7 星空の下で言葉を
とはいえ、酔ってる自覚はあるからセーフだと思う。僕は大丈夫。僕はまだ余力を残している。
「いいから休めって」
僕に水の入ったコップを渡してくれながら、ラフなシャツ姿の曽根崎さんは言った。
「片付けは明日の君がやるから。今日はもう寝なさい」
「アンタがやってくれるんじゃないんだ……」
「片付けに癒し効果は無い」
「ありますよ。なんだっけ……デトックスできるんです。ゴミ捨てるたびに心の贅肉が取れていく的な」
「それは大変スピリチュアルなことだな。ほら、ベッド行こう」
「やめろー、抱き上げるなー」
「安心しろ、そんな丁寧な対応はできかねる。足持って引きずっていく」
「そっちも嫌だー」
「頭部は自分で守れよ」
「やめろー」
両足首を持つ曽根崎さんに、うごうごと抵抗する。いやだいやだ寝たくない、僕はまだ飲めるまだやれる。つーかお風呂入りたいせめてシャワーだけでもそうだ歯も磨きたいし水も飲んで風に当たって酔いも覚ましておきた――。
「なるほど、風に」
曽根崎さんはパッと手を離し、僕の足は床に踵落としをくらわせる。鈍い痛みに顔をしかめる僕を気にせず、彼は水の入ったペットボトルと酒瓶を持った。
「行こう、景清君」
「ええ、どこにすか……」
「外だよ。ここのコテージ、ベランダがあったろ」
こちらを顧みずスタスタと第二の飲み場所へと向かうオッサンを仰ぎながら、僕は「ベランダじゃなくてテラスだろ……」と思ったのである。
夜の空気は冷たく、酔いの回っていた頭にもスッキリと入ってきた。松の木の匂いが、鼻口をくすぐる。森林に開いた空からは、見たこともないような満天の星が光を落としていた。
「綺麗ですね……」
けれど出てきたのはありきたりな言葉で、つくづく自分に幻滅したものだ。それにしても、これほどの星が地上の無遠慮で人工的な光に打ち消されていたなんて。アルコールの混じったため息をつき、僕はペットボトルの水を一口飲んだ。
「人工灯が打ち消すものは、何も星だけじゃない」片膝を立てて座る曽根崎さんは、ウイスキーの瓶を直接喉に流し込む。
「怪異とて同じだ。あれは一般的に闇を好むものだからな」
「じゃあなんで曽根崎さんは、未だ都心でわんさか怪異退治をしてるんですか?」
「なんでだろうな……」
「あとその飲み方やめたほうがいいですよ。喉が焼けそう」
「生き残った細胞だけ私についてこい」
「何ちょっとかっこよく言ってるんですか。いつか集団ストライキされても知りませんよ」
「生きていく上で犠牲はつきものだから」
「アンタだ、アンタの体が犠牲になってんだ。もー、仕方ないですね」
僕はごろりと寝返りをうつと、空いたグラスを掲げた。
「僕もお供しますよ。はい」
「待て、君はもう終いだろ。グラスを置け」
「え、ダメなんですか? ちぇー、ケチな桃太郎崎め」
「私は桃太郎崎じゃないし君は犬清じゃない。ついでにウイスキーもきびだんごじゃないな。大体強くもないのに、ウイスキーをストレートで要求してくる奴があるか」
「ここにいるぞー!」
「うわっ、いきなり大声出すな」
「ふひひ」
「酔っ払ってんな……。ほんと早く寝ろよ」
「嫌ですよ、せっかくこんなに星が綺麗なのに」
大の字になって、夜空を見上げる。本当、ずっとこうしていたくなるような絶景だ。
しかし隣のオッサンは淡白なものである。
「そんなしみじみするようなモンかね。きょうび、星ならインターネットでいくらでも見られるってのに」
「ここまで情緒が死んだ発言も、なかなかお目にかかれねぇな。ほら、曽根崎さんもご一緒にどうですか? こうしてたらですね、地球背負って宇宙に突撃してる気持ちになれるんです」
「驚いた、君そんな壮大な空想でもって寝転がってたのか」
「僕は宇宙、宇宙は僕」
「ヤバい、竹田景清がコスモと一体化し始めた」
「ところで曽根崎さんが椎名さんと同居してた時期って、具体的にいつなんですか?」
「ブッ」
曽根崎さんがウイスキーを噴いた。悪いところに入ったらしく、ゲホゲホと咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
「いきなりなんだよ、ウイスキー鼻に入って粘膜死ぬところだったぞ」
「お水どうぞ。飲み終わったらさっきの質問に答えてくださいね」
「見逃されなかったか……。鼻からウイスキー飲んだら許してくれるか?」
「どんだけごまかしたいんです? まさかやましい理由でも」
「椎名と初めて会ったのは、確か二、三年前。君と会う前だ」
「ほほう」
いきなり始まった。逆にやましいな。
「毎度お馴染み田中さんの無茶振りだ。彼はある日突然私のマンションに来たかと思うと、『事情があって追われているから数日匿ってくれ』と椎名を置いていった」
「そんな月九ドラマみたいな始まりだったんですか」
「どこがだよ。まあ私も私で当時荒んでたからな。空き部屋一つ与えて、あとはガン無視を決め込むことにした」
「うわあ……」
「だが煩わしいことに、椎名は一切の空気と心情を読まない男だった。かつ、一日中家にいたからクソ暇だったんだろうな。奴は執拗に私を筋トレに誘い、食事に誘い、飲みに誘った」
「椎名さんは明るい人ですからね。でも、曽根崎さんも気持ちが荒れてた時期でしたし、いい刺激になったのでは……」
「私は基本家に帰らなくなった」
「ですよね」
「そんな日が三週間ほど続いたか。また突然田中さんが現れ、椎名を連れて帰った。こうして我が家に平和が訪れ、私は毎日帰るようになったとさ。めでたしめでたし」
「なるほど……大変でしたね」
「人生で最も失われた時間の一つだ」
「お疲れ様です。でも、曽根崎さんって椎名さんのこと結構知ってましたよね。得意分野とか性格とか。田中さんから聞いたんですか?」
「いや、直接本人から聞いたよ」
「へえ」
「なんだその返事。そりゃあ無視決め込んでるとはいえ、三週間もいたんだ。気の迷いで多少の会話ぐらいするさ」
「ふーん」
「なんだその目」
「ほんとは仲良いなら普通にそう言えばいいのに」
「なるほど、あれが仲良く見える目でも夜空は美しく映せるんだな。新しい知見をありがとう」
「変な嫌味言わないでくださいよ。ほら、お水のおかわりあげますから」
「君は私を植物か何かだと思ってないか?」
「そして代わりにウイスキーを」
「だめだめ絶対だめ。いいから君は地球背負ってろ」
「荷が重い……」
「言い出したのは君だろが……」
結局そんなアホな会話ばかりして、僕と曽根崎さんは室内に戻ることになったのである。アルコールの入った身だと早く体が冷えるしね。風邪引いちゃ大変だから。
「よし、ちゃんと風呂も入ったし歯も磨いたな。ならば早く寝景清ーーーー!」
「ぐう」
そしてお酒も入って体も疲れ切った僕は、呆気なく床で寝落ちしたのだった。





