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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第4章 夢で見た小箱
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21 廊下を歩いていく

「女神像の台座の文字は私も見覚えがある。人魚のミイラの入っていた銀筒に収まっていたものだ。最初君に見せた時に平然としていたから、油断していたが……」

「……!」

「今の君の様子だと、解読は相当君の精神と肉体を蝕むと見える。……全て、読んだのか?」

 無意識に頭の左側を押さえていた手を掴まれる。酷く冷たい手に、触れられた場所から凍っていくようだ。僕は、急いでぶんぶんと首を横に振った。

「……そうか」

 安堵したような声だった。それもすぐに引っ込み、威圧的なものへと変わったが。

「ならば、決して読むな。これは上司命令だ」

「え……」

「かつ、今後同型の文字を発見したとしても、読むことを禁ずる。他の誰に頼まれてもだ。私の名前を出してもいい、必ず拒否しろ。いいな?」

「な、なんでですか? 重要な手がかりになるんじゃ……」

「馬鹿馬鹿しい。んなもん、君が被る損失と比べたら塵芥ほどの価値も無いよ」

 熱のこもった言葉に、僕は何も言えなくなる。胸にあったのは、よく分からない焦りと動揺。

「椎名に任せておけ。一応、あれはそういう分野にいるから」

「……僕はダメで、椎名さんならいいんですか」

「ダメとかじゃない。君と椎名では解読できる根拠が違うんだ。君の場合は、明らかに独力のものではない力が働いている。何者かによる介入が疑われる以上、盲目的に使うのはあまりにも危険過ぎる」

「……」

「あと、椎名なら別に頭が割れようが発狂しようがどうでもいいから」

「それはぶっちゃけ過ぎじゃないですか?」

 だけど、彼の判断は正しいのだろう。事実この解読能力は突然目覚めてしまったもので、不自然極まりないものだ。加えて、僕が解読したせいで万が一にも曽根崎さん達を危険に巻き込んでしまったらと思うと……。

「……わかりました。この字は、読まないようにします」

「そうしてくれ」

 心残りがありつつも、僕は彼の申し出を承知した。――せっかく、できることが増えたと思ったのに。そんな言葉が喉まで出かけたけど、ホッとした顔をした曽根崎さんを見てしまえば飲みこまざるを得ないのである。何にせよ、この人を心配させてまでやるべきことじゃない。ただでさえ、色々と負担をかけてしまったのに。

(……僕がもっと頼れる存在だったら、違ったのかな)

