13:ノンノとハーレム王子様☆
ダンスの時間が始まった。
私とアンタレスは周囲のペアと一緒にダンスホールに出ると、音楽に合わせて踊り始める。
私たちは小さい頃から一緒に居る分、ダンスの練習も本番も何度もやって来たので踊り馴れていた。お互いの足を踏むこともリズムに遅れることもなく、いつものようにくるくると回る。
「あの……アンタレス様?」
「…………」
さっきからアンタレスの目力がヤバい。締め切り間際で徹夜を繰り返してるときの私の目よりおどろおどろしい。エメラルドのようだった瞳が、池の藻みたいになっている。
なにがあったのか何度も言葉でも心でも尋ねているのだが、アンタレスはひたすらムスゥゥゥっとしていて答えてくれない。
こんなに不機嫌な彼を見るのはもしかしたら初めてかも。
「アンタレス様、お気持ちはちゃんと声に出して伝えていただかないと、私にはわかりませんわ」
「……拗ねているんだよ、僕は」
腰に回されたアンタレスの手にぎゅっと力が加わる。「わっ」と驚きの声をあげた時にはすでに、私はアンタレスの体にもたれ掛かっていた。
アンタレスが私の耳元に唇を寄せ、苛立ちに満ちた声を出す。
「そんなにあの女ったらし王子がノンノの理想の男性だった? あんなに心を弾ませてさぁ。……どうせ僕にはああいう男らしい色気はないよ」
「……アンタレス、それはつまり」
嫉妬では? 僕以外に色目使ってんじゃねーよってやつでは?
そう思って見上げたアンタレスは顔どころか首も耳も真っ赤で、苦々しい顔をしていた。
「……王城に着くまでは結構余裕を持ってノンノの気持ちを待っていられたのに、今はなんだか駄目だ。僕、きみにひどいことを言ってしまいそう」
ひどいことってなに?
「傷付いたりしないから言っていいよ」
「……不快に思うかも」
「口には出さないように努力するから」
「…………人の心は自由だ。本当に、思うだけなら、どんなことだって、誰もが許される自由なんだ。だけど、ノンノ、きみが僕以外の誰かに心をときめかせるのが許せない。悲しくて辛くなるんだ。きみの心だって自由であるべきなのに」
浮気なんかじゃない。憧れの芸能人を外出先で見かけて黄色い悲鳴をあげるようなミーハーな感情だ。そんなものに嫉妬されても、私には答えようがない。
それでも私のそんな心の声を読み取って、アンタレスは心をざわめかせてしまうのだ。
「ごめんね、アンタレス」
ハーレム王子にときめいたことを謝りたいのではない。
こういうときにすかさず「愛しているのはアンタレスだけだよ」って自分の気持ちに確信を持って言えないことに。私は謝ってしまう。
「……僕もごめん。少し頭を冷やしてくる」
ダンスが終わると、アンタレスは暗い顔でテラスの方へと歩いて行った。一人になりたいのだろう。
仕方なく私は食事テーブルの方に向かい、飲み物をもらう。
スピカちゃんとプロキオンに挨拶へ行こうか。でもアンタレスと一緒に行かないと、スピカちゃんが心配してしまうかも。
うーんと唸りながらグラスを傾けていると、突然横から声をかけられた。
「こんばんは、迷子の子猫ちゃん。一人ぼっちでどうしたんだい?☆」
黄色味の濃い金髪、薄黄緑色の瞳、褐色の肌、そしてものすごくスケベそうな美貌ーーー隣国のウラジミール・ウェセックス第二王子が私のすぐ傍に居た。
はわわわわわ、なんて女好きオーラなの! 近くで見ると胸筋も腹筋もチラチラ見えてムキムキだぁぁぁ! スッケベェェェェ!!
