16
10月を迎え、夫婦は、秋で色めく景色を楽しみに、散歩に出かけていた。ステファンは妻に手を引かれるがまま、近くの自然公園に入っていく。休日の午後で、人が賑わっていた。
先月から聞くようになった森林での騒ぎは、相変わらず起きていた。ニュースやラジオなどでは、野生動物に接触しないよう、注意喚起までされるようになった。
世間を流れる不気味さを、ステファンは、どこか遠くから眺めていた。
ぼんやりする夫をホリーは揺さぶると、彼を木陰のベンチに誘った。ホリーの体調は安定しており、今日は気分がよかった。夫も、事故から時が経過したからか、不安や恐怖心に駆られるようなことは減っていた。ただ、どこか忘れっぽくなったような気がしている。そのことはまだ、夫に切り出したことはない。よほど気になった時でよいだろうと、今は深く考えず、自分と戦う夫を見守ることに徹した。
「季節が変わっちゃったのが惜しいわね。春が楽しみよ。きっと、もっと声が聞こえるわ!」
ホリーは、夫から、花や鳥の声が聞こえたような気がしたという話を聞いて以来、庭に出ては訪問者がいないか目を光らせるようになった。最初に聞いた時こそ驚いたが、考えれば考えるほど魅力を感じた。とはいえ、本人が困っていることも分かっている。幻聴という風にも置き換えられる以上、早く拭われるべきなのだろうと考えていた。
そうして沢山のことを胸に仕舞っている妻を、ステファンは静かに感じ取る。少しでも面白く捉え、気を紛らわせようとしてくれていることも。しかし、あまりいい返事が浮かばず、結局はつまらない言葉をこぼしてしまう。
「全世界が同じ言語を持たないのには、ちゃんと理由がある……」
「そうね……改めて聖書を読んでみてもいいかも」
ホリーは夫に微笑むと、清々しい昼の風を纏うように、芝生を緩やかに踏みしめた。
ステファンは鼻をすすった。秋景色に溶け込んでいく妻と、その香りが、どんな匂いよりも際立っている。また、香水をシャワーみたいに浴びたのだろうか。そんなことを訊ねようものなら、背筋がぞっとした。
ここよりもずっと先にある飲食店の料理の匂いすら、分かってしまう。そんな力が欲しいのではないと、木の葉の風の中を歩く妻を意識した。そして、また1つ鼻をすすると、頭が妻の香りに満ちていく。
『様になってるじゃねぇか、ステファン』
その声は、足元にまで一気に広がった。周囲の穏やかな声が掻き消されると、ステファンは頭上を振り見た。コヨーテの眩い毛並が揺れ、光の雨が降り注ぐ。
「お前は他とは違うようだな。どこの誰だ」
ステファンは睨みつけたまま、耳と口だけをコヨーテに貸すと、今の姿勢が乱れないよう、景色と妻を意識した。
コヨーテは、枝に腹這いになると、光る眼で一帯を見回し、再びステファンを見下ろす。
『土だ』
ふざけた解答に、ステファンの硬く組んだ両手が震える。込み上げる焦燥をさらす訳にはいかず、息を呑み、どうにか冷静さを保った。
「俺をコヨーテだと言う輩がいるが、それがお前の言う改良であり、お前以外にいるとされる神ってもんが望んだことなのか。そしてそれに抗えば、世界が壊れると……?」
『実にコンパクトだ。長けた医者は、違うってか』
「仕事柄、相手の話は懇切丁寧に聞くんでな……」
『細胞の声も聞くんだとな』
ステファンは堪らず立ち上がるも、怒りの衝動を、歯で喰いとめる。そして、自然を装いながら後ろの大木に触れ、コヨーテを睨んだ。
「ああそうだ。だが腹立たしいことに、お前やその仲間が寄こした歪なもんについては、何も聞き取れねぇ。理解不能な話ばかりしやがって、もううんざりだっ!」
語気を強めた瞬間、ステファンは、コヨーテの眼光に目の痛みを伴い、視界が奪われた。だが、尚も声を絞り出した。
「俺をこんな目に遭わせたから、何だ。人間は俺だけじゃない。お前等のお遊びは、じきに終わるっ……」
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