44:ノンノ、グレンヴィル公爵家別荘へ行く②
私たちが花畑を満喫すると、辺りは夕暮れ時になった。
グレンヴィル公爵家の別荘まで戻り、食堂でディナーを食べる。
花畑が有名な土地柄か、エディブルフラワーがお皿を彩っていて綺麗だ。
私が「まるで結婚式の食事みたいに華やかですね」と言ったら、別荘の管理人さんが「この地域ではよく結婚式が開かれておりますよ」と教えてくれた。
「一面の花畑の中で結婚式を挙げたいという新郎新婦が多く、よくあちらこちらの花畑の中でガーデンパーティーが開かれております。そのため、東の方へ少し歩くと教会があるのですよ」
「まぁっ! こんな花畑の中で結婚式を挙げられるなんて、とても素敵ですねっ」
「スピカ嬢が気になるなら、明日は教会を見に行くか? 運が良ければ誰かの結婚式が見られるかもしれない。アンタレスとジルベスト嬢の気持ちはどうだろうか?」
「いいですね。僕たちの結婚式の参考になるかもしれません」
「ぜひ教会まで行ってみたいですわ」
そんなふうに明日の予定を決め、すみれの花の砂糖漬けが乗った真っ白なクリームのケーキをデザートに食べた。
ディナーが終わると大きな客室に移動して、先日皆で買い込んだボードゲームを開始する。まずは人生ゲームだ。
ボードゲームを見る度に、透明人間になれなかった悲しみが蘇るけどね……。
あのカップルもどこかで幸せな結婚をしているといいな。
私が透明人間化キャンディーを譲ってあげたんだから、幸せになってくれなきゃむしろ恨むぞ。
▽
翌日、快晴の青空の下をのんびりと歩き、皆で教会に向かう。
残念ながら今日は誰も結婚式を挙げていなかったけれど、開門された教会の中はとても美しかった。
何本もの太い柱に支えられた教会の壁には、天井近くまで無数の窓があり、その一つ一つにステンドグラスが嵌め込まれている。
ステンドグラスに描かれているのは、花畑や森、そして妖精の姿だ。まだ午前の日差しが東側からたっぷりと差し込み、教会の床を万華鏡のように染めあげた。
「綺麗ですね、こちらの教会」
「はい、ノンノ様っ。それにとっても静かで、敬虔な気持ちになります」
観光客も地元の人もおらず、教会の中は私たち四人だけだった。
とても心地良い気持ちで、私たちは祭壇に向かう。
祭壇にあるのは、珍しいことに妖精王の石像だった。この世界では女神も精霊もつくも神もごった煮状態で崇められているが、妖精族の王を祀る教会は初めて訪れた。
妖精王の石像の回りには、薔薇の花束やたくさんのお菓子が供えられていた。
珍しい教会に来られたなぁ、と思っていると、スピカちゃんが隣で首を傾げた。
「これはいったい何の神様を祀られていらっしゃるのでしょう? 初めてお見かけいたします」
「スピカ様、こちらは妖精王の石像ですわ」
「妖精王ですか?」
「シトラス王国各地で暮らす妖精たちを統べる王様です。きっとこの地域に妖精信仰が根付いているのでしょう。妖精が現れる土地は、こうしてお菓子をお供えして感謝の心を示すそうです。そうすると妖精がこの地に加護を与えるそうですよ」
「まぁ、素敵なお話ですねっ! ノンノ様は博識です!」
「母方の実家が妖精信仰なのですわ」
私はそうスピカちゃんに説明した。
私の母の実家ローズモンド子爵家には、妖精にまつわる伝説が多々残っていて、その手の話は母からよく聞かされていたのである。
やれ『ご先祖様のもとに妖精が嫁いで来た』だの、『妖精の血が濃い子孫は、人であることを辞めて妖精の世界に帰る』だの。
私の叔父にあたる人が成人前に妖精の世界に帰ってしまい、ずっと行方不明だという話も聞いた。母はおっとりと微笑んで「あの子には人間の世界より、妖精の世界の方が性に合っていたのでしょう」と言っていた。寂しいけれど仕方がない、という様子だった。
一緒に話を聞いていたマーガレットお姉様は神妙な顔をしていたが、私は『失踪事件が多い一族ってどうなんだ』と思っていた。
「せっかくなので妖精さんにお菓子をお供えしたいのですが、今は持ち合わせがありません……。残念です」
「私も残念ながら」
というわけで、今回は普通にお祈りをする。
えーっと、世界平和と皆の健康と、……あと、やっぱりアンタレスがムッツリ絶倫でありますように。私、『アンタレスに毎晩求められすぎて、たいへーん♡』とか言ってみたいです、妖精王。遠縁の親戚なんだから、ここは一つよろしくお願いします。
お祈りが終わると、アンタレスはじとーっとした目でこちらを見ていたが。
▽
教会の散策が終わると、私たちはテニスコートに向かった。もちろんテニスをするためである。
実は私、前世では中学高校とテニス部に所属していた。だってユニフォームが可愛いもん! 魅惑の太もも! ミニスカートひらりっ! 最高にセクシー!
