20 女神像の写真
その晩、僕は布団を敷くなり泥のように眠ってしまった。入るなり、じゃない。敷くなり、である。一応集落でも寝ていたはずだから、この眠気はおかしいと思う。でも実際、夢も見ないぐらい深い眠りに落ちたのでは仕方ない。
で、翌日。目覚めた僕がまず見たのは、どっさりと古めかしい本を重ねてパソコンをカタカタしてる曽根崎さんの背中だった。
「とりあえず、やることはやった」
背中が喋った。違う、喋ったのは曽根崎さんか。ん、やることって?
「ああ……ツクヨミ財団に連絡したりとかですか?」
「そうだ。財団に事情を話し、あの集落一帯を封鎖してもらった。東西南北の祠を直し、中央に埋められた棺桶を掘り出す為にな」
「棺桶……って、えっと、確かおじいさんが入ってたんでしたっけ?」
「お、もうだいぶ記憶が薄れているようだな。感心感心」
馬鹿にされているのかと思ったけど、そうじゃなかった。曽根崎さんは、何の嫌味も無く本心からそう言っていた。
「ちなみに棺桶の中からは、真新しいカカシとボロボロの手記が出てきたそうだ」
カチッとマウスをクリックする音が聞こえる。既に彼のパソコンには、財団から該当のデータが送られてきているのだろう。
「人じゃないのなら、当然DNA検査等もできるはずない。そうでなくとも百年前の話だ。あの老人の正体はわからずじまいだろうな」
「……残念ですね」
「気を落とさなくていい。カカシも特に異常が無いなら、六屋さんあたりに頼んで家庭菜園にぶっ刺してもらうよう手配しておくようにするから」
「いいんですか、それ」
「事情を話さなきゃ大丈夫だろ。彼も人がいい、うまくつけ込むさ」
「あああ六屋さん、すいません……!」
巻き込まれた六屋さんへの罪悪感に、頭を抱える。……でも、そうだよな。「元々人だったと思うんですけど、今は身も心もカカシとして過ごしたがってるんで何卒よろしくお願いします」なんて言えるわけないし。加えてカカシさんの焼却処分も避けたいとなれば、やはり信頼のおける人に預けるのが最善なのだろう。
六屋実成さんとは、ある事件に巻き込まれたことで死亡扱いとなり、なんやかんやでツクヨミ財団の一員になってしまった元准教授の植物学者だ。今は田中さんの秘書や運転手をする傍ら、自身の研究も続けているらしい。
正義感が強くて厳しい面もあるけど、真面目で心根の優しい人だ。曽根崎さんはああ言ってたけど、もし真実を伝えたとしてもカカシを引き取り大切にしてくれたかもしれない。
「あと、集落にいた人の子供から話を聞くことができたよ」
「え、すごいですね」
「そうだろ」
ここでようやく、曽根崎さんが体をこちらに向けた。目の下のクマがいつもより濃い気がする。まさかとは思うが、昨晩寝てないんじゃないだろうな。
「狭い地域の話だ、調べればすぐ見当がついた。早速、今朝がた近くの介護施設に行ってある女性に話を聞いてみたんだが……」
「今朝がた? ……って、今何時なんですか?」
「昼の十二時」
「チェックアウト!!!!」
「延ばしといたから大丈夫だよ。っていうかそこかよ、真っ先に心配するの」
当然だろう。旅館に迷惑かけるし、追加料金もかかるし。僕は寝乱れた浴衣のまま、曽根崎さんに平伏してお礼を言った。
「だが結局、有益な情報は得られなかったよ。それどころか、女神像の存在も心当たりがないとのことだった。幼かったがゆえに覚えていないだけなのか、はたまた女神像に〝そう〟させられたのか」
「……怖い話ですね」
「真実とはすべからく、過去という時間の坩堝に呑み込まれるものだ。せいぜい今後は被害が出ないよう調査し、女神像を愉快でろくでもない美術品にして保管おくしかないな」
「途中の工程いります?」
でも、彼の言うとおりだ。全部が明らかにならないとしても、これ以上の
犠牲が出ないようにしたい。それが、あの手記の持ち主の意志を継げるせめてもの行いだった。
ところで曽根崎さんはとっくに着替えており、いつものスーツをきっちり着ている。いやなんでスーツ持ってきてんだ。曽根崎慎司癒しまくりツアーだっつってだろ。
「それはさておき景清君、スマートフォンを貸してくれ。田中さんに連絡を入れたい」
「えー、なんで僕のを? 自分の使えばいいじゃないですか」
「生憎電池が切れていてな」
「充電を怠るな!」
でもまあ、こんな時間まで寝ていた僕にも負い目はある。スマートフォンを貸してあげると、曽根崎さんは席を立って電話をかけ始めた。その間に、僕はこっそりとパソコンの中を覗き込んでみる。
画面に写っていたのは、女神像の詳細な写真だった。僕も寝る直前まで作業していたけど、それより明らかに枚数が多いから曽根崎さんが続きをやってくれたのだろう。本当に申し訳ない。
ふと、そのうちの一枚に目がとまる。女神像の台座部分に、奇妙な模様が彫られていた。
(……違う、ただの模様じゃない。これは――)
文字だ。意味と法則をもった、記号の列。
連想したのは、以前人魚のミイラから出てきた銀色の板である。あれに書かれていたものと、僕の目の前にある文字。それは全く同じもののように見えた。
頭の左側が痛み始める。僕にはまだ、この字が読めない。だけどこのまま痛みに耐えて読み解こうとすれば、いずれ僕は読めてしまうだろうとそう確信できた。
(……読む、べきか?)
口の中はカラカラに乾いている。心臓の鼓動が速くなり、まるで耳の近くで鳴っているかのようにうるさい。
(女神像のことは全然わかってないし、そうじゃなくったって情報は多いほうがいい。でも……読んだら、僕はどうなる? あの時みたいに幻覚を見るだけじゃなく、もっと酷いことになる可能性も……)
恐ろしい想像がじわじわと体を硬直させる。荒くなる息を必死で押し殺す。僕の生存本能が、今すぐこれから目を逸らせとがなり立てていた。
(……いや、読もう)
けれど僕は、決心した。
(椎名さんの調査でも、まだあの文字は読解できていない。僕にしかできないなら、やらないと)
痛みはますます強くなる。歯を食いしばって耐えた。
(役に立たなきゃ。僕はもう、ずっと前から普通の人間じゃない。今更正気に執着したって仕方ないなら、せめて曽根崎さんの力にならないと。僕は……)
しかし次の瞬間、ノートパソコンの画面が割れんばかりの勢いで叩き閉じられた。腕の先にいたのは、曽根崎さん。僕は、解読も忘れて呆然と彼の顔を見上げていた。
……え? なんでこの人、怒ってんの?
「君、今、何をしようとした」
抑えたような低い声に、ビクリとする。こちらを見る曽根崎さんの目は、怯むほど鋭かった。
「そんなに真っ青になって、目を見開いて。……何に気づいた? 何を目論んだ?」
「……そ、れは……」
「いや、いい。大体見当はついている」
真っ黒な瞳が近づく。僕の見る世界に、曽根崎さん以外何もなくなってしまう。
「文字が、読めるんだな?」
僕は、息すらできなかった。





