2 癒しスポット
乗り心地は、思ってたよりもずっと快適だった。ちょうどよい速度で流れていく景色と、軽快なお兄さんのトーク。僕は全部が楽しくて、相槌を打って聞き入っていた。
「そういえば、お二人ってどういうご関係なんですか?」
「え?」
そんな中、ふとお兄さんに尋ねられたのである。
「ああいえ、少し気になって。友達って割には歳も離れてるし、言葉遣いも丁寧ですし。でも上司と部下って感じでもないなって」
「上司と部下で合ってますよ。えっと、僕はアルバイトなんですけど」
「そうなんですか! アルバイトさんも社員旅行に行けるなんて、太っ腹な会社ですねー」
「へへへ……」
引き攣った笑いしか出てこなかった。――そうだよな。普通、上司と部下が観光してるって聞いたら大きい会社の旅行だと思うだろう。
……。
この話題が続くとまずい。僕は適当に話を変えた。
「あの、隠れ名所ってどこにあるんですか? ものすごく癒されるって言ってましたけど」
「はい! 今から行ってみますか? ここからだとすぐですよ!」
「えーと、どうしましょう曽根崎さん。早く癒されたほうがいいですよね?」
「私に聞くんじゃない」
あれ、仏頂面である。おかしいな、本来なら癒されまくってるはずなのに
「どうしました? 高い所苦手でしたっけ」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあスピード速くて怖いとか」
「違う違う。つーか君は案外平気なんだな。不躾な好奇の視線が刺さる、この乗り物……」
「わっ! す、すいません、ちょっと揺れてうまく聞き取れなかったです。今車酔いって言いました?」
「ちが――」
「えっ、大丈夫スか上司さん!? でしたら早く癒されに行きますよ! 飛ばします!」
「うわっ!」
ぐんと車がカーブして、体が曽根崎さんに寄りかかってしまう。なんとか元に戻ろうともがいていると、彼が頭上でため息をついた。それから僕の腰に手を回し、元の体勢に戻してくれる。おお、この人にしてはスマートなことだ。感心していると、今度は逆カーブにて憮然とした顔のオッサンが倒れてきた。
「重い!」
「車夫の君、もう少し安全運転を」
「すいません!」
「重いです、曽根崎さん! 戻ってください!」
「もはや重力に逆らうことすら面倒」
なるほど、これは一刻も早い癒しが必要である。人力車は風を切って、竹林に入る。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれてあったけど、後で聞いたところによるとこういう場所にも入れるよう事前に取り決めをしているのだとか。なんだか得した気持ちだ。
まばらに木漏れ日が落ちる涼しげな空間を、ひたすらに車は走っていく。どこか遠くで鳴く鳥の声に、いっそう俗世からの隔絶感が身に染みこむ。段々と滝の落ちる音も近づいてきて……。
……いや、なんかすごくデジャヴを感じるな。しかしどう言葉にしようか迷っているうちに、人力車が止まった。
「着きました! こちら悪食の滝と言いまして、知る人ぞ知るパワースポットになりま――」
「ああああああ!!」
「えっ!? なんでアルバイトさんの具合が悪くなってるんですか!?」
漠然と残る記憶に顔を覆う僕を前に、大慌ての車夫さんである。心よりお詫びしたい。でも、流石にまだ傷が癒えてなくて。
「実は私達、昨日ここに来たばかりなんです」
見兼ねた曽根崎さんが、適当な言い訳をでっち上げてくれた。
「で、その際に思いきり足を滑らせて川に転んでしまって……彼が」
「は!? 僕が!?」
「うわ、それは大変でしたね」
「下着までずぶ濡れた彼は半泣きで下山し、コンビニへ。ところがパンツというパンツが売り切れており、やむなく唐揚げだけ買って店を出ることに……」
「それアンタの話だろ! 僕の話にすんな!」
「クソッ、これも覚えてたか」
「あ、上司さんの話だったんですね。でも大変でしたねぇ。せっかくのパワースポットで転んでしまうとは」
「まあ、こういった場所には相性がありますから」
素っ気なく答えて流そうとした曽根崎さんだが、ここは人懐っこい車夫さんである。朗らかに笑い、うんうんと頷いた。
「よく聞きますよね。自分と相性がいい神社やお寺なら、もっと元気になるって話でしょう?」
「それもそうですが、相性の良し悪しを測るのは何も人間だけではありませんよ」
「人間だけではない?」
「ええ。そうですね……例えば、あなたは場に『歓迎されていない』と思ったことはありませんか?」
曽根崎さんは、不審者面を歪ませる。僕はまた嫌な予感がした。
「場所が人を選り好みしない保証などどこにも無い。妙な力を持っているというなら尚更のこと。時に人は、場所から忌み嫌われもするのです」
「はあ」
「しかし、一見強烈におぞましいのに何故か惹かれてしまう場所に出くわすことがある。……一つ忠告させていただけるなら、そういった場所に足を踏み入れたら即刻逃げるべきでしょうね」
「な、なんでですか……?」
少し怯える車夫さんに、曽根崎さんは引き攣ったような不気味な笑みを浮かべる。
「手招きされているからですよ。そこにいる、“望ましくない何か”に」
「……!」
「直感は尊重すべきです。自身が好奇心だと信じたそれが、本当に自らの内から出たものとは限らない。狸に化かされた程度ならまだしも、あるいは人知を超えたものの可能性も……」
「曽根崎さん」
雰囲気に飲まれて固まる車夫さんの前に割って入り、僕は片手を突き出した。
「百円」
「……」
「……」
「百円、払ってください」
「……」
「……」
「早く」
――怪異の話をするたび、ペナルティとして百円を僕に支払う。曽根崎さんを怪異から引き離すために、旅の初めに定められたルールである。しばらくむっすりとしていた曽根崎さんだったが、やがて黒色のコインケースを取り出した。
「あれまだ有効だったのかよ」
「当然でしょう。これ、曽根崎慎司癒しまくりスペシャルツアーですから。怪異の話してたら、癒されるものも癒されません」
「じゃあ旅館にこもらせろよ。私を君以外の人間と関わらせるな」
「マッサージと温泉だけで旅行を終わらせるとか、勿体無いじゃないですか。思う存分非日常を満喫しましょう」
「君がいればなんでも特別だよ」
「なんでそのアホみてぇな台詞気に入ってるんですか。あと、さっきみたいにわざと怖がらせるのは言語道断ですからね。次やったら阿蘇さんに言いつけますよ」
「む……」
「すいません、車夫さん。この人、すぐこういうこと言うんです。すっかり忘れていただいて大丈夫なんで……」
「そ、それはいいんですけど、あの……」
車夫さんは、戸惑った様子で僕と曽根崎さんを交互に見た。
「確認ですけど、本当に会社の上司と部下なんですよね……?」
「……」
「他にどう見えるんですか?」と強気に返した僕の目は泳いでおり、また曽根崎さんからは何のフォローも無かったのだった。





