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ホリーは、疲労の重みに耐えられず、車椅子で部屋を後にした。リズが気遣い、言葉を投げかけてくれても、まともに返事をしないまま、白い廊下の先を呆然と眺めていた。
すると、小さな影が一目散に駆けてくるのが見えた。それは瞬く間に近づき、車椅子を激しく止めてきた。
「ラッセル先生の奥さん! ホリーさんでしょ!?」
そうであることは承知の上で、ニット帽を被った少女は、ホリーの膝に飛びかかると泣き崩れた。
「私はラッセル先生に、狼男だなんて酷いことを言ったの! ラッセル先生は、私に今でも、今日という日を与えてくれてる! なのに私は、何にも返せないっ……私はいつも、いつもくだらないことしか先生に言わなかった……ごめんなさい……ごめんなさいっ……」
ホリーが動揺すると、リズが真っ先に少女を抱き寄せた。しかし少女は、その腕を振り払うと、ホリーの両腕に縋り、思いつく限りの言葉をぶつけた。
「ラッセル先生は、きっと何かと戦ってる! 目に見えやしないから、誰にも信じて貰えないんだわ! 私が最初に病気になった時と同じ……お願いですホリーさん、私は何でもします……ラッセル先生が必要なら、身体のどの部分も差し上げます……ちゃんと使えるか分からないけど……でも、何の力にもなれずに死んでいくのなんて嫌っ!」
そこへ、看護師が慌てて少女の元へ駆けつけた。泣きじゃくる彼女を宥めながら、半ば強引に引き離そうとする。しかし、ホリーはそれに優しく待ったをかけた。
「……貴方、ゾーイね?」
その声は澄んだ水のように、ゾーイの涙の熱を一瞬にして冷ました。ホリーは、彼女のずぶ濡れの顔を、ハンカチでそっと拭いながら微笑んだ。
「夫が、貴方にいつも救われていたのよ。何にでも強気で挑むんだって。自分には、それがまだまだ足りないから、いい見本なんだって。確かにその通りね」
この人は何を言っているのかと、ゾーイの表情に、そのまま浮き上がっていく。ゾーイは、自身が担当医を救っていたなど少しも思えず、言い返すよりも先に、首で激しく否定していた。そしてやっと、痺れる唇を動かしかけた時、ホリーが細い息を立ててそれを鎮めた。
「じゃあ、お願いしようかしら。貴方の身体」
その瞬間、リズがホリーに目を剥いた。そんな友人も余所に、ホリーは真っ直ぐゾーイの手を取ると、大きく膨らんだ腹に触れさせた。
「私、貴方の夢の追いかけ方に惚れてるのよ。夫が教えてくれたわ。勉強熱心で、ウェブデザインやコスチュームのセンスも抜群だって。どうか、この子の恩師になってもらえると助かるんだけど。まさか、枠が空いてないなんて言うつもりかしら?」
ゾーイは、ふらふらと首を横に振る。暴走する頭は、毛布に包まれるように、綺麗に丸く納まっていくようだ。ホリーの言葉は、まるで子守歌のようで、乱れた心が忽ち均されていく。
ホリーは満面の笑みを浮かべ、ゾーイの頬を包むと、その大きな瞳から滲み出る涙を拭いながら言った。
「貴方の熱意はよく伝わったわ。だからどうか、それを消してしまおうだなんて言わないで。その力はもっと、貴方の大切な人に響かせるために使えるから。ステファンには、貴方が必要よ」
ホリーはそのまま、ゾーイを力いっぱい抱き締めた。よく似た細い身体は、自分よりもうんと熱く、燃えるようだった。それを全身で感じる内に、ゾーイからまた、涙に濡れたしゃっくりが聞こえた。
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