その参 文太、あやかしの本性を知るのこと
「笑い死にだぁ?」
枕返し……いや、返し鬼は、文太たちと同じく大木の根に腰掛け、どこからか取り出した煙管を深く喫いながら聞き返す。
「笑い死に……とは違うじゃろうな。笑い顔で殺された、じゃ。しかも、外傷はない状態での」
「ほぉん……。で、なんでそれを儂に訊きに来たよ? 儂はそっちの世界じゃあ、もう枕くらいしか返せねえぜぇ?」
「それは分かっとる。……じゃがお主、昔から好きでよくやっとったじゃろう」
一息の間の後、こけしはにやり、と口角を歪ませた。
「人をよ、変な顔で殺すのを」
「な……」
文太が思わず声を漏らす。こけしが言ったこともそうだが、それ以上にこけしの表情を見て、畏れを抱いた風である。
「なんじゃ、どした文太」
「いや……」
文太は少なからず動揺していた。
普段は気ままに姿を現しては煎餅をパクついている幼子が、異界では妖艶の美女の姿で人を殺めることに何の感慨もない風に嗤っている。その落差に、こいつは本当にあのこけしなんだろうかと、疑いとある種の恐怖を含む眼差しを向けていた。
こけしはその様子に全てを察したかのように、ふ、と優しげな笑みを浮かべる。
「文太にはこの異界は酷であったかのう。ここはな、基本的に人間のいていい場所ではないんじゃ。あやかしが本性を現す場所、とでもいうかのう」
「ほん、しょう……」
「ただな、文太。うちのような付喪神は、あやかしのように人を殺めたりはせん。人に大事にされた物に宿った魂、それがうちら付喪神じゃ。……まあ、かといって人間全てを大切するなどは思ってはおらぬ。うちらが大事にするのは、うちらを大切に扱ってくれた人間だけじゃ。かといって別に取って喰おうとは思ってはおらんがの。平たく言えば身内の人間以外はどーでもいい、そういうことじゃ」
当たり前のように話すこけしに、文太はどう応えていいか分からない風に顔を歪ませた。やがて気を取り直すように、彼は二人に問いかける。
「変な顔で殺すってなぁどういうことだ?」
すると枕返しはフン、と鼻を鳴らし、その大きな目をギョロリと文太に向けて言い放った。
「言葉通りよ。人間が死に際にどんな面白えツラになるか見てみたくてよぅ。頭ん中をひっくり返すと、色んな顔で死にやがるんだよ、人間ってなぁ。普段綺麗なツラぁしたやつが、今際の際で歪み切ったツラ見せんのがもぅ面白くてよう」
「てんかんというやつじゃ。な、悪趣味にも程があるじゃろ」
「おう……」
「何度も言うが、今はそんなこと出来ねえよ。そっちの世界じゃ、寝てる人間の枕を足の方にぶん投げるくらいしか出来ねえ。ま、それでもそっちの世界に行き来してんだから、文句はねえがよ」
「こっちの世界に来るってなぁ、そんなにいいもんなのか?」
「良い悪いじゃねえんだよ。俺ら、妖怪がそっちの世界にいく理由は一つ」
「ひとつ……」
「人間の感情が俺らの食い物になるからだ」
「……どういうこったぃ」
「例えばの、文太」
返し鬼と文太のやりとりを聞いていたこけしが口を挟む。
「怖い、憎い、悲しい、そういう暗い感情のあるところに妖怪ってのは現れるんじゃ。逆に愛しい、楽しい、嬉しい、そういう明るい感情が付喪神を育てる。人間の感情が、妖怪や付喪神を強くするんじゃ。妖怪が人を怖がらせるのは、暗い感情を吸い込んで強くなるため。大切にされてきた物に魂が宿るのは、明るい感情を与え続けられるためなんじゃよ」
「ほーん……。てぇこたぁ、今回の殺しはあやかしの仕業じゃあねえってことか」
「ほぉ?」