 もっと力が強かったら。精神的にタフだったら。恐怖に臆さない心があれば。もしももしもの空想ばかりが広がって、酷く胸が苦しくなった。

「さあ、嫌な話もこれきりにしよう。君は温泉にでも入ってくるといい」

 ふいと曽根崎さんの体が離れる。掴まれていた手首は、まだビリビリと痺れていた。

「戻ってくる頃までには、一通り終わらせておくよ。私もとっとと解放されたいしな」

「あ……僕も何かお手伝いを」

「昨日してくれた分で間に合っている。問題無い」

「……そうですか」

 多分、人払い的な意味もあるんだろうな。僕は大人しく従うことにし、スーツケースへと向かった。

「曽根崎さんも後で行きましょうね。僕、温泉なら何度でも入れるんで」

「ああ、寂しがらせてすまない」

「そういうわけじゃ……」

「何ならアヒルちゃんたちを連れて行けばいいよ。フォアグラ、ピータン、南蛮」

「最後ロースト」

「おや、覚えてるのか」

「そりゃ覚えてますよ。僕が名付け親ですし」

「……そうだったな」曽根崎さんの表情が、少し柔らかくなったように見えた。

「よし、持っていけ。三羽とも、そこのスーツケースに入ってるから」

「いやいや、置いていきますよ。アヒルちゃん三羽とウッキウキで温泉入る成人男性がどこにいるんですか」

「何事にも先達は存在する」

「存在したとしても僕である必要はない」

 ツッコみながら、着替えを取り出そうとスーツケースを開ける。が、目を落とすなり、そこにあったものに腰を抜かしかけた。

「な、ななななな、なんで!?」

「え、どうした?」

「曽根崎さん! 曽根崎さーーーん!!」

「叫ばなくてもこの距離なら聞こえるよ。だからどうしたんだ」

「こここここ、これこれこれぇっ!」

 震える手でそれを掴み、曽根崎さんに掲げる。面倒くさそうに振り返った曽根崎さんだったけど、僕の手にしたものを目にするや否や驚愕した。

「はっ……!? なんでそれがここにあるんだ!?」

「分かりません! 全然心当たりありません!」

「夢の中で無くしたはずじゃ……いや、そもそも夢の中のもののはずじゃ!」

 驚くのは当然である。何故なら僕のスーツケースの中にあったのは、手のひらサイズの寄せ木細工――あの夢で見た小箱だったのだ。

 僕はあわあわと小箱をお手玉みたいにした。

「どどどどうしましょう!? 燃やしますか!? 燃やしますね!?」

「ダメだ燃やすな旅館だぞ、ここ! と、とりあえずこっちに寄越しなさい!」

「嫌です! アンタ好奇心で開けるでしょう!」

「こんなヤベェの触りたくもねぇわ!」

「じゃあ、ちょいっ」

「ッあああああ!? 突然投げんな!!」

 パニックになっていた僕らはしばらく小箱でキャッチボールをした後、ようやく冷静になって「事情を話してツクヨミ財団に丸投げしよう」という結論に落ち着いた。もはや疲れ果てており、個人的に調査だの何だのするのも億劫だったのである。けれどこの騒ぎに、とうとう曽根崎さんの集中力は切れてしまったらしい。

「……疲れた……」

 財団に連絡し手配を終えた後、彼は畳に長い手足を投げ出していた。

「もう嫌だ……何も考えたくない……」

「お疲れ様です……。すいません、僕も変にテンション上がっちゃってわけわかんなくなって……」

「よし、景清君。ここは特別に私を温泉に連れていくことを許してやろう。少しでも私を労う気持ちがあるなら、君に拒否という選択肢は無いはずだ」

「いきなりの横暴」

「私は一歩も歩きたくないからな、おんぶしろおんぶ。金なら払うから」

「社会はこういうタイプの幼児に金を持たせちゃダメだなぁ。つーか、断られるって分かった上で言わないでくださいよ。いくらくれるんです?」

「一応値段聞くのもやめるべきだと思うよ、私は」

「そっちが先にふざけ始めたんでしょう。さあ、起きてください。温泉には付き合ってあげますから」

「待ってくれ。まだピータン達の準備が」

「その子達は置いていけ!」

 ぐったりしている曽根崎さんに、強引にタオルを持たせて引っ張っていく。引き戸を開けて一歩踏み出した先は普通の廊下で、当然のことであるはずなのに何故か僕は安心していた。

 何かを思い出しかけて、やめる。代わりに、少しだけ強く曽根崎さんの腕を引いた。

「ほら、ちゃんと歩いてくださいよ」

「足の裏にローラーつかねぇかな」

「台車持ってきて差し上げましょうか」

「それもまた一興」

「なわけないでしょ。よし、『曽根崎慎司癒しまくりスペシャル豪華ツアー』、再開しますよ」

「それ公の場で言わないほうがいいと思う」

「確かにそうですね。本当にあるツアーだと思われたら困りますし」

「うーん」

 曽根崎さんは穏やかに微笑んでいた。本気で途方に暮れている時の顔である。どういうことだ。

 そうして何の変哲もない廊下を、僕らは連れ立って歩いていく。僕は曽根崎さんの軽口に言い返しながら、頭の中で一日ほど休みを延ばせないか算段を立てていたのだった。



 第4章 夢で見た小箱 完

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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