43:ノンノ、グレンヴィル公爵家別荘へ行く①
八月某日。
私とアンタレスとスピカちゃんは、一学年先輩のプロキオンに誘われて、グレンヴィル公爵家の数ある別荘のうちの一つに遊びに行くことになった。
場所は一応王都内だ。貴族街から半日くらい馬車に揺られると、王家や上級貴族御用達の別荘地があるのだ。
夏期休暇といっても一ヵ月間しかないし、この世界の移動は馬や馬車が主流で時間がかかるから、さすがに「誰かの領地まで遊びに行こーぜ!」って感じにはならないのである。
ちなみに我がジルベスト子爵領は移動に二週間かかる。山間部だからね。
でも緑豊かで、青い山脈がすぐそばまで迫っていて、アルプスの少女気分になれる素敵な領地だ。私は大好き。
ちなみにバギンズ伯爵領は船で一週間という感じ。バギンズ伯爵領は王都でいちばん大きな川から下って、海に出れば辿り着く。このシトラス王国最大の貿易都市なのである。
グレンヴィル家の馬車に朝から乗り込んで到着した別荘地は、夏の鮮やかな花畑があちらこちらに広がっていた。
私たち四人のテンションは道中ずっと高かった。
なにせ片思いの相手に誘われて嬉しいスピカちゃんと、初めてお友達と旅行することになったプロキオン、初めての男友達に浮かれているアンタレス、そしてそんな彼氏が可愛い私である。テンションを上げるなという方が無理である。
私とスピカちゃんは馬車窓の外を覗き込み、どこまでも広がるカラフルな花畑を前にふたり揃ってぽかんと口を開けて、「わぁぁぁ……!」「なんて素敵な景色なんでしょうっ!」と感嘆の声を漏らした。
どこまでも続く濃い黄色のひまわり畑、燃えるような赤いサルビアの丘、紫色のラベンダーの花畑は見ているだけで甘い匂いがここまで香ってきそうだ。ピンク色の睡蓮が花開く大きな湖もある。
花畑の間には遊歩道があり、貴婦人たちが日傘を差して散歩している様子が見えた。あちらこちらに点在する東屋では、身なりの良い子供たちがランチボックスを広げている。
遠くの方には鮮やかな夏の森も見えた。
もはやこの別荘地一帯が巨大な庭園という感じだ。
「あっちの方にはテニスコートがあり、あの先には教会があるそうだ。貴族向けの店舗が立ち並ぶ通りもあるらしい。湖ではボートも貸し出してくれると聞いた」
プロキオンの説明に、スピカちゃんが目を輝かせて質問する。
「プロキオン様は子供の頃からこの別荘地に来ていらっしゃったのですよねっ。どこが一番おすすめの場所ですか?」
「いや、この場所に来たのは今日が初めてだ」
ふるふると首を横に振りながら、プロキオンが淡々と答える。
「我が家がこの地に別荘を所有していることは知っていたが、幼少期の私は呪いを制御することが難しく、ベッドでずっと寝たきりの状態だった。その後、体が成長してからは、呪いを制御するために訓練ばかりしていたので、別荘を訪れる機会もなかった」
プロキオンが発した『寝たきり』の単語に、馬車の中が一瞬でシーン……と静まり返る。結構なパワーワードであった。
「ぷ、プロキオン様ぁ……!! きょ、今日は皆さんで楽しみましょうねっ!! 思い出いっぱい作りましょう!! ねっ!?」
「プロキオン様!! 僕でよければ、どこへなりともお供しますから!!」
「グレンヴィル様、もうパリピモードでオールしちゃいましょう!! ウェーイ!」
寂しい過去を無表情で語るプロキオンに、私たちはいたく同情心を刺激され、めちゃくちゃ明るい声で励ました。
人生はまだまだこれから!! 遊びは始まったばかりだぜー!!