ちなみにあのユニフォームは実際はスパッツ一体型のスコートなので、ヒラヒラしたって問題はない代物なのだが。
しかしスコートを履きたくてテニス部に入部したのに、私が通っていた田舎の中学校では何故か、スコートではなく黒いハーフパンツ着用だった。実に灰色の三年間だった。
女子の先輩たちがちょっと過激な少女漫画をこっそり貸してくれなきゃ、部活に耐えられなかったかもしれない。先輩たち、本当にお世話になりました。お陰で私は今、ピーチパイ・ボインスキーとして転生先でも頑張っています。
そして高校に入学してからついにスコートを着用出来ることになったあの喜びは、忘れがたい。黄金の三年間だった。
そして現在、足首さえ出すのを良しとされないこの健全世界において、女子のテニスウェアはとても悲しいことになっている。
「ノンノ様、着替えは終わりましたかっ?」
「……ええ、はい」
更衣室の大きな鏡に映る私とスピカちゃん。
私のおっぱいはとてもささやかで、スピカちゃんはマシュマロおっぱいという違いはあるが、上に着ているのはポロシャツのような形の運動着だ。
そして下はジャージのズボンである。
このジャージの生地は特殊な蜘蛛の糸で出来ているそうで、無駄に速乾性があり、激しく動いて体温が上がっても絶対に蒸れず、体温調節してくれるのだとか。
どうしてそんなところばかり技術力があるんですか、この世界。そんな凄い生地を開発するより、スカート丈を短くすることの方が簡単でしょうが……!
「テニスのスコートは、ウィンブルドンで、フランス貴族のワトソン姉妹がそれまで地面に引きずる程長かったドレスをくるぶし丈まで短くしたことから始まって、それ以降どんどん短くなっていったのに、いったい何故この健全世界は……」
「さぁ、ノンノ様! プロキオン様たちがお待ちですから、さっそくコートに行きましょうっ」
死んだ魚のような目で鏡を見つめていた私をスピカちゃんが引きずってくれて、無事にテニスコートまで辿り着くことが出来た。
その日は一日中、テニスをして遊んだ。
私とアンタレス、そしてスピカちゃんとプロキオンのダブルスで楽しんだり、私とスピカちゃん、アンタレスとプロキオンでシングルスを楽しんだりした。
これでスコートでヒラヒラ~ってやれたら、完璧だったのになぁ。きっと今頃アンタレスを、私の眩しい生足で誘惑出来ていたはずなのに。
いや、冗談ではなく本気で、スコートさえあれば、なんか良い感じにアンタレスの精神を破壊出来たと思う。アンタレスだって十七歳の男子だし。
あ~あ、アンタレスの精神をスケベな方向に破壊したいなぁ。だって私、彼女だもん。
アンタレスを誘惑してみたいなぁ。
というかここ最近、アンタレスにしてやられているのは私の方な気がするんだよね。この前も『結婚したら一緒にお風呂に入ろう』的な凄くえっちなことを言われてしまい、私の方が照れちゃったし。実質キス(唇に付いたクリームを指でとって舐められた件)の時も、私がしてやられた側だったし。
セクシーお姉さんになることを前世の頃から願っているこの私が、アンタレスに誘惑されてばっかりなのは、ちょっと私の沽券にかかわるんじゃなかろうか?
「うーむ。いったいどうやって、アンタレスを誘惑しよう?」
私が腕を組んで、うんうん頭を悩ませていると、ジャージ姿のスピカちゃんが小走りでやって来た。
「ノンノ様ー! 木陰で涼んでらしたんですねっ!」
「スピカ様」
木陰の下の芝生に腰を下ろしていた私を見て、スピカちゃんもさっと腰を下ろす。スピカちゃんが汗をかいていたので、私は側に置いていた水筒を渡した。スピカちゃんは嬉しそうにお礼を言って、水筒の中の水を飲んだ。
「お水ありがとうございます、ノンノ様っ」
「どういたしまして」
「あの、ノンノ様、お聞きしたいことがあるのですが……っ」
「なんでしょうか?」
私は首を傾げた。テニスをするためにツインテールにした髪がさらさらと揺れる。
「お菓子作りに、興味がありますか?」
「……お菓子作り?」
「はい。お菓子作りです!」
スピカちゃんはブルーサファイアのような瞳をキラキラと輝かせ、これぞ清純ヒロインといった様子で頷いた。




