50:偽ピーチパイ・ボインスキー、現る①
「やったぁ! 一冊分書き上げた!」
グレンヴィル公爵家の別荘から帰宅した私は、せっかくの夏期休暇を活用すべく、執筆活動に勤しんでいた。
たった今生まれたばかりの新作には、前回上手く使いこなせなかった題材『バニーガール』をたっぷりと落とし込んだ。
自宅のクローゼットの奥から異世界に迷い込んでしまった女性主人公(爆乳)は、謎の後宮に辿り着く。
後宮では全員バニーガール衣装を着用することがしきたりだと言われ、主人公もバニーガール衣装を着て、後宮で働くことになるのだ。
そんなある日、後宮でバニーガール衣装を着ていない唯一の人間と出会ってしまう。そう、この後宮の主・若き狼皇帝だ。
狼皇帝だと知らない主人公は、彼に食って掛かる。
「ここでは全員、バニーガール衣装を着ることが義務付けられています! 貴方がどなたかは知りませんが、ちゃんとバニーガール衣装を着てください!」
「この俺様を知らないだと? フッ、面白れー女」
そして始まる後宮連続殺人事件の犯人を追い、狼皇帝と主人公は恋に落ちるのだ……!
タイトルは『うっふん♡バニーガール後宮物語~美女だらけの後宮に迷い込んじゃった私、連続殺人事件の犯人に間違われて処刑寸前までいったけれど、なんやかんやあって狼皇帝に愛されて幸せです~』にしよーっと。
「ウェセックス第二王子とファビュラスさんたちのおかげで、満足いく作品が書けたなぁ。やはりハーレムの実地調査はいいものだね。よし、さっそくライトムーン編集長に原稿を見てもらわなくっちゃ! 伝書鳩、伝書鳩……」
電話もメールもないこの世界での連絡ツールは、手紙だ。手紙の配達は手の空いている使用人に頼んだり、専門の配達人に頼んだりと、いろいろ方法があるが、私と編集長のあいだで使うのはもっぱら伝書鳩である。
私の正体が万が一にもバレぬよう、手紙の配達にも気を使っているのだ。もしも私の真実の姿が露見したとしたら、泣くのは私じゃなくてお父様だからな。
父を思いやって真実を隠す私は、とてもいい娘だと思う。我ながら感動的である。
「というわけで、鳩胸ちゃん。編集長のところまでよろしくね!」
「ポー!」
庭にある飼育小屋から、伝書鳩『鳩胸ちゃん♂』を連れ出し、鳩胸ちゃんの足首に原稿が出来た印の赤いリボンを結んでから、私は彼を大空へと放った。さすがに原稿を運ばせるのは無理だからね。
あと三十分もすれば、編集長が顔を見せに来てくれるだろう。
編集長がやって来るまでのあいだ、私は庭をふらふらと散歩し、桃色の蝶々(精霊)を探した。見つからなかった。
▽
ライトムーン編集長はいろんな屋敷に出入りする御用聞きの姿に変装して、ジルベスト子爵家の敷地と歩道を遮る鉄柵のところに現れた。ノリの良い編集長である。
私とライトムーン編集長の付き合いは、もう四年ほどになる。
父親の代から経営している小さな出版社を引き継いだライトムーン編集長は、自分の代で出版社を大きくしたいと野望を抱いており、そこに私がたまたまちょっとえっちな小説を持ち込んだことから関係が始まった。
そして今では出版社の利益が毎年右肩上がりで、私は金の卵を産むニワトリとして大切にしてもらっているのである。
ライトムーン編集長はいかにも商売が大好きです、という感じの狸顔をニコニコさせながら、「例のブツを頂戴しに来ましたッスよ、ボインちゃん先生」と言う。
「これが新作ですわ、編集長。バニーガールで後宮で爆乳のサスペンスです」
「いいッスね、さすがボインちゃん先生ッス! こんなの誰も読んだことがない設定ッスよ! しびれるッス!」
鉄柵の隙間から差し出した原稿を、編集長はパラパラとめくって確認し、すぐに革の鞄の中へと隠した。
「じゃあ今週中に確認して、鳩胸ちゃん経由で連絡するんで、少々お待ちくださいッス」
「鳩胸ちゃんのお世話をよろしくお願いいたしますわ」
「もちろんッス」
編集長はそう言って鞄を抱え直したあと、「あ、言い忘れるところだったッス」と言って、鉄柵に再び近寄ってきた。
「ボインちゃん先生、気を付けてくださいね」
「なにかあったのですか、編集長?」
「俺もまだ噂しか知らないんスけど。最近街中で、ボインちゃん先生を騙るやつがいるらしいんッスよ……。もしかするとそいつのせいで、王立品質監察局が動くかもしれないんで。偽者がどうなろうと知ったこっちゃないッスけど、ボインちゃん先生の身になにかあったら、うちの出版社が大変なんで。局長にバレないように気を付けてくださいッス」
「あら、まぁ……」
ボインスキーの偽者?
お父様が動く?
なんなんだ、それ。どこから突っ込めばいいか分からない事態である。
「じゃあ、たしかに原稿をお預かりしたんで。俺はこれで失礼するッス!」
「お気をつけて、編集長」
おかしな事態が起こったものだなぁ、と思いつつ、私は立ち去る編集長を見送った。
まさかその数日後、アンタレスとのデート中に、ボインスキーを騙る偽者とエンカウントするとは思いもせずに。