プロキオンはアメジスト色の瞳を細め、フッと微笑んだ。
「そうだな。皆、私とたくさん遊んでくれると嬉しい」
▽
到着したグレンヴィル公爵家の別荘も凄かった。
公爵家レベルならこの程度の屋敷は大したことがないのかもしれないが、ちょっとしたお城に見える。レンガ造りの壁には蔦が取り巻き、可憐な白い花を咲かせている。青い屋根が青空と同化していて、爽やかな印象の建物だった。
私たちが馬車から降りると、先行していたグレンヴィル家の使用人や別荘の管理人がやって来て、部屋へと案内してくれる。
部屋は一人一部屋ずつで、私の部屋にはグレンヴィル家の初代当主がシトラス王家初代国王陛下から騎士の称号を受けている場面の絵画が飾ってあった。歴史がある一族ってすごいなぁ。
うちの初代なんて養蜂家だからなぁ。蜂蜜で稼ぎまくって王家御用達の蜂蜜になり、気が付いたら子爵家にまでのし上がっていった一族である。
「ノンノ様! プロキオン様たちを誘って、さっそく近くのお花畑を見に行きませんかっ?」
隣の部屋からスピカちゃんがやって来て、外出のお誘いをしてくれた。
そうだね、せっかく皆で別荘地に来たのだから、遊び倒さなくては。
「いいですね。どのお花畑に行きましょうか?」
「実は先程、ここの侍女さんにお聞きしたのですが……」
スピカちゃんはそう前置きをしてから、周囲をきょろきょろ見回す。それからそっと口元に手を当て、私の耳に顔を近づけてきた。
ちなみにまだ私の部屋から移動していないので、室内に二人きりである。聞き耳を立てている人間などどこにも居なさそうなのだが。ヒロインは少々天然であることが鉄板だもんなぁ。
スピカちゃんは小声で言った。
「……花占い専用の花畑があるそうなんです」
「……花占いって、あの花占いですか?」
好きな人が自分のことをどう思っているのか、『好き』『嫌い』と交互に花びらを千切っていくと、最後の花びらで好きな人の気持ちが分かるという占いのこと?
あれ専用の花畑?
合わせて小声になる私に、スピカちゃんは真剣な表情でこくりと頷く。ただただ可愛い。
「その花畑の花で占うと、的中率が百パーセントらしいんです……!」
「それはとてもロマンチックな花畑ですね」
「私、ぜひ行ってみたくて……」
「じゃあアンタレス様とグレンヴィル様にお願いして、連れて行ってもらいましょうか」
「はいっ!」
ニコニコ笑顔で頷いたスピカちゃんは、「あ、でも」と頬を赤らめた。
「花占い用の花畑だってこと、プロキオン様には内緒にしていただけますか? なんだか、は、恥ずかしいので……!」
「ふふふ、分かりました、スピカ様」
どうせプロキオンが自分のことを好きか嫌いか占って、好きっていう結果が出てスピカちゃんドキドキ☆って展開なのだろう。健全世界だもん。知ってる。打ちのめされるっていうか、叩きのめされるほど知ってる。骨の髄まで知ってる。
でも花占い用のお花畑って面白そうだし、片思い中のスピカちゃんは可愛いから。今だけはこのノンノ様がお前の存在を許してやるよ、健全世界。
▽
「わぁっ! 一面真っ白なお花畑ですね! なんだか雪原を見ているような気分になりますっ。とっても綺麗……」
「お花の香りもとってもいい匂いですね、スピカ様」
アンタレスたちを誘ってさっそくやって来た『花占い用の花畑』は、真っ白なマーガレットに似たお花が視界いっぱいに広がり、遠くの丘の方まで咲いていた。風がそよぐたびに花がお辞儀するように揺れ、甘い香りを運んで来る。
乙女チックな由来のある花畑だからとても人気なようで、貴族のカップルがデートをしていたり、ご令嬢が使用人たちに付き添われて楽し気に花を摘んだりしていた。
「じゃあ、花畑の中に入ろうか」
アンタレスがそう言って、私の手を取ろうとしてくれる。花畑の中は畝の横のくぼみを歩かなくてはいけないから、躓かないように支えてくれるつもりなのだろう。
プロキオンもアンタレスを真似て、スピカちゃんのエスコートをしようとしていた。
