のこと、ご面倒おかけしました」曽根崎さんが、ぺこりと頭を下げる。

「なにぶん急用が入ったもので」

「構わないよ。君が多忙なのは承知している。私のほうが都合を合わせやすいのだから、これからも遠慮無く言ってくれ」

「ご高配感謝します」

「さて、スーツを直すんだったね。早速見せてもらえるかい?」

 曽根崎さんは頷き、手提げ鞄を差し出す。コテージを出る前に、彼がスーツケースからごそごそと移していたものだ。

 ガラステーブルに広げられたのは、曽根崎さんがいつも着ているスーツである。こうして見ると、やっぱり生地などは僕のリクルートスーツより数倍しっかりしてる気がした。

「……かなり、無茶をしたのかな」

 そんなスーツを前に、宙國さんは複雑そうに眉をひそめる。

「飛んだり跳ねたり、力仕事をしたり引きずられたり、転んだり水に入ったり」

「そうですね。すいません」

「なに、畏まることは無いよ。服というものは身を守るもの。そういう時に、私の仕立てた服を着てもらえていたのは光栄さ」

 穏やかに答えて、あとは無言でスーツを手にとって見ていく。しなやかな手の動きを追っている間に、僕は宙國さんの左手の薬指に指輪が嵌まっているのを見つけた。結婚しているのだろう。そういや、田中さんの指に結婚指輪らしきものは見たことないけど、あの人は独身なのかな。

「曽根崎君」

「はい」

「スーツ、直すより新しく作るほうが安くなるけど、どうする?」

「差し支えなければ、直していただけると助かります」

「ありがとう。だったら気合いを入れて修理するとしようかな。それと、ちょっと来てもらえるかい?」

「なんでしょう」

 いつもの数倍素直な曽根崎さんが、いそいそと宙國さんの手招きに応じる。すると宙國さんは、首にかけていたメジャー(テープメジャーというらしい)を彼の肩に添わせ、ついで足から頭の先まで測り始めた。

「やっぱり。一センチ身長が伸びてる」

「そうですか」

「まだまだ育ち盛りってことだ。時國も喜ぶんじゃないか?」

「はは、どうでしょう」

「他のスーツも持ってきてるかな。一緒に直しておくよ」

「ええ、何枚かは。家にある分は、追って郵送するようにします」

 ……多分、この郵送の手配は僕がしなきゃならないんだろうな。チラッと曽根崎さんが寄越した視線に、うっすら察した僕である。まあバイトの範囲内ではあるだろうと、僕は小さく指でオッケーサインを返してやったのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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