私は思わず頬を赤らめ、ウェセックス王子を舐め回すように見てしまう。
王子もそんな視線には慣れているのか、「ふふふ、イケナイ眼差しだね☆」と柔らかく微笑んだ。
「ここに立っていても子猫ちゃんの足が疲れるだけだよ。僕の休憩室へおいで。すぐそこなんだ」
「え、いえ、恐れ入ります、ウェセックス王子殿下。私はパートナーを待っておりますので……」
「可愛い子猫ちゃんをこんなところで一人ぼっちにさせるなんて、イケナイ男だね☆ 少しくらい、はぐれて焦らしておやりよ。大人の恋にはいつだってちょっとしたスパイスが必要さ☆」
「いいえ、ここで彼を待ちますので、お気遣いなく……」
「僕の休憩室にはここより美味しいものもあるし、トランプでもボードゲームでもあるからさ。それに心配しないで。子猫ちゃんだけじゃなく、美しい女の子達がほかにもたくさんいるから……ね?」
「美しい……女の子達……」
思わずゴクリと喉が鳴る。
え、え、それってもしかしてハーレム? 本物のハーレムが見れちゃうの? うへへへへ……。
思わず惑わされそうになった私に、隙が出来てしまったのだろう。
ウェセックス王子はさっと私の腕を取ると、「おいで、迷子の子猫ちゃん☆」と優しく微笑んでエスコートしてしまう。
なんだこれ、抵抗しようにも足が踏ん張れない。女たらしのエキスパートは女性の体から力を抜く技でも心得ているのだろうか。なんかツボでも押しているのか。
アンタレス、今すぐ助けに来てよ~!
心の中で叫ぶが、テレパシー圏外らしくアンタレスの姿は現れない。周囲の人たちも、女性を優しげにエスコートしているだけに見えるウェセックス王子を見て、恭しく頭を下げて道を開けるだけだ。
これはもう、悲鳴を上げるしかあるまいよ。同盟国の王子相手に不敬だが、この人についていってこれ以上アンタレスを悲しませるわけにはいかない。
私が悲鳴を上げようとしたところで、
「さぁ、ここが私の休憩室だよ、子猫ちゃん☆」
本当にすぐに、王子の休憩室へと辿り着いてしまった……。
▽
扉を開けるとそこは、ーーー桃源郷だった。
「もぉ~、ウラジミール様ったら遅ぉぉぉい~!」
「私たちを放っておいてどこに行ってらしたのぉ?」
「まぁ、可愛い~! この子も拾ってきたんですかぁ、ウラジミール様ぁ」
「ひどーいっ、私たちというものがありながら、また可愛い女の子を増やすなんて! イケナイ御方ねっ」
おっぱい、おっぱい、おっぱい、いっぱい!
ボンキュッボンのナイスバディーなお色気お姉さん達が、広い部屋の中に十人はいるだろうか。隣国の古い民族衣装であるバニーガール衣装を着て、お酒を飲んだりダーツをしたり、思い思いに寛いでいた。
ウェセックス王子が入室すると、お姉さん達は一斉に立ち上がり、我も我もと王子の腕や上半身に絡み付いていく。王子のスケベな胸筋や上腕二頭筋に、たくさんのおっぱいがぽふんぽふんと押し当てられていく。
「はっはっはっ、この子は迷子の子猫ちゃんだよ☆ 恋人に放っておかれて壁の花になっていて危険だったからね、ここに招いたんだ。みんな、子猫ちゃんと遊んでおあげ」
さすがウェセックス王子。お姉さん達に絡み付かれても動じず、それぞれの頭を優しく撫でていく。
「まぁっ、こんなに可愛い女の子を一人にするなんてひどい恋人ねっ。悪い狼に狙われたらどうするのかしらっ。いいわ、一緒に遊びましょうよ子猫ちゃん!」
「これ以上女の子を国に連れて帰らないのなら、私はなんでも構いませんわ、ウラジミール様」
「ウラジミール様ぁ、こちらで一緒にトランプしましょう?」
「ええ~、やっぱりダーツでしょ~? 賭けをしましょうよ。勝者は一晩ウラジミール様を独り占めってのはどう?」
「なにそれっ! 絶対私が勝つんだからねっ!」
綺麗なお姉さん達が動き、喋るたびにおっぱいが跳ね、おしりがぷるんとふるえる。ウェセックス王子はハーレムの主に相応しく、女の子全員に優しく接している。
こ れ だ。
これこそが私が妄想し続けたスケベの理想郷だ。
私、このハーレム王子とお色気お姉さん達をいつまでも眺めていられる。目が幸せだ。
アンタレス、ラ○ュタは本当にあったんだよ……!
私が感動でポーッとなっていると、ファビュラスなお姉さんとマーベラスなお姉さんが傍にやって来た。
お二人ともしゅごい美人……近付くと超いい匂いがする……!
