17 カカシの手記
【黄ばんだ手記・1】※全体的に整然とした丁寧な字で書かれている
一九四〇年四月二十七日。手記を残す。
ハラヤマ集落を訪問したるは、此の三カ月の間に幾人も消息を絶ったと耳にしたことに端を発する。やれ嫁いだ娘が文を寄越さぬ、其の夫も子供もとんと姿を見せぬ。あらあなたもそうでしたかと噂ばかりが広まり、やがて妙に皆気味悪がって近づかなくなって、そこを放浪の僧であった私が興味を持ったという次第だ。
ハラヤマ集落は「入らず山」と呼ばれる山中に在った。あえて其処に居を構えたる集落は、少なからず忌避されていたようである。なればこそ斯様に閉鎖的になろうというもので、訪れた私とて例外無く彼らに怪訝な目で見られたものだ。
然れども、ハラヤマ集落は明確な問題を抱えていた為に私に頼らざるを得なかった。聞けば、夜になるとたびたび妖怪が人を食いに来るのだと言う。
日も暮れて、皆が床についた後。確かに人が寝ていたはずの布団が翌朝もぬけの殻になっている。人が消えた布団の上には、決まって何某かの小物、もしくは虫の死骸が在るというのだ。集落に四日泊まる間にこうしたことは一件あり、一人が行方不明になった。
成程、恐らくは夢の中にて悪さをする妖怪がいるのだろう。幸いにして私は不思議な術を幾つか知っていた。其の一つが――の小箱(※――の部分は見たこともない字が綴られている)である。此れさえ有れば、たとえ夢の中に閉じ込められたとしても結界を破り現に戻ってこられる。以前一寸した用事で使ったが、あと二回分残っている。
ところで、時同じくして身元不明の子供の死体が突然村に現れる事があるという。数にして既に二人に上っているそうだ。関わりがあるかは不明だが、心に留めておこう。
【黄ばんだ手記・2】※少々乱れているものの、丁寧な字で書かれている
一九四〇年四月三十日。手記を残す。
ハラヤマ集落を脅かす怪異を退治する為集落に留まっていたが、昨晩とうとう夢の中に入る。驚いた。私が見たのは、現とも見紛うばかりの世界であった。そこには集落のサブロウという男もおり、少し話した。
ふと何者かの気配がした。振り返ると、少し遠くに西洋の天使にもキリストの聖母マリアにも似たものがぼうと立っていた。
白いドレス。腰が抜けるような神聖。美しい顔。青い蝋燭。
あまりにも美しすぎる存在に言い知れぬ強い忌避感を覚えていると、サブロウは何事かを言いながら近づいていった。奇妙なことに、エンゼルはサブロウに気づいていないようだった。
しかしサブロウが話の流れで声を上げて笑った時である。エンゼルの体が機械のような動きでぐるりとサブロウを見た。
連れて逃げる余裕すら無かった。エンゼルはサブロウの前に青い蝋燭を掲げると、ふうと息を吹いた。
サブロウの姿がふつりと消えた。後に残されたのは、一匹の茶色いトカゲ。
エンゼルは私にも目を向けた。蝋燭が掲げられる。私は小箱を解き、夢の世界から抜け出た。
其れから現の世界に戻ってきたあと、ある確信を以ってサブロウの家を訪れた。彼は年老いた母と共に暮らしていた。息子も妖怪に食われたのだと泣く母を横目に、私は布団をめくった。
一匹の硬直したトカゲが、腹を見せて転がっていた。
追記
身元不明の子供の死体が村の入り口付近で見つかった。子供は木にしがみつくようにして、眠るように死んでいた。
【黄ばんだ手記・3】※少々乱れているものの、丁寧な字で書かれている
一九四〇年五月一日。手記を残す。
あれから私は人々を説得し、なんとか集落を出させた。筋書きはこうである。
集落を襲っている怪異は、夢に出づる悪食の竜によって引き起こされている。かつて集落は「東、西、南、北」の四つの神によって守られていたが、竜に喰われたことで力を失くしてしまった。村に現れた身元不明の子供の死体はまさに神の抜け殻の一部である。此の竜を退治するには、腹に眠る四つの神を目覚めさせねばならない。至急四つの祠を作り、神の供養をし信仰を思い出す必要がある。
無論悪食の竜などというものはいないし、子供が神の抜け殻というのも嘘っぱちだ。いるのは青いエンゼルのみ。だが、エンゼルを夢の世界に封じる術をかけるには、どうしても四つの祠が必要であった。
幸い集落の人々は周りの村にも掛け合い、すぐに祠を作ってくれた。私は一人ハラヤマ集落に残り、悪食の竜退治を請け負った。東西南北に祠を作り、其の中心を結んだ場所に置いた棺桶にて眠りにつく。棺桶は翌日集落の者が戻ってきた時に同じ場所に埋めてもらうよう伝えてある。
私はこれよりエンゼルの夢の中に入り、内側から封印する。二度と現には戻ってこられぬが構うまい。嘗て妻子の命を奪った身を思えば、人の為の最期を迎えるなど此上無きことである。叶うならば、私を諭してくださった僧正様に再び見えたかったが。
