1
反りかえる花弁を意味する本章は、内なるものの変化や成長、精神の解放を意味します。
吐息の白さが、寒さを際立たせた。それでも彼は、冷たさなど忘れ、熱を帯びた身体で、人気のない夜道を歩いていた。
居場所が見つからない焦りに駆られるがまま、歩道を踏みしめていく。ちらつく雪が、夜に溶け込もうとする自分を、縁取っていた。
見上げたそこに、雲で半ば覆われた2月の満月――ハンガームーンが浮かんでいた。腹を満たすよりも、心を満たしたい。だが、何で満たしたいのかが分からない。その苛立ちに眼が震え、視界は、じわじわとモノクロに染まっていく。
また、歩きだす。葉を失い、骨のようになった木々は、殺風景な路を浮かび上がらせている。何もかもを凍らし、光や香りの役割は、冬の中に封じられていく。
住宅街を抜け、殆どのネオンが落ちたダウンタウンに来た。まだ、人が点々と歩いている。足音は、忙しないものから引き摺るようなものと、様々だ。微かに臭いを感じるが、求めているものとは違う。それだけは、何故か認識できた。
肩に薄く積もる雪を見ては、また、立ち並ぶ建造物を隈なく見回す。広い間隔をあけて立つ街灯が、路地に続く影を示していた。その内のどこかから、獣の騒ぎが――コヨーテの吠え声が聞こえてきた。
真っ直ぐ進むにつれ、その音は大きくなってくる。店舗裏のゴミを漁っていたのだろう。異臭と獣臭が混ざるところに、互いの怒りが紛れている。やがて、悲鳴と共に微かな血の臭いを放ち、気配が遠のいた。
暗闇を退かすようにして現れた、銀の被毛を逆立てたコヨーテは、鋭利な眼光を向けては、咥えている鶏肉の残骸を噛み潰した。
『腹が鳴ってるのか、ステファン。あいにく、ここはもぬけの殻だぜ』
いつからか付き纏われるようになり、今は自分が、その獣について行くようになっていた。どこへ向かうにも、必ずコヨーテは現れた。他にも、仲間を引き連れて。
ふと、耳が反応した。2車線の道路を挟んだ反対側の歩道で、同じコヨーテの喚き声がする。行動は野犬そのものだが、時折現れる通行人は、慣れた道を脚だけに任せ、手元の小さな画面に目を奪われていた。獣達の存在も、こちらの姿も、全く見えていない。それは、微かに降る雪に紛れた、銀の瞬きを放つ靄が立ち込めているせいだった。
無言を貫き、足はまた、進んでいく。欲しいのは食料ではない。先ほどから惹きつけられる、特別な匂いの正体だ。
だが、その匂いの在り処がずっと掴めないでいた。どんな食べ物よりも、身を眩ます森よりも、遥かに心地よい。嗅いでいる間だけは、痛みという痛みが拭われ、穏やかな風を浴びているような、清々しい気分だった。
頻繁に押し寄せるようになった苦痛と怒り、そして焦燥感。それは、森の侵入者を脅かすことで発散してきた。だが、ふと静寂の間に立たされた時、過ぎるのだ――もっと柔らかい、温かいものがあるのではないかと。
ふと、雪が横殴りになった。視界に銀の髪が揺れ、流された時、探していた香りが、鼻の奥に滑り込んできた。甘く、華やかさを彷彿とさせる特別な匂い。それは、間違いなくこの近辺から立ち込めている。
『果実だってんなら、俺にも喰わせろ』
別のコヨーテの声が頭上に響いた。ステファンは、鋭い銀の眼光を、街灯の真上に向ける。耳が欠け、片目を半端にしか開けないそのコヨーテは、三日月のように歯を光らせていた。
Instagram・Threds・Xにて公開済み作品宣伝中
インスタではプライベート投稿もしています
インスタサブアカウントでは
短編限定の「インスタ小説」も実施中
その他作品も含め 気が向きましたら是非




