11
「驚かせて悪い。実のところ、クリスとジニーから、お前の直近の検査のこととか、色々聞いた。伝手があるから、一旦俺に預けてくれないか」
「……何の話ですか」
心療内科を知っていると、恩師は柔らかに切り出した。だがステファンは、どうしてもその船に乗る気になれなかった。
「どこも悪くないんで……」
そうだろうともと、恩師は優れた弟子の肩をもう一度取る。その手に肩の震えが伝わってしまうのを恐れ、ステファンは身を引いた。
「書き換えないと……あの書類に俺の名前がある……間違ってる……」
恩師の目に疑問が滲む。ステファンは、彼の顔を見られないまま、口から出るまま言葉を連ねていた。
「月に1度くらい……それだけです……こんなことになるのは、たったそれだけなんです。だから……だから何も取らないでくれっ……」
「ステファン、そんな話をしてるんじゃない」
「俺ができることを取らないでくれっ!」
ステファンは叫ぶと、恩師から乱暴に離れた拍子に、腰から崩れ落ちた。恩師は彼を支えきれずに膝をつくも、そのまま強く抱き寄せた。
「取るもんか。そんなことすりゃ、奥さんや子どもが悲しむ。患者だって」
恩師の淡々とした口調には、確かな力強さがあった。彼は、静かになった弟子を窺おうと身を離そうとする。しかし、今度は弟子の方から引き寄せられた。
ステファンは、汗で張りつく髪色を目にすると、姿が変わっていないことに、微かに安堵の息を漏らす。だが、視界はどこまでも灰色で、砂嵐が環境を歪めていた。今は、眼だけが違っている。それを見せる訳にはいかないと、恩師に縋る腕が強まっていく。
何かほかのことを考えろと、己を叩き上げた。そして浮かんだのは、妻の笑顔だった。光のベールに包まれながら、自然溢れる空間を歩く、眩い妻の姿。愛おしい彼女を、守りたい。
「ダレン……妻は、自然としての死を意味してるんです……命の廻りの尊さを語り継ぎたい人なんです……俺は、そんな素晴らしい彼女を、指差さないでもらいたいだけなんです……」
唐突な主張であれ、恩師はじっと、弟子のありのままを受け止めた。そして、その場が風の音だけになった時、やっと口を開いた。
「そうだろうさ。お前は、まだまだこれからだ。だからこそ俺は、渡しておきたい。考えすぎるな、ただの1つの護身術だ。持っているに越したことはない」
穏やかな発言はしかし、太く、重みがあった。ステファンは、ゆるゆると汗ばんだ身体を離す。
そこには鮮やかな空が広がり、太陽を背に、勇ましい眼差しを向ける恩師がいた。彼の影が、体内に淀む熱を冷ましてくれた。
だがステファンは、立ち上がった恩師が伸ばす手を取りかけて、止まってしまう。
この場に一緒にいながら、違和感があった。陽を受ける恩師と、影を受ける自分の位置関係に。温かい手と、冷たい手であるということに。
風や光、街の音、人に包まれていながら、全てから距離を感じた。明るいはずなのに、暗がりを感じる。形成されてしまう孤独感に圧迫されそうになる。その怖さに、また、恩師に縋りついてしまった。
Instagram・Threds・Xにて公開済み作品宣伝中
インスタではプライベート投稿もしています
インスタサブアカウントでは
短編限定の「インスタ小説」も実施中
その他作品も含め 気が向きましたら是非