この手記は持っていく。真実は永久に掘り出されぬまま、私の上でハラヤマ集落は続いていくだろう。そう願っている。
【真新しい手記・1】※字が乱れている
一九四〇年五月一日。手記を残す。
私は夢にいる。酷く現世に似た此の夢には鉛筆と紙があった為、書き記しておく。
驚くべきことがあった。此の世界には子供がいた。生きて、笑っていた。しかし私はその絡繰をしっていた。
私が此処に来て間も無く、まだ内側から夢を封じていない時。エンゼルのもとに一匹の蟷螂が飛んでいった。恐らく夢を閉じる前に迷い込んだのだろう。エンゼルは己のドレスにとまった蟷螂にそれは艶やかな微笑を浮かべると、青い蝋燭を掲げた。
すると先程まで蟷螂がいた場所に、一人の子供がしゃがみ込んでいた。其の瞬間私は理解した。集落に現れていた見知らぬ子供の死体は、全て人間では無い何かが化けた姿だったのだ。
見た目こそ人間の子供かもしれぬが、正体は心を持たぬ虫である。虫どもは子供の真似事をして笑い遊んでいる。今も、私の隠れる家の外で。
暫く家屋にて隠れ凌ぐ事にする。幸い腹は空かないようだ。
【真新しい手記・2】※かなり字が乱れている
一九四〇年五月一日。手記を残す。
時間が経っているように感じない。まるでずっと同じ一日を繰り返しているようだ。エンゼルに見つかるかと思ったがまだ見つかっていない。これを幸運とすべきか否か私には皆目見当もつかない。
時折私も天使によって救われるべきかと考える。子供たちは実に楽しそうに笑い遊んでいる。羨ましいことだ。たとえ元が虫ケラだったとしても。
虫も夢を見るのだろうか。愚問である。見たからこそあれらは此の世界に現れエンゼルの手により人の姿を得たのだ。
一秒一秒が恐ろしい。小箱を開けてしまうべきだろうか。いやだめだ。もし万が一祠が壊れて夢に来る者がいた場合其の者を救えなくなる。それに私の体はもう土の下に埋葬されているだろう。
そうだ夢にきてしまった場合。かつ私が既にエンゼルに取り込まれていた場合そもそもこれを読んでくれるか分からないが書いておく。
小箱を開けると外への道が繋がる。外に出たら祠を直し信仰心を新たにしてほしい。悪食の竜への信仰を忘れずに丁寧に祀るようになれば今後祠が壊されることもなくなるだろう。
子供の笑い声が聞こえる。もうすぐそこまで来ている。
【真新しい手記・3】※かなり乱れているが、途中から突然整然とした字になる
エンゼルはまだわたしを見つけていない。わらっていないからだ。エンゼルはわらいごえにはんのうする。サブロウのときもそうだった。
ならば虫もわらったのか? サルは笑うときいたことがある。だが虫はわらうのか。わらう虫などいるのか。
もしやずっとわらっているのか?
けたけたけたけたけたけた人はそうじゃない。わらうときもあればわらわぬときもある。わらわぬときのほうがおおいくらいだろう。
エンゼルの超越した意志が私の理性に介入してくることがある。エンゼルは人も虫も同じ存在だと考えており、この眠りの世界においては最も正しい姿に生まれ変わるのだ。つまりあの蟷螂は人の姿が正しかった。人として生まれるべき者だったのである。トカゲにされた男とて、本当は悲しくも何ともなく、正しい姿に戻れたことで案外ほっとしたのかもしれぬ。
人は、人として生まれたからにはと已む無く人をやっている。不幸の原因はここにある。本来は別のものであるにも関わらず、無理に人として生きることで不協和が生じるのだ。私が罪を犯したのも、きっと人の姿が正しくなかったことによるものだろう。
ならば私は何者なのか? 其の答えは、笑い声をたてればきっとエンゼルが出してくれるに違いない。だが私はまだ、自分の正体を知るのが恐ろしい。
【真新しい手記・4】※殴り書きの字で書かれている
正気でいられる時間が少なくなっている。狂気の私は小箱に何やら細工をしたようだ。他者に小箱を渡すときは注意しなければならない。狂気の私が何かを仕込んだ可能性がある。
子供たちは私の意識に直接働きかけ自分たちの意志にいざなっている。私はいずれこのぬるま湯のような意志に呑まれるのだろう。たとえエンゼルの介入が無くとも長くこの世界にいればそうなるのかもしれない。
ハラヤマ集落の者たちが祠を大切に祀り続け、この世界に誰も来ないことを祈る。
【真新しい手記・6】※殴り書きの字で書かれている
これよりさきなにがかかれていてもしんようするな
【真新しい手記・7】※とても丁寧な字で書かれている
えんぜるのこえがきこえる
えんぜるはみなをすくいたがっている
えんぜるはぜんいにみちたそんざいだ
えんぜるはわらうものをよんでいる
えんぜるはただしくないものをよんでいる
えんぜるはひとをよんでいる





