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目的地に着くと、溢れんばかりの緑や空が、視界からこぼれそうになる
所々にテント客がいるが、それほど騒がしくはない。早くもバーベキューを始める一家や、一晩過ごして朝食を終え、これから下山するキャンパーなど、様々だ。
スポットの周りには、接近注意を促すシグナルが立てられている。その向こうは、果てしない崖が広がっていた。
そこだけを見ると恐ろしいのだが、その崖も絶景の一部であり、キャンバスや写真では、いい引き立て役になるだろう。
すぐ傍には、遥か遠いはずの雲が、今にも掴めそうな位置にあった。空は、水色のペンキをこぼしただけのような、シンプルな色をしている。けれども、ワントーンならではの美しさを醸し出していた。
「地球が危ないだの何だのって言うけど、ここを見てると嘘に思える」
ステファンは荷物を背負ったまま呟いた。その後ろでは、妻がキャンプの支度をいそいそと始めている。ブランチと呼ぶにはまだ少し早いが、湯が沸く頃にはちょうどいい時間になるだろう。
「努力の結晶よ」
妻の爽やかな声に、ステファンは肩越しに振り向く。そこには早くも、ミニテーブルと焚火台、ポットがセットされていた。使い込んだ揃いのステンレスマグが、陽射しを蓄えはじめている。
「地球が上手くやれてるように見えるのは、見えないところで、あらゆる生き物が努力をしているから。例えばそれは、病院や他の職業にだって置き換えられる」
怪我を治し、命を救う裏側で、経営の話は当然絡む。大病院だからといって、いつも安泰している訳ではない。現状が維持され、新たな成果が少しずつ出ているのは、1人ひとりの勉学量によるものだった。そしてそれは、関係者以外の目には見えはしない。
野生動物保護調査員という専門家は、他の職業に比べて知名度が低い。それは、都市部に行けば尚のことだった。そう多くはない珍しい存在が、一般人が目に触れることがまずない自然区域に入り、動植物や、その生息地の調査と研究をする。彼等の知識は、ふとした時に求められ、その時がなければ影そのものだった。
「やだ、マシュマロ忘れたんじゃない?」
大切な話題を口にしているのではないのかと、ステファンは、急に長閑な発言をする妻に拍子抜けする。そんな彼女の存在は、とても影のようには思えなかった。今も彼女を見ていると、子ども向け映画に登場する、動物と難なく話せるプリンセスだ。
「持ってるよ」
ステファンは荷物をやっと下ろすと、子犬のように好物を求める妻に、それを差し出した。焼き目をつけて食べるのがたまらなく好きで、キャンプの時は欠かせない。なのに、ダイニングのストックから取り出したまま、テーブルにぽつりと置き去りになっていた。出る前に家中の確認をしていた時、その光景に思わず笑ってしまった。
「ありがとう。他の食料に気を取られてたわ。ねぇ写真撮りましょ!」
あちこち動き回る妻に、先ほどの野鳥を重ねてしまう。見えない羽を何度も動かし、国境までも越えてしまう彼女にとって、それもまた自然なことだった。
ホリーは、絶景を背に撮影をしたく、うずうずする。使い慣れたカメラにタイマーをセットし、設置場所を探そうと辺りを懸命に見回した。
「三脚があるだろ」
夫の助け船に、ホリーはうっかりしていたと、恥ずかし気に笑う。そして、突風で三脚が倒れないようにと、その足元に石を集めていく。すると
「支えておこうか?」
夫婦は、ふと現れた気さくな少年に、目を丸くさせる。彼は、見るからに山中で虫取りをしていた様子だ。ずっと向こうにあるテントを指差し、家族に食事に呼ばれるまでの間、暇潰しをしているのだと、気さくに話してくれた。




