20
その時、最初のコヨーテが哂うと、森の奥に姿を消した。それを見た仲間もまた、姿を霧に変え、立ち去ろうとする。
逃がすものかと、ステファンは、その光る霧を追った。視界を木々や茂みが遮り、足場は根や葉が邪魔して煩わしく、彼は、大きく地面を蹴り上げた。
人智を超える跳躍と硬い爪を、あたかも自然に使いこなしていた。颯爽と枝に登り詰め、そのまま枝から枝を飛び移っていく。
そんなステファンを、先ゆく幾つもの白銀の筋が、面白がるように辺りを漂った。彼の、どれか1頭でも手に入れようと伸ばしてくる腕を、鞭打つように叩いて弄び、バランスを崩そうとする。その度に聞こえる彼の威嚇は、野獣そのものだった。
風と木々を切り抜け、数キロまで来た、その時――銃声が轟いた。
ステファンは漸く止まると、幹に身を引っ込め、背を預けたまま、光る眼で麓を見回した。
「いたか」
「ああ、だが逃した」
誰かの声に目を見開いた時、風が頭上を吹き抜けた。ステファンは、ふと、その行き先を首だけで追う。向かい側の枝に再び現れたコヨーテは、低い嘲笑を漏らすと、爪の音を立てた。
「そこかっ!」
気づいた猟師が言い放つと同時に、発砲音が響いた。ステファンは間一髪、眼を撃ち抜かれるのを躱した。
ステファンは、頭上の枝を反射的に毟り取ると、真逆の方に広がる茂みに投げ込む。猟師は、そこから上がった草木の音に目を逸らした。彼等はすぐ、音がした方へ走って行く。
その場がしんと静まり返ると、ステファンは緊張の糸が切れ、落石のように枝から転げ落ちた。
手がいつまでも耳を塞いだまま、離れない。銃弾の風と爆ぜる音が、繰り返し聞こえる。それに我を取り戻すと、異常な動きをしていた自分が再生され、途端、呼吸が激しく乱れた。常軌を逸した自分の行動を拭い払おうと、木や地面に頭を叩きつけ、叫んだ。森の冷え切った空気が、少量ずつ肺に入り、あまりの美味さに、がむしゃらに欲してしまう。そして脳が、散り散りになった記憶を勝手に整理しようとするも、状況は一向に読めなかった。
コヨーテは端の岩の上から、蟲のように地面を転がるステファンを、睥睨していた。蛆が藻掻くのにも似たそれは、腹が裏返るほどに見ものであり、歯を見せずにはいられなかった。
『気をつけろ。てめぇはもはや、狩られる身だ』
狩られる――その言葉が再び、発砲音と焼ける臭いを呼び起こした。声が断たれ、息が細くなると、身体がやっと、止まることを思い出した。
コヨーテは岩から飛び降りると、未だ獣の唸りを零し、ぐったりするステファンを、隈なく嗅ぎ回る。同じ銀の毛を光らせる新たな生き物に、鋭い眼光を照らすと、その中で蠢く呪いの血の臭いに舌を出し、息を荒げた。そこへ、白銀の霧が冷ややかに吹きつけ、ステファンや彼の周辺を、包み込むように撫でていく。
ステファンは、身体が冷水で締められるようで、急に心地よさを覚えた。獣の唸りが、己の声に変わっていく。全身に負った傷や、土汚れに、光が這うのが見えた。そこから、細かな銀の泡が弾けると、まるで何事もなかったかのように、元の無傷の、綺麗な姿に変わってしまった。
何かが抜き取られたような軽さと、疲労による重みを同時に感じた。寝不足の時のようなそれに、ステファンは、上体を起こすのに暫し時間を要した。
視線の先では、コヨーテが煌々と佇んでいた。銀の光輪を放つ姿は、この場が暗すぎるあまり、縋りたくなる。
『柵を越えてくる連中はいずれ、その皮を欲しがるだろう。雌と小僧を背に、お前はどう抗う。見せてみろ』
コヨーテは、言い終わりに高々と嗤うと、白銀の煙に姿を変えた。立ち上がる光の線は、暗闇を、木々を、夜空を歪めると――下弦の月を大きく歪めた。
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