「だってよ、殺しちまったら、吸い上げたい感情もなくなっちまうだろ」
「鋭いな小僧。ただの岡っ引きにしちゃ上等だぁ」
「これ返し鬼よ、文太はただの岡っ引きではない。うちのお気に入りの岡っ引きじゃ」
ふふふん、とふんぞり返るこけしに、文太は苦笑した。
「確かに文太の言う通り、殺してしまってはそれ以上の感情を引き出すことは出来ん。……のじゃが、人間の感情が一番強く残るのもまた、今際の際なんじゃよ」
「……てぇことは」
「あやかしの仕業の線はまだ残っておる。とはいっても、今のご時世、人間を殺せるような力のあるあやかしなど早々おるまいがの」
「信心がねえからなぁ、最近の人間どもぁ。でかくて深い感情がねえと、俺らも力が出やしねえ」
――――
「……結局、笑い顔の死体についちゃ、手がかりなしか」
枕返しと別れた二人は、元来た道をとぼとぼと歩く。
「あるいは奴の仕業か、とも思ったんじゃがの。奴が嘘をついている線もなくはないが」
「わざわざ嘘ついてまで隠す必要はねえだろ、あやかしからすりゃあ」
「まあ、人間の生き死にについて気にするようなやつではないの」
「笑った死体、か……」
「……たとえばの」
「ん?」
「身体をの、ぎゅうううっと締め付けられて、数刻ほど過ぎたところで開放する」
「……で」
「そうすると、開放された時の安堵で顔がほころぶが、そのまま心の臓が止まることがある」
「ほんとかおい」
「以前、瓦礫に挟まって助かった人間を見たが、助かった途端にばたんと倒れての、そのままぽっくりじゃった」
こけしの語る死に方は、所謂〝クラッシュ症候群〟というものである。災害時に瓦礫に数時間挟まり続けると、血の巡りが滞ることで細胞が破壊され、救助された際に溜まっていた血液が一気に流れ出すことによって、安堵の表情のまま心臓が停止する。
「他にも、馬に蹴られて頭を半分飛ばした人間も幸せそうな笑顔で死んだのを見たこともある。じゃが、今回は外傷がないんじゃもんなぁ……」
「……無理に妖怪を絡める必要はねえ、のか」
「ん?」
「外傷がねえ、笑ってる、殺し……てところで、なんとなく妖怪の仕業なのかと思ってたけどよ」
「そうでないかもしれん。……だとして、心当たりが出来たのか?」
「まだわからねえが……」
話すうち、二人は異界の入り口まで戻ってきた。
「帰りは簡単じゃ」
こけしが手水場に手をかざすと、異界に来た時のような水の門が現れる。それをくぐれば果たして、元の世界の手水場に立っていたのだった。
「なあ」
〝なんじゃ〟
戻ってきた文太の根付には、再びこけしが収まっている。
とりあえず自宅に戻ろうと長屋への道すがら、文太がこけしに訊ねた。
「お前、なんで異界に俺を連れて行ったんだ? 人間は御法度の場所なんだろ?」
〝んー……〟
「なんだよ、どうにもはっきりしねえじゃねえか」
〝いや、割と本気で枕返しの仕業かと思ったんじゃがのう〟
「当てが外れたってとこか」
〝うーん……〟
「どうしたんだよ? 結局あいつじゃなかったんだろ? 言ってたじゃねえか、嘘つく意味なんざねえって」
〝そう、なんじゃが……なんかこう……〟
「なんかこう?」
〝煎餅が食べたいのう……〟
「はぁ? ただの食いしん坊かよ! ったくこけしなんてちんまりしたもんの付喪神にしちゃあ、ほんとわんぱくだよなぁお前……」
呆れる文太にこけしがカラカラと笑う。
〝腹が減っては良い案も浮かばんわい。ささ、早く戻って煎餅を焼こうぞ〟
「はいはい……」
仕方ない、と文太は家路への足を早めたのだった。




