45:ノンノ、グレンヴィル公爵家別荘へ行く③
「妖精王にお供えするお菓子を、ぜひ作りたいんです……!」
スピカちゃんはそう言った。
スピカちゃんはすでにプロキオンの許可を取っており、別荘の調理室を借りる手筈を整えていた。材料もプロキオンが用意してくれるらしい。
本日はテニスが終わったらグレンヴィル公爵家の別荘に戻ってのんびり過ごす予定だったので、皆でお菓子作りというのもいいかもしれない。
それに私は普段お菓子作りをしないので、エプロン姿をアンタレスに披露すれば、ギャップで誘惑出来るのではなかろうか? 新妻っぽい私に、アンタレスもきゅんきゅんしてしまうのでは?
「せっかくなので皆さんとお菓子作りが出来たら、旅の思い出がまたひとつ増えると思うんですっ!」
「いいですね、スピカ様。ぜひ皆さんでお菓子作りをいたしましょう」
「本当ですか!? ノンノ様が快諾してくださって嬉しいです! おいしいお菓子を作りましょうねっ」
「はい」
というわけでテニスを切り上げ、グレンヴィル公爵家の別荘へと戻ることにした。まだランチを取っていなかったので、別荘の中庭で四人でまったりと食事をし、お腹がこなれてきた辺りでお菓子作りをすることになった。
「今日はラベンダーのクッキーを作ろうと思いますっ。こちらが近くの花畑から採れたドライラベンダーです!」
バターに砂糖に卵、小麦粉や粉末状になったアーモンドなど、シンプルな材料が調理台に並んでいる。その中で一際鮮やかな色と香りを放つドライラベンダーを手に取り、スピカちゃんはにっこりと笑顔を浮かべた。
「このドライラベンダーは、ちょっとすり潰しておきましょう。ノンノ様、よろしくお願いいたしますっ」
「はい」
「では私は、バターをクリーム状に混ぜるところをやっておきますね!」
スピカちゃんは気合を入れて腕まくりをすると、一番重労働な作業を率先して担当し始めた。こういうところがヒロインたるところだよなぁ、と感心する。
もちろん途中でプロキオンが「……スピカ嬢、腕が疲れただろう。私が代わろう」と攻略対象者らしく手助けする未来が、すでに見えているのだけれど。
私も任された作業をすべく、小さなすり鉢でドライラベンダーをすり潰す。ふわぁぁ、甘くてよい香りぃ~。うっとりしてしまう。
「ほんと、良い香りだね」
小麦粉をふるう係を担当しているアンタレスが、エメラルド色の瞳を柔らかく細めながらそう言った。
私は思わずプイッと顔を横に逸らす。
「……ノンノ」
ちょっと困った様子でアンタレスが私の名前を呼ぶが、私は今、アンタレスに誘惑されないように頑張っているところなのでちょっと静かにしていて欲しい。
私はこのお菓子作りの最中に、アンタレスを思いっきり誘惑して手のひらで転がして私に夢中にさせてやろうと計画を練り、新妻っぽい白のフリフリエプロンを着用した。
調理室でアンタレスに合流する前の私は意気揚々としていた。
どうよ、この『ごはんにする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』感。この三択で私以外の選択肢を選ぶアンタレスなんて、この世に存在するの? 居たとしたら聖人過ぎない? などと考えていた。
とにかく私のこの最高にキュートなエプロン姿を見れば、どんな聖人なアンタレスも良い感じにトチ狂って『ノンノ、抱かせてよ』とか言って私に襲い掛かってくるはず。
けれどどうせ健全強制力が働くので、寸止めで終わるに違いない。だから私は安心してセクシーお姉さんになりきり、『うふふ♡どうしよっかなぁ~』とか言って、アンタレスの頬を突っつき、散々じらしてやるのだ! 青少年を煽りに煽るのだ!
そんな最高の計画を立てていたのだが。
……―――敵は私より一枚上手だった。
アンタレスは私を誘惑するために、黒いシンプルなエプロンを着用してきたのである!!!!
普段はきっちりとした制服や紳士服しか着ないアンタレスが、白いシャツを腕まくりして黒いエプロンを着用している、このギャップ……!
なんだかストイックで、手首の骨や筋ががっしりしている感じとかがセクシーで格好良い……!
ちくしょう、アンタレスめ……!
私をぎゅって抱きしめて……!
「僕は別にノンノを誘惑しようと思ってこのエプロンを着たわけじゃないんだけどね。気に入ってくれたなら嬉しいけどさ。あと、お菓子作りが終わったら、抱きしめてあげる」
アンタレスは小麦粉をカシャカシャ振るいながら、そう言った。なにこのすごい敗北感。
やっぱり服が邪魔なんだよ。裸エプロンにならないと、アンタレスを誘惑できないんだ……。
「いい加減調理に集中して。僕を誘惑しようなんて意味のないことを考えないでよ、ノンノ」
「はいぃぃ……」
▽
無事にラベンダークッキーが焼き上がったので、教会へお供えに行く前に、四人で試食する。
「サクサクでラベンダーの香りがふわっと口の中で広がって、とっても美味しいです! さすがスピカ様ですね! 世界一美味しいクッキーですわ!」
学園でもランチの時間にスピカちゃん手作りのおかずを分けてもらったことがあるから、お料理が上手なことは知っているけれど。お菓子作りも本当に上手だ。
売り物のクッキーよりも美味しい。さすがヒロイン。
「そんなっ。私だけじゃなくて、皆さんで頑張って作ったから、いつもよりずっと美味しいクッキーが出来たんですっ。皆さん、ありがとうございます!」
両手をぶんぶん振って恥じらうスピカちゃんだが、ほかのメンバーよりずっと重労働をこなしたのは彼女である。
それなのに手柄を皆で分けようとするスピカちゃん。実に推せる。
アンタレスとプロキオンもクッキーを食べながら、スピカちゃんの腕前に感心していた。
「こんなに美味しいクッキーを食べたのは初めてだ」
「僕やノンノ嬢はほとんど材料を用意しただけですし。やはりエジャートン嬢のお菓子作りの腕が良いのだと思います」
「そんな……っ」
スピカちゃんはモジモジ両手を弄っていたが、プロキオンから、「これほど美味しいクッキーなら、妖精たちも喜ぶだろう」と言われると顔をほころばせた。
「そうですねっ! 妖精さんたちが喜んでくださると嬉しいですっ」
その後私たちは籠にクッキーを詰めて、教会に移動した。
そして妖精王の石像にクッキーをお供えする。
「これでこの地域の花畑に、さらなる加護が付いたら嬉しいですね、スピカ様」
「はいっ」
スピカちゃんもすっかり満足した様子で、その日は別荘に帰ると、残り時間はのんびりとボードゲームをして過ごした。
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