29:アンタレス、表情筋を鍛える
ベテルギウス・ロックベル侯爵令息様が僕の在籍するCクラスへやって来たのは、校外学習から数日経ってのことだった。
瑠璃色の髪をきっちりと整え、青いチェック柄のネクタイやスラックスが特徴的な制服には少しの着崩れもなく、柄の細い銀縁眼鏡を掛けたその姿はいかにも真面目な優等生という姿である。
そしてロックベル様のとなりには、彼の親友のザビニ・モンタギュー侯爵令息様が立っていた。
モンタギュー様はノンノと同じクラスで、たしか彼女の隣の席である。ピーチパイ・ボインスキー発禁問題の際にかなり尽力してくださったとノンノから聞いている。
モンタギュー様は栗色の髪と瞳をした方だが、ロックベル様とは対照的に制服のシャツのボタンを外したり、ネクタイを省くなど、着崩した格好をしていた。
優等生と不良という見た目のコンビだが、心の声を聞けば、お互いのことをかなり信頼し合っていた。
「ベル、頑張れよ」とモンタギュー様に肘で押されたロックベル様は、眼鏡のフレームをかけ直すと、一歩前に出る。
そして少々緊張した様子で僕に声をかけた。
「バギンズ君、急にこんなことを頼むのは、非常に申し訳ないのですが。……君の恋人のジルベスト嬢に相談したい案件があります。その、スピカ嬢のことで……」
校外学習でエジャートン嬢とグレンヴィル様の仲の良さに焦りを抱いたロックベル様が、モンタギュー様に入れ知恵をされて、ノンノからエジャートン嬢の情報を聞き出そうという話になったらしい。
だけど直接令嬢に相談を持ちかけては噂になってしまうので、僕に橋渡しを頼みに来たとのこと。
他人の色恋沙汰などあまり興味はないけれど、ロックベル様の気持ちに悪意はないし、ノンノから無理矢理聞き出そうという考えもないようだ。
それに。
(もし、スピカ嬢が心からグレンヴィル様を想っているというのなら、僕は……彼女を応援してあげたい。スピカ嬢の気持ちがまだそれ程でもないのなら諦めたくはないが、彼女の幸福が僕には一番大切だ)
そんなふうにロックベル様が、自身の恋心よりもエジャートン嬢の幸福を願っていたから。
僕はつい絆されてしまい、ーーー魔が差した。
▽
ロックベル様に指定されたのは、高級パティスリー別館のカフェだった。
一日に午前と午後の二組しか客を取らないので、予約を取るのが大変だと有名な建物だ。伯爵家の僕も、まだ一度も来たことがなかった。
店員に案内されて、異国情緒溢れる小さな中庭を通り抜け、これまた小さな木造の建物にたどり着く。
隣を歩くノンノは『わぁ~、京都のお茶室って感じだなぁ。庭も苔むしていい感じだし』と前世を思い出して嬉しそうである。
事前にノンノに、ロックベル様がエジャートン嬢の恋愛事情を聞きたがっているということは話しておいた。
ノンノはすごく難しい顔をして、
「私、スピカちゃんのスリーサイズなら知ってるけど、誕生日も血液型も、なんなら好物も知らないよ……。ましてやスピカちゃんが最終的にプロキオンルートに行くのかもまだ判断できないけど」
と唸っていた。
けれど、この別館で会うことを知った途端、
「答えられないところは答えなくてもべつにいいよね! 有名な黒蜜きなこ白玉入りパフェが食べたい!」
と元気になったけれども。
ノンノ曰く、このパティスリーは和風スイーツの宝庫だと令嬢たちの間で噂になっているらしい。
木造の建物のなかに入るとすぐに部屋があり、モスグリーンの絨毯敷きの上に応接セットが用意されていた。
恋人や夫婦がゆったりした時間を過ごすにも良いが、密談の場としても良さそうだ。
すでにソファーでくつろいでいたロックベル様とモンタギュー様が立ち上がり、お互いに挨拶を交わす。
それからメニュー表をすすめられ、おのおの注文した。
ノンノとモンタギュー様が注文した黒蜜きなこ白玉入りパフェが運ばれ、ロックベル様のおしること僕のきんつばも届き、最初は和やかにスイーツを食べ、歓談した。
雲行きが変わったのは、ロックベル様がノンノに本題を切り出してからのことだ。
「ジルベスト嬢、こんなことを貴女に尋ねるのは女々しいことだとわかっているのですが……。スピカ嬢は、グレンヴィル様のことをどう思っておられるのでしょうか……? やはりスピカ嬢は彼のことを一人の男性として慕っているのでしょうか?」
(なんて返そうかなぁ。スピカちゃんは男爵令嬢が公爵令息に嫁ぐなんてありえないという常識のせいで、少女漫画ありがちの「先輩に憧れているだけで私は充分なの♡」状態なんだよね。無自覚セーブ中なんだろうなぁ)
眉間にしわを寄せて悩んでいるノンノを見て、ロックベル様は頭を下げた。
「友人の個人的な情報を教えてほしいだなんて、無理なことを言っているのはわかっています……! ですが、お願い致します! どうか教えてください! 僕に出来ることならなんでもするので……! 金品でも宝石でも、最新のドレスでも、ジルベスト嬢の望むものをご用意します!」
「……お金や宝石、最新のドレスですか?」
ノンノは鼻で笑った。
(宝石やドレスは身の丈以上の物なんか必要ないし、お金はねぇ、私も作家業で稼いでいるしお小遣いも貰ってるけど、欲しい物がこの世界には売ってないから使い道がわからないんですよ!! 私だって18禁コンテンツに重課金したいんですよ!! スケベをよこせぇぇ!!)
ノンノの心がどんどん怒りに高ぶっていく。
(僕に出来ることならなんでも~なんて、なにを言っているんだベルベルは!! 『ドスケベな美形とボンキュッボンの美女を集めて、私のハーレムを作って!』って言っても、どうせ健全強制力で実行不可能なのはわかっているんですからねっ!!! それとも健全強制力を壊すためにベルベルが世界と戦ってくれると言うのか!? ヤツは最強だぞ!!!!!)
「ロックベル様! そんな物のためにスピカ様の個人的なことを言い触らすような人間に思われていただなんて、私、とても心外ですわ!」
「もっ、申し訳ありません、ジルベスト嬢。大変失礼なことを言ってしまいました……」
慌ててロックベル様が謝罪をする。
そしてロックベル様から、
(なんという、友情に篤い令嬢だろうか、ジルベスト嬢は……)
という、とんでもない誤解の声が聞こえてきて、僕は噎せた。
しかもロックベル様だけではなく、モンタギュー様からも、
(へぇ。ジルベスト嬢とはあんまり話したことがなかったが、侯爵令息相手にきっぱり断るとは、なかなか肝の座った令嬢だな。バギンズも良い相手を掴まえたもんだ)
などと感心している心の声が聞こえてくる。
(情報を聞き出せなかったのは実に残念だが、スピカ嬢に素晴らしい友人が出来たことが僕は嬉しい)
(ベルベルがストリップショーをしてくれるならスピカちゃんの情報を教えてあげるけど、どうせ脱がないでしょ。ハンッ)
▽
帰り際にロックベル様とモンタギュー様から、
「物欲に惑わされない気高い方ですね、ジルベスト嬢は」
「良い子を掴まえたな、バギンズ。おまえ、女性を見る目があるよ」
と声を掛けられたが、僕は貴族として上手く笑えていただろうか。
自信はない。