だが、今回の本題はスピカちゃんの花占いである。
『プロキオン様は私のことをどう思っていらっしゃるのかしら、ドキドキ☆』の最中に、当のプロキオンが傍に居ては困るのである。
私の隣に立つスピカちゃんは、プロキオンから差し出された手のひらを見て、すでにモジモジしていた。
「今日は大丈夫ですわ、アンタレス様。私、歩きやすい靴を履いてきましたもの」
「わ、私も大丈夫です、プロキオン様! 元平民ですから、畑を歩くのは得意ですっ」
私とスピカちゃんの本音を読み取ったアンタレスは、仕方なさそうに微笑むと「ちゃんと足元に気を付けてくれるなら」と手を下ろした。
プロキオンも「そうか」と素直に手を引っ込める。
「のっ、ノンノ様! 私、あっちの方のお花を見てみたいです! 行きましょうっ」
「はい、スピカ様」
スピカちゃんに引っ張られ、花畑の中でも人気のない方向へ進んで行く。
アンタレスはやれやれという表情をしながらもプロキオンに話しかけ、私たちの後をゆっくりと付いてきてくれた。
「では、私、このお花で占ってみようと思います……!」
じっくりとお花を選んだ後に、スピカちゃんは一輪の花を手折った。そして真剣な表情で「プロキオン様は私のことを……、『友達と思ってくださっている』……、『ただの後輩だと思っている』……」と占い始めた。
ちょっと待って。好き嫌いじゃなくて、そのレベルから始めちゃうんですか、スピカちゃん?
ヒロインというのは奥ゆかしくて大変だね……。
スピカちゃんが占いを始めちゃったし、待つのも退屈だから、私も花占いをしようかな。
手近な花を選び、花を手折る。
こうやってよく観察してみると、マーガレットより花びらの数が多いかもしれない。千切りがいのある花びらだ。
なにを占おうかなぁ。
定番なのは『好きor嫌い』なのだろうけど、アンタレスのことを占っても『好き』一択に決まってるし。私のことを嫌いなアンタレスなんて、この世に居ないからなぁ。
「じゃあ、アンタレスは……『実はムッツリ絶倫!』、『残念無念淡白』……『実はムッツリ絶倫!』……『残念無念淡白』……」
「ちょっとノンノっ!!!!」
私とスピカちゃんに追いついたアンタレスが、横から手を伸ばして、占い途中の花を盗みやがった。
アンタレスは女の子のように綺麗なその顔に般若そのものの表情を乗せ、普段の落ち着いた雰囲気をかなぐり捨てて怒鳴った。
「なんてことを占ってるの、君は!!」
「今いいところだったのに! 的中率百パーセントの花占いで、アンタレスがムッツリ絶倫かどうか分かる大チャンスだったのに!」
「もっと他に占うことあるでしょ!? 将来に関することとか、大事なことがさぁ!!」
「アンタレスがムッツリ絶倫かどうかは、私の将来に関わる超絶大事なことですけど!? むしろ人生でこんなに大事なことが他にありますか!?」
はっはーん?
アンタレスがこんなに怒るなんて、もしやこいつムッツリ絶倫なのでは?
ムッツリ絶倫が白日の下に晒されてしまうことを恐れたのでは?
私はスケベの先輩として慈愛の籠った眼差しをアンタレスに向けた。
「大丈夫だよ、アンタレス。えっちなことは私に任せて! ノンノお姉さんが何でも教えてあ・げ・る♡」
「経験値ゼロの上に浅い知識しか無いくせに、なんでノンノはそんなに自信満々なの……」
アンタレスは何故か呆れたように溜め息を吐くと、「ほら」と私に手を差し出した。
「エジャートン嬢の花占いも終わったみたいだから、プロキオン様たちのところへ合流するよ」
言われて見れば、すでに花を片付けたスピカちゃんが輝くような笑顔でプロキオンと喋っていた。花占いの結果は無事に『友達』と出たのだろう。『後輩』ではなく。
「はーい」
私はアンタレスがムッツリ絶倫かどうかを占うのを諦め、彼の手を取った。
アンタレスがボソッと、
「僕がどうであれ、本気でそういう雰囲気になったら恥ずかしがって逃げる癖に……」
と呟いたことを、私は一生知らなかった。