「さっ、子猫ちゃん、着替えましょう!」
「こちらの衝立の奥に衣装がありますわ」
ファビュラスさんとマーベラスさんが言う。
「え、え? 突然着替えるとおっしゃられましても、私、いったい何に着替えるのですか?」
「決まってるじゃない。このバニーガール衣装よ!」
「ウラジミール様のプライベートなお部屋では、女性は全員この古代衣装を着用することが義務付けられておりますの」
「小さな女の子からおばあちゃんまで、全員の義務よっ!」
いやいやいやいや、日本の着物のノリでバニーガール衣装着用を義務付けないでウェセックス王子! バニーガールのおばあちゃんってなんだよ!
困惑する私をよそに、ファビュラスさんとマーベラスさんは私を衝立の奥へと引っ張った。
そこにはズラリと並ぶ様々なバニーガール衣装と、大きな姿見とお化粧品の山があった。
「さっ、素敵なドレスだけど脱いじゃいましょ」
「ドレスはクリーニングしてお返ししますから、安心してくださいね」
「いやっ、ダメですー!!!」
嫌だ、脱ぎたくない……っ!
ドレスに手を伸ばされ、私は悲鳴をあげようとした。
しかし。
「きゃあっ!」
「痛いっ! 子猫ちゃんのおっぱいが硬すぎますわ……!」
「ああ、お二人ともごめんなさい……!」
ファビュラスさんとマーベラスさんが私の胸部装甲で手を打ち付けてしまい、彼女達の方が先に悲鳴をあげた。
ごめんなさい、ファビュラスさん、マーベラスさん……!
そしてありがとう、我が家の侍女。ぎちぎちパッドで作られた胸部装甲のおかげで、無理矢理ドレスを剥ぎ取られずに済んだよ……!
「騒がしいけれど何事だい?☆」
ウェセックス王子が衝立の向こうから現れると、ファビュラスさんとマーベラスさんがすかさず王子に抱きついた。
「子猫ちゃんのおっぱいがとっっっても硬かったわ、ウラジミール様っ」
「ドレスの下に鎧を仕込んでいらっしゃるみたいなんですの。変わった子猫ちゃんですわ」
「おや、それで手が腫れてしまったのか、可哀想に。痛かったねぇ。他の子達に氷嚢を用意してもらって冷やしなさい☆」
「はぁい、ウラジミール様」
「御前を失礼いたしますわ」
ファビュラスさんとマーベラスさんが去ると、ウェセックス王子と二人で向き合う形になった。
ウェセックス王子はスケベそうな眉を困ったように下げ、「我が国の古代衣装は、子猫ちゃんのお気に召さなかったかな……?」と優しく私に問いかけた。
「そうじゃないのです、私は……!」
バニーガール衣装はめちゃくちゃ着たーい!
妄想の中でなら、何千回もハーレム王子のハーレム要員になったし、お色気お姉さんは私にとって永遠のアイドルだ……っ!!
……だけど出来ない。
妄想を現実にするのが怖いと思ってしまう。
それは私がびびりだからじゃなくて、絶対にアンタレスが傷付くとわかっているからだ。大事な人をないがしろにする行為だと知っているからだ。
私、自分のスケベ心より、アンタレスの方がずっとずっと大切だ。
自分の欲望なんかより、ずっとずっと優先してあげたいの。
「私は……アンタレス以外の男性に肌を晒したくありません……!」
涙がポロリと零れてしまう。
もう、私の中のこの面倒くさい感情の名前は『恋』でいい。今、そう決めた。私、めちゃくちゃアンタレスを愛してるんだ。
「そうか☆ きみの恋人は幸せ者だねぇ。私は恋のスパイスだなんて言って、余計なお節介を焼いてしまったね。ごめんね、子猫ちゃん☆」
「ウェセックス王子殿下……」
「おや、なんだか廊下が騒がしいようだ。子猫ちゃんのお迎えが来たのかな?☆」
ウェセックス王子に言われて耳を澄ませると、確かに部屋の外が騒がしい。王子の休憩室なだけあって外の廊下には護衛の方々が居たのだが、先程までは静かだったのに話し声がする。
「誰か、扉を開けておくれ。もしかしたら子猫ちゃんの恋人が迎えに来たかもしれないからね」
「はいはいはーい、了解ですぅ、ウラジミール様ぁ♡」
お色気お姉さんの一人がおしりをフリフリ歩き、扉を内側から開けた。
するとすぐさま、扉の向こうからアンタレスが駆け込んできた。
「ノンノ……っ! 怪我はない!?」
