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11月の半ばを迎える頃には、ステファンは休職し、妻の言葉に甘え、楽しむことを優先に過ごすようにした。
何を決めるにしても、まずは気持ちを整えてからがよかった。特にテレビやラジオでは、意図的にニュースを回さないようにし、ドラマや映画、バラエティーを選んだ。その方が笑顔が増え、歪なものを忘れていられた。ところが
「父さんと母さんったら張り切っちゃって、この子に何が要るかを聞いてくるの。まだそんな遊べないのに」
妻は、ほんの少し膨らんだ腹に触れながら、両親から贈られた子ども用品のことを面白がる。ステファンは首を傾げ、贈り物が纏まった箱を見ると、凭れかかる妻の肩に触れた。
「男の子だって教えてあげれば、向こうだって考えつきやすいだろう」
ステファンは、急に静まり返った空気に、視線を泳がせる。何事かと、妻の方を振り返った時、彼女は、瞬きも忘れて顔を近づけてきた。
「何を言ってるの……?」
その言葉に、ステファンは口が凍りつく。危うく妻に、発言をそっくりそのまま返しかけた。こちらを穴が開くほど見つめる彼女の表情は、魔法か何かを見た時のように、輝かしいものだった。
「性別がちゃんと聞けるのは年明けよ? 何!? もしかして細胞がそう言ってるの!?」
随分都合のいい解釈だったが、妻は何も疑わず、これを奇跡だと声を上げる。
ステファンは、その笑い声に縋るように調子を合わせた。合わせるしか方法はなかった。だが、それも長くは続かず、次の言い訳を頭の中で漁る。そして、滲み出る汗を見せるまいと、自然を装いながら立ち上がり、コート掛けの前まできて、足を止めた。
子どもの性別をいつ認識できていたのか、分からない。それに身体の芯から震えが込み上げ、眩暈がし、壁に手をついた。
暗い玄関の前に独りでいるほうが、今は救われる。妻から離れ、この顔を、この状況を見られていないことに、大きく息を吐いてしまう。けれども、その違和感に少しずつ苛まれ、じきに体が熱くなりはじめた。
それが何の予兆かを悟った時には、もう、トレンチコートを引っ掴んで玄関のドアを開けていた。冷ややかな風が舞い込んでも、まるで川を泳ぐかのように心地いい。
冬の始まりを知らせる風が、影で覆い尽くされた玄関を満たそうとしていると、リビングから妻が、どこへいくのかと声をかけてきた。
「散歩がてらドリンクを買ってくる。何かいるか?」
ステファンは手早くブーツを履くと、息を強く吐き、心で妻を急かした。街と住宅街の境目に越してきたことを、こんな皮肉なキッカケでありがたく思えるなど、想像もしていなかった。
リビングのソファにいたホリーは、夫の急な思いつきに眉を寄せていた。だが、夫の買い物は丁度よかった。後から始まる映画を見ながら飲めるものを、揃えていなかったのだ。
ホリーは夫にそれを頼むと、彼は聞き入れるや否や出ていったのか、返事とドアが閉まる音が重なった。
急ぐならば車を出せばよいものをと、ホリーは疑問を抱きながら玄関まで来た。そして、その横の窓をそっと覗う。
カーテンの隙間から、夫の背中を見送った。足音が消え、その気配が薄れていくと、暫しその場に立ち尽くす。
映画を観る際には決まって飲むものを、買い置きしていなかった。だが、切らせていたところで、このように出て行くのは珍しかった。
ホリーは、小さな虫が肌を這うようなざわめきを感じた。そしてふと、脳裏に夫のノートパソコンが過り、2階を見る。ここ数日間、ずっと気になっていたものだった。
ホリーはもう一度玄関の外を確認すると、誰もいないにも関わらず、忍び足で階段を上った。
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