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記者は、2人の車を押さえるや否や、まるで磁力に引きつけられるように、足早にやってきた。
「ラッセルさんですよね。野生動物の騒動について調べているのですが、それに失踪された旦那さんが関係してるかどうかで、お話しできますか」
母が真っ先に車を下り、しつこい記者を、無言で跳ね除ける。ところが記者は、しぶとく助手席に貼りつき、ホリーの気の抜けた顔を覗き込んだ。
「いい加減にしてちょうだい! 娘が下りられないでしょうが!」
母が痺れを切らして怒鳴ると、これまで微動だにしなかったホリーが、記者を突き放すようにドアを開けた。激しい音に紛れる、“退け”という発言は、一切響かなかった。
ホリーが姿を見せたことで、別の記者達が、どこからともなく現れる。2人は、苛立ちに任せて、ただただ彼等を押し退けた。
シャッター音に耳を塞ぎながら、家に逃げ込んだ。外からの視線が壁を貫こうとしてくるのも、すっかり当たり前になってしまった。
「人を待ち伏せしてまで、どうかしてるわ。通報してやる」
母は帰宅したその足で、表の迷惑行為を警察に連絡した。
何も返す気になれなくなっていたホリーは、誰も座らなくなった夫の席に座った。ぼやけたテーブルの杢目に視線を這わせながら、現実を断ち切っていく。そして、この瞬間まで考えたことがなかったところに、行き着いた。自分がいつも座る側は、天気がいいと真っ先に陽射しに触れる、ということに。
夫は、それを意識したことがあるだろうか。互いに暗いところは苦手で、そこにいようものなら、寂しさや恐怖がこみ上げてくる。だからいつも、灯をつけて温めあったものだ。
午後に差しかかり、陽射しの幅が広がろうとも、やはり、夫の席は明るくならない。ただの配置の都合であれ、どうしても気になったホリーは、テーブル全体が明るみに出るまで、位置をずらした。
「パトロールしてくれるそうよ。ちょっと、急に模様替え? 力を入れるもんじゃないわ。その子が出てきちゃう……それはそれで、いいんだろうけど」
母は無理矢理にでも笑い、無口のままの娘を手伝った。ホリーは、聞こえるかどうかの空笑いを零すのが精一杯だった。そして、母に模様替えの理由を話さないまま、気が済むところまでテーブルを動かすと、パソコンのメール画面と睨み合った。
「ホリー、少し何か食べて、寝た方がいいわよ」
「ほっといて……」
不本意な態度だった。なのに母は、責めることをしなかった。自分が声にせず留めている望みを、まるで見透かしているかのように、黙って応えてくれる。
母がキッチンへ姿を消した途端、視界が霞みはじめた。目が燃えるように熱く、零れそうな涙がまた、胸の傷に深く沁みていく。
夫が尖った発言をしてしまう時も、こんな感じだったのだろうか。それを想像した頃には、声を殺したまま、顔をずぶ濡れにしていた。
メール画面には、似たような目撃情報から、ねぎらいの言葉が寄せられていた。その中には、いわれのないメッセージも多く混ざっていた。近頃は、悪戯情報や他の誹謗中傷内容をデータ化する作業も増えている。
母は、娘が緊迫した表情のまま、長い間パソコンの前から動こうとしない姿を、キッチンの影から見つめていた。できるだけ、娘が1人きりで長時間を過ごすことを避けようと、毎日少しでも顔を出すようにしている。今日は比較的遅くまでいられるため、晩御飯の準備を済ませた。そしてやっと、一息つこうと娘に声をかけ、テレビをつけた。
夕方のニュース番組は、他国の話題から近隣のものと様々だったが、ステファンに纏わる情報は出てこなかった。母もまた、テレビや記事の情報に敏感になっており、今の娘の態度をとやかく言えなかった。
結局、なかなか隣に来る気配がない娘を、母はもう一度横目に見る。娘は、無言の怒気や悲しみを放っており、それらが圧力となって、自分に押し寄せてくるのを感じた。
先ほどの一声も、きっと聞こえていないのだろうと、母はカップを脇に置いた。そして口を開きかけた時、キャスターの声色が変わった。
“登山やハンティングの際の警戒について、新たな情報です。
昨晩また、エリア規制中の時間帯に、野生動物による襲撃が起きました。被害者の命に別状はありません。しかし、立ち入り禁止時間帯の敷地への侵入に対しては、今後処罰が下されます。
被害者は、鳥類や小動物の群に襲われたと発言しています。それらの特徴は、いずれも、ヘッドライトを彷彿とさせるような、発光する眼をしている、との情報です。獣医師、レンジャーをはじめ、多くの専門家と警察が、現在調査に当たっています。
外出の際は、現地が設けるルールを確認し、周囲の異変に今一度注意して下さい――”
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