その弍 文太、異界で枕返しを見つけるのこと
「……で、どこにいるんだよ、その枕返しは」
〝この神社が入り口になっとるんじゃがの……〟
翌日。
早朝に叩き起こされた文太は、腰に下げた大ぶりの根付にこけしを入れ、町はずれの廃れた神社にやってきていた。
こけしは根付の中から、文太にしか聞こえない声で応えている。
〝文太、その手水場の裏に丸い石が転がっとるじゃろ〟
「ん? ……おぉ、あったあった」
〝それを両手で三回撫でて、そのまま手を手水に浸してみれ〟
こけしの言う通りにすると、手水場の水が大きく波打ち始めた。
「おおお!?」
〝どやどや〟
「水の門みてえなのが出来たぞ、なんだこれすげぇ!」
〝その門をくぐってみれ〟
「まじかよ、濡れちまうじゃねえか……と、うおっ」
門をくぐった文太を待っていたのは、さっきまでいた神社とは、いやむしろ現実とはかけ離れた景色だった。
どこまでも続く薄暗い草原のところどころに、光り輝く大木が立っている。
文太は大木や空を見上げながら呟いた。
「こいつぁ驚いた……」
「びっくりしたじゃろ」
「うおっ! こ、こけしかお前!?」
視線を落とした彼の目の前にいたのは確かにこけし――ただし、だいぶ成長した姿の――であった。
いつもの着物を着てはいるが、だいぶ丈が短く、脚などは膝が見えてしまっている。
「ここは異界といっての。うちのような付喪神や妖怪が本来住んでおる世界じゃ。うちもここでは本来の姿になると、そういうわけでの。どうじゃ、美しかろうて」
「お、おう……」
「なんじゃ文太、ちょっと赤くなっとるじゃないか」
「うっ……。し、仕方ねえだろい、おめえがまさかそんないい女だったとはよぅ……」
「惚れてもよいぞ」
突然自分好みの器量良しとなったこけしに、文太は赤面しっぱなしである。こけしもまた、そんな彼を見て満更でもない笑顔を浮かべて胸を張った。
「ま、異界から出ればまた愛くるしい幼女の姿に戻るわけじゃが。……さて、では枕のヤツを探しにゆこうか」
「探しにって……何処にいるか知ってるんじゃねえのか?」
「知らん知らんそんなもん。ただ、この時間は人の世界にはおらんでのう、だとすればこっちにいるのが理屈じゃ。まぁ大体いつもいる場所は知っとるから、まずはそっちに行ってみようかの」
そう言ってこけしが歩き始めると、文太は慌ててその後を追う。
「……しかし、ここはなんていうか、不思議な場所だなぁおい。薄暗いのに夜じゃねえ、あちこちの木が光ってる、それに」
「声はするのに姿が見えぬ、じゃろ?」
「それよ。さっきから誰かの声みてぇな、獣の唸りみてえなのが聞こえてくるんだが、こいつぁどこから来てんだ?」
「慣れれば視えてくるわい。目をこらすんじゃなく、心をこらしてみい。そうすれば目で見るよりも良く視えるようになる」
「心を? ……良くわかんねえな。まぁ慣れりゃいいって話か」
「そうそう、その大雑把なところが文太の良い所じゃよ」
こけしはそう笑い、上機嫌で前を歩く。なんなら鼻歌も聞こえてきていた。
文太はと言えば、初めて訪れる異界に興味津々な様子で、あたりをきょろきょろと見回しながらこけしの後を追う。
そんな様子でおよそ半刻(一時間)、慣れない道で膝に疲れが溜まってきた頃、こけしがようやく足を止めた。
それは光る大木のうちの一本だった。桜のように低い位置まで大きく枝が張っている。
大木を見上げながら、こけしは懐に忍ばせた煎餅を取り出し、齧った。
「ボリ、このあたりだと思うんじゃがボリ」
「用意がいいなおい。俺にも一枚回してくれよ」
「ん、ほれ。……あ、ひとつ言っておくぞ」
「なんだ?」
「この異界では、うちが渡したもの以外は口にしてはならんぞ。すんごい美味そうな果物やら湧水やらそこらじゅうにあるが、直接手を出してはならん。いいな?」
「そりゃいいが、そいつぁ理由があんのか?」
「〝ヨモツヘグイ〟と言ってな。ここは黄泉の国というわけではないが、近いところではある。そういう世界のものを口にした者は、元の世界に戻れなくなるからのう」
「え、マジか。俺ぁさっきからちょいと喉が渇いてきてんだがよ、そうしたらどうすりゃいいんだ」
「うちが渡すものは大丈夫じゃ。ほれ、このひょうたんに水を入れてある」
こけしは再び懐に手を入れ、今度はひょうたんを取り出すと、文太に手渡す。
受け取り栓を外した文太は、中の水をうまそうに一口、二口と飲み込んだ。
「あぁ、うめぇ。ありがとよ、ちょいと飲み過ぎちまったか」
「気にするでない。このひょうたんに入れれば、その辺の水も飲めるからの」
「なるほどねぇ、こいつぁべらぼうだ」
「ふふ。……さて、とりあえず一服しておくか。ここで待っておればそのうち現れるじゃろ」
大木の根に腰を下ろすこけしを見て、文太も空いた根に座る。
と、文太がこけしに向かって口を開いた。
「なぁこけし、その、枕返しってなぁ、そもそもどういうあやかしなんだ」
「なんじゃ、知らんのか」
「名前は知ってらぁ。ただよ、枕を返すってのがなんだかわからねえんだよ」
「ふむ。……枕返しというのはな、古い妖怪なんじゃよ」
「どれくらいよ?」
「ざっと千年」
「せん……!」
絶句する文太を、こけしは面白そうに眺める。
「妖怪なんてのはそういうもんじゃ。人が見つけるずーっと前から存在するもんじゃよ」
「はぁ……」
「枕返しというのはいたずらな妖怪での。人が寝て起きた時、枕が足の方に行ったりしてることがあるじゃろう」
「あぁ、ガキの頃によくあったな」
「あれをやる妖怪なんじゃ」
「そんな可愛いおいたをする妖怪に、なんで殺しの件で会うことになるんだよ」
「……今は、じゃ」
「今は?」
「うむ。妖怪、物の怪と呼ばれる存在はの、長く生きればその性質が変わってくる。枕返しも然り、じゃ」
「じゃあ、その昔はどうだったってんだ?」
「〝返し鬼〟じゃよ」
鬼、と聞いた途端、文太の背中にぞくりとしたものが走った。
「鬼、だと?」
「そう。元々は鬼の眷属だったんじゃ。それこそ、戦の世に生まれたという話もあっての、それでいくと千年どころではないんじゃが」
「戦? 枕を返す鬼がか?」
「その時返していたのは枕ではない。返し鬼はの、何でもひっくり返すんじゃ。……それこそ、人の命もな」
「なんだと……」
「なんだぁ、人のニオイがするなぁ?」
唖然とする文太の背後から、ねっとりとした声が聞こえてきた。
慌てて振り返ると、そこには座っている文太と同じくらいの背の老人が立っていた。後頭部に残る長い白髪を風になびかせ、その体躯にそぐわぬ大きな濁った眼で睨んでいる。
その緊迫した空気を破ったのは、こけしであった。
「ほほ、久しぶりじゃの、枕返し爺……いや、その姿は返し鬼、かの」




