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天気が良くても、肌を刺すような気温だった。ホリーは、家全体が暖まるまで、ソファでブランケットに包まると、モーニングショーをつけた。腹の中でのんびり過ごす息子には、両親からクリスマスに贈られた、肌触りのよい毛布をかけてやる。
腹を撫でる手は止まらなかった。心配なのは、単に、何もかもが初めてだからだ。それでも、焦ってしまうことがあっても、決して息子を急かしたりはしない。とにかく、まずはどちらも無事に、健やかな状態で会えることを願っている。
ホットミルクを手に、テレビの映像をぼんやり眺めていた。事故や事件のほか、心温まるエピソードが普段通り報道され、とうとう、次の番組に変わろうとする。
ホリーは首を傾げずにはいられなかった。リビングに来て1時間が経っても、夫はまだ帰らない。車はあり、どこかへ足を延ばすならば、バスかタクシーを使っているはずだ。しかし、何か急用が入れば、夫は決まって知らせてくれる。
無意識のうちに、耳が熱くなるくらいスマートフォンを当てていた。居ても立っても居れず、部屋の温度に逆らうように、手足の先が冷えていく。
「出てよ、何してるの……」
スマートフォンの背面を叩いてしまう。留守番電話にも切り替わらず、コールを聞くまま、なんとなく玄関に向かった。
そして、階段の前まできた時――別の音に引っ張られるように、足が止まった。スマートフォンを当てたまま、じっと耳を澄ませてみると、どこかから聞こえる着信音に、肌が騒ぎだす。小さな呼び出し音には、バイブレーションの音までもが合わさり、耳の奥を震わせてきた。
まさかと、夫に電話をかけたまま、足早に寝室に戻った。だんだん、呼び出し音が大きくなってくると――夫の枕元のテーブルに、ホリーの目が釘付けになる。そこで、彼のスマートフォンが延々鳴っていた。
ホリーは電話を切り、慌ててそれを取った。画面には、自分の着信通知が間隔を空けて並んでいるだけだった。
呆然とするまま、時間だけが過ぎていく。置き忘れることはあっても、外出の際は必ず所持を怠らない人だというのに。一体何が起きているのかと、鼓動が身体中に犇めいていく。
そして、今度は彼の両親に電話をかけ、状況を伝えた。
「何かのサプライズならお手上げだわ。これ以上不安にさせないでって言ってもらえませんか……」
しかし、2人にどんなに話しても、夫は帰ってないと言われるだけだった。そして義父の提案で、職場にかけてみることにした。
「昨夜は私が先に寝たので、夫がその後どうしていたか、誰かと話していたのかも、何も分からなくて……」
ホリーは、家の周りのどこを探してもいないのだと、電話口の受付係に縋っていた。そして、院内にいるのか、誰かが出社するよう連絡をしたのかを確認してもらえることになった。
それから折り返しの連絡がくるまで、恐ろしく長く感じた。ホリーは歪な寒気に耐えきれず、友人に電話をかけてしまっていた。押し寄せる恐怖と孤独感に、人と話していたい衝動に駆られていた。
「彼は今は休職中で、先々では、家で仕事をしようとしていたの。だから外出は、通院先か、職場なら連絡が来ない限り、行くなんて有り得ない……」
頼んでいた買い物なんてなかった。検査か何かの手続きで、どこかへ行かねばならないようなことも、聞いていない。
ホリーは不安に駆られ、夫の私物を漁った。スケジュール帳を開いても空白で、今日に何か予定があるといったメモのようなものも、特に見つからなかった。
「いつも着てるトレンチコートとブーツがないの。でも、大抵持って行く鞄や、他の荷物なんかは全部置いてある。財布だけ持ってるのかしら……」
そう口にしたそばから手が止まり、目が大きく左右した。デスクや床、ベッドに散らかした夫のあらゆる私物を見て、怖くなった。それらに身体を貫かれ、芯から縛りつけられるような感覚が、ひっそりと襲いかかってくる。
電話口の友人は、急に声を断ったホリーを何度も呼んでいた。そしてホリーは、漸く、震える唇を動かした。
「待って……鍵……鍵、開いてたかも……」
先ほど玄関に向かった際は、夫の姿を気にして、あまり意識していなかった。ホリーは、改めて記憶を辿ってみると、ドアが施錠されていなかったことに気づいた。歯が、激しく音を鳴らした。
落ち着けと言う友人の声を聞き入れられず、困惑が滲む言葉が次々とあふれ出す。何から手をつけるべきかと考える内に、いよいよスマートフォンの重みに耐えきれず、ベッドに落としてしまった。そのまま、震える指先でスピーカーに切り替えた。
“ホリー、とにかくしっかりして。一度冷静にならなきゃ。これからそっちに行く。本人の職場に連絡したなら、まずはその返事を待とう。で、帰って来る可能性もあるから、あんたはちゃんと家にいるの。いい?”
そんな友人もまた焦っていたが、冷静さを絞り出すようだった。
ホリーは気を取り直そうと、頬を数回叩く。友人の言う通り、まずは病院からの連絡が先だと、気持ちを切り替えていく。やっと足の感覚を取り戻すと、この間に帰宅しているのではないかと、夫を呼びながら階段を下りた。しかし、そこには朝と変わらない、奇妙なリビングが広がっていた。
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