57:ノンノ、廃墟へ行く③
カノープス王子には、二人の護衛騎士がついていた。
大神官になるための修行で、一人で除霊を成功しなければならないとはいえ、廃墟ではどんな危険に遇うかは分からない。腐った床が抜けるかもしれないし、天井が剥がれ落ちてくるかもしれない。今回の件には関係ないが、『廃墟に幽霊騒ぎがあったと思ったら、実は不審者の仕業だった』というパターンだってある。そのための護衛騎士だ。
けれど彼らより、プロキオンの方が明らかに強そう。
護衛騎士たちもプロキオンを見て、「呪われた黒騎士だ……」「あのグレンヴィル公爵家の……」と気圧されていた。
とはいえ彼らもプロフェッショナル。プロキオンに負けてはいられない。
護衛騎士は先頭としんがりに分かれて、廃墟へ向かう通りを歩いて行く。
周囲の様子はとても静かだ。道の両端には平民たちが暮らすこじんまりとした家が並んでいる。
だけど人の生活の気配がしない。洗濯物も干されていないし、煮炊きをする煙も見えない。なんだか不吉な雰囲気だ。
私は思わずアンタレスの腕にぎゅっと掴った。
するとアンタレスは周囲の様子を観察し、耳打ちしてくる。
「ノンノ、住民は数人しか残っていないみたいだよ。廃墟のせいで、近くの親戚の家なんかに避難しているみたい」
「なるほど」
近くに避難できるところがあるのなら、確かに避難したいよね。
あと一つ角を曲がったら廃墟が見えて来るかな、という辺りで悪臭が流れてきた。卵が腐ったような嫌な臭いだ。
そして悪臭を辿った先に廃墟が現れた。
裕福な商家という感じの大きな家が建っているが、ひどい有り様だ。
煉瓦の壁はところどころ穴が空き、ボロボロだ。屋根はもとは綺麗な赤い色をしていただろうに、今では黒ずんで血のような色になっている。
窓ガラスは割れ、庭は荒れ放題。なぜか家具や絨毯やランプなどが屋外に転がっていた。
護衛騎士の一人を先頭に、私たちは廃墟のドアをくぐり、玄関ホールへと入った。
薄暗い玄関ホールも荒れ果てた様子だ。
床のカーペットは擦り切れ、ほとんど剝がれて床板が見えていた。歩くと埃が立ちのぼり、靴裏が土や砂でジャリジャリする。
壁に取り付けられたランプは、触れてもいないのに火が点いたり消えたりを繰り返している。肖像画だと思われる絵には赤茶色い液体がべったりと付着していて、人物の顔が見えない。
そして相変わらず悪臭がする。道を歩いていた時より、廃墟の中の方が臭いがきつい。
しんがりの護衛騎士が玄関ホールに入ると、扉がバタンッと大きな音を立てて勝手に閉まった。
護衛騎士が慌てて扉を確認したが、なぜか鍵がかかってしまい、開けることが出来ない。
はいはい、予定調和、予定調和。わかってる、わかってる。ノンノさん、わかってる。どうせイベントが終了するまで開かないやつだろ。
「カノープス殿下、いかがいたしましょう?」
「お前たちはボクの護衛騎士でしょ~。狼狽えないでくれる? 玄関扉が開かなくても、廃墟のどこかに外へ出られる扉や窓があるはずだよぉ。どっちみち幽霊を探して、お祓いしなきゃいけないんだから、先へ進もう」
「はっ、我々が出口をお探しいたしますっ」
開かない玄関扉よりも問題なのは、締め切られたことにより玄関ホールの悪臭が強くなったことだ。鼻が曲がりそう。
あっ、そうだ。聖水スプレーを使えばいいじゃん。あれ、ホワイトフローラルのいい香りだし。
私がポケットからごそごそと聖水スプレーを取り出すと。護衛騎士に指示を出していたカノープス王子がこちらを見て、金色の瞳を大きく見開いた。
「えぇっ? ちょっと待ってぇ!? それってもしかして、大聖堂でほんの一時期しか売ってなかった、幻の『お清めの塩入り聖水スプレー(恋が叶うホワイトフローラルの香り)』!?」
「え? はい。そうですわ、カノープス殿下」
「嘘っ!? 本物!? すごーいっ、ボク、これ初めて見たよぉ……!!」
カノープス王子は聖水スプレーを見て、なにやら大興奮しているが。
これ、まったく効果はなかったよ? だって私、男性をつぎつぎ落として狂わせる傾国の美女になれなかったもん。この国を滅ぼせなかったもん。
「この聖水スプレーは本当に強力なんだよ~。除霊効果ももちろん最上級なんだけどねぇ、縁結び効果が本当に絶大なの。ひとプッシュするだけで運命の相手に出会えるんだ~。だけど今はこの聖水スプレーを祈祷していた凄腕の神官が、世界中を行脚中でねぇ。製造中止してるんだよ。もう販売は無理かもね~。ジルベスト先輩、この聖水スプレーは大切にした方がいいですよぉ」
「おおう……」
つまりとっくの昔にアンタレスと出会っていたから、私には効果がなかったということか……。なんということ……。
とりあえずカノープス王子から除霊効果も最上級というお墨付きを得られたので、皆にプシュプシュする。すごくいい香り。ホワイトフローラルのおかげで、卵の腐ったような臭いが消えた。
「護衛騎士のお二人にも聖水スプレーをかけてあげないと」
玄関ホールの様子を探っている護衛騎士にも聖水スプレーをかけてあげようと思い、彼らに視線を向けると。
「うわあああぁぁ!!」
「ぎゃあああぁぁ!!」
ちょうど、護衛騎士二人の頭にそれぞれ別の鉢植えが飛んできて直撃したところだった。
ガッシャーンッ! と鉢が割れ、土が舞い、植物が吹っ飛ぶ。
そして護衛騎士は二人揃って床に倒れ込んだ。
ポルターガイスト現象がひどすぎる。
「ちょっとお前たち、大丈夫ぅ!? この鉢植えはいったいどうして……って、分かり切ったことだよねぇ~……」
プロキオンとアンタレスが護衛騎士の様子を確認し、気絶と判断する。そして二人を玄関ホールの端に寝せた。
彼らはモブだから、最初にやられる運命だったのだろう。ホラーの定番ですね。
あれ?
ということは、次にやられるのはモブ令嬢の私か?
残りのメンバーの顔を一人一人確認する。
攻略対象者のアンタレスでしょ、攻略対象者のプロキオンでしょ、攻略対象者でしかも今回メインのカノープス王子でしょ。そしてヒロインのスピカちゃん。
対して私、アンタレスが六歳のときに出番の終わったトラウマ製造機。
結果は火を見るより明らかである。
「うわ~、次に私がやられるのが決定している……。運命付けられている……! 鉢植えに頭突きされるのは嫌だ……!」
「ノンノ、これ、さっき庭で拾った鍋なんだけど。頭に被った方がいいよ」
「ありがとう、アンタレス! めっちゃ被る!」
「あと、除霊効果が消えないように、聖水スプレーもどんどん使った方がいい」
「わかった! めっちゃ使う!」
私はアンタレスから鍋を貰い、頭に被ったが、とってもぐらぐらする。聖水スプレーも皆より多めに振りかけておく。
よし、気休めは万端だ!
「護衛騎士は気絶しちゃったけど、先に進まないことにはどうにもならないよねぇ~」
カノープス王子はドライに言うと、「スピカ先輩、ほかの先輩たち、まずは一階から調べましょうか」と移動を始めた。