「アンタレス……」
急いで来てくれたのだろう。アンタレスの肌は上気し、髪が乱れ、額や首筋に汗が流れていた。乱れた息を必死で整えながら、私のもとへと駆けてくる。
そしてぎゅっと私を抱き締めてくれた。私からもしっかりと抱き締め返す。
「どうして、ここに」
「……ホールに残っていた君の残留思念を追いかけてきたんだ」
人探しにも使えるのか、アンタレスの能力は。
「すごくすごく心配したんだけれど……」
アンタレスはそう言いながら私の頬にある涙の跡を指先で拭い、警戒するようにウェセックス王子やバニーガールのお姉さん達に鋭い視線を向ける。
しかしすぐに全員の心の声を読んだようで、アンタレスは肩の力を抜いた。
「……大したことがなかったようで、本当に良かったよ、ノンノ。むしろ楽しんだ部分もあったようで……」
「大変すみません……」
アンタレスは私の肩を抱いたまま、ウェセックス王子に向き直る。そして深く頭を下げた。
「突然お部屋に押し掛けてしまい申し訳ありませんでした、第二王子殿下」
「いや、そこは気にしなくていいよ。子猫ちゃんを迎えに来なかった場合の方が私は怒っただろうからね☆ 私の方こそお節介だったようでごめんね? でもこんなに可愛い子猫ちゃんから目を離したりしてはイケナイよ、坊や☆」
「肝に銘じます。僕の恋人がお世話になりました」
「みんな、子猫ちゃんはおうちに帰るみたいだから、お土産をあげておくれ。子猫ちゃん、代わりの恋のスパイスをあげるから有効活用してくれると嬉しいな☆」
「……? ありがとうございます、ウェセックス王子殿下」
お姉さんからお土産の詰まった大きな紙袋を貰った私を、アンタレスは疲れたような眼差しで見つめている。彼は紙袋の中身がなにかわかるのだろう。……なにをいただいたのだろう?
▽
私とアンタレスは廊下に出ると、皆さんにもう一度深く頭を下げた。
ウェセックス王子とお色気お姉さん達は「子猫ちゃん、バイバーイ、まったねぇ~」と優しく手を振ってくださった。
ああ、さようなら桃源郷。理想のハーレム王子様とお色気お姉さん達。
もう二度と会うことは出来ないだろうけれど、私は絶対に忘れない。あの超いい匂いだったスケベ空間のことを。
ーーーそして。
「あの、アンタレス、探しに来てくれて本当にありがとう」
「……僕もごめん。くだらない理由でノンノを一人にしてしまった。そのせいで第二王子殿下にノンノが捕まってしまったんだから」
「ウェセックス王子殿下は一応、私を一人にしないように保護したつもりだったみたいだけど」
「うん。心の声もそうだった」
「殿下がお優しい方で良かったよ」
「…………」
アンタレスが黙り込むということは、腹にイチモツ抱えているタイプだったのかな、ウェセックス王子。
「……アンタレス」
王城の廊下は静かで、遠くの大ホールから流れてくる音楽がかすかに聞こえてくる。壁に掛けられた蝋燭の炎が橙色に揺れ、すぐ側の窓からは満天の星空が見えた。
私がアンタレスと繋いでいる手にきゅっと力を込め、立ち止まると、アンタレスも一緒に立ち止まる。
「アンタレス」
アンタレスは振り返ってはくれない。
でも、彼の耳の裏側やうなじが、面白いほどに真っ赤になっている。
「私の心の声、聞こえてるんでしょう?」
「~~~っ」
ねぇアンタレス、大好きだよ。ちゃんと男性として愛している。私にとってあなただけが、世界でたった一人の特別な男の子なの。
「私のアンタレスに対する気持ち、全部、『恋』って名付けることにしたからね」
私の言葉に、アンタレスがゆっくりと振り返る。
真っ赤になって、涙目で、すごく可愛い。ーーーそしてたぶん私も、あなたと同じ表情をしているんでしょう。
「愛しています、アンタレス」
「っ、僕も、……僕も君を愛しているよ、ノンノ」
夜会の音楽はまだまだ途切れない。幻想的な夜の灯りも、きっと輝いたままなんだろう。
でも、私の耳にはアンタレスの温かな鼓動の音しか聞こえず、視界にはあなたの腕の中しか見えない。
私たちはしばらくじっと、お互いのかけがえのない体をただ抱き締め合っていた。




