◆7月27日 水族館デート(8)
「疑問がある。鷹宮は今、才川っていう同僚の男にとって、都合のいい人格と身体に作り変えられてる最中だって言ってたよな?」
「ああ。クソ忌々しい、気色悪ぃ話だがな。この世界に入る前の最後の記憶と、鷹宮道実のアバターを使ってあいつが喋ってたことを繋ぎ合わせれば……、ああそうだクソッ。……その狙いは明らかだ。ああクソッ。クソックソックソッ」
鷹宮は時折自分の中に存在する記憶をまざまざと思い出すと、その度、悪態を吐かずにはいられない気持ちになるようだった。
俺は鷹宮の興奮が収まるのを待ってから、喉の手前に溜めていた疑問の続きを投げかける。
「……その洗脳のために、わざわざこんなリアルな仮想世界を持ち出す理由って何なんだ?」
「あ、あー、それな……」
「無駄に壮大だし、途中経過のモニタリングもやり辛いとなると、どうも洗練されてない感じがする。俺がイメージする未来社会らしくないというか」
「そうだな……。この話をすると、たぶんガッカリさせてしまうと思うんだが……」
鷹宮が背後の巨大な水槽に視線を投げて泳がせる。
「……いや。まず先にこの話をすべきだな。大事なことをまだ話してなかった」
俺はすでに大分疲弊するぐらいの情報を浴びているのだが、この上さらに大事な話が残っているというのか。
「人間の洗脳装置……。この言い方も適切じゃない気もするが……、記憶のフォーマットと上書きの方法が発見されたのはつい先日のことで、それを開発したのは、俺なんだ。
恥ずかしながら、俺は今、俺自身が開発した装置で人格の書き換えを企てられてる情けない状況ということになる」
「は? あぁ……。……はぁ?」
バツが悪そうにして喋る鷹宮の言葉に合わせ、俺の口から我ながら間の抜けた欠伸のような相槌もどきがこぼれ出る。
「生体グリッドコンピューティングとか、バイオテクノロジーとかの分野は発展して久しいし、こうやって実用化もされてる。一から削り出しで作る人格型知能の技術だって、大分ローテク化してるんだが、人間の生身の脳に関する研究だけはそこまで進歩してなくてなあ。まあ今にして思えば、洗脳みたいな真似ができたらヤバ過ぎるから、敢えて発展させないよう制限されてたんじゃないかと思う。うん」
「はぁ……」
なかなか俺の投げ掛けた質問の答えにたどりつかない。
だが、それらの情報も全部、下位世界にいる俺などからしたら、これまで知りようもなかった話なのでありがたく拝聴すべきだろう。
「要は偶然の産物なんだよ。俺はアミューズメントとしての仮想世界をより魅力的なものに磨き上げるような研究を仕事にしててさ。その中でも特に最近ニーズが高まってたのが、より没入感のある仮想体験を提供することだったんだ」
なるほど。つまり、《上位世界における鷹宮の職業は、ゲームエンジニアみたいなもの》と想像すればいいのかな? コンテンツではなく、環境まわりの。
「ハルキは、現実とほとんど変わらないリアルな仮想世界を体験するときに、プレイヤーが一番違和感を感じるのはどこだか分かるか?」
「えっ? なんだろう? 嗅覚とか、触感……? いやぁ? そういう話じゃないのか……。そういう技術的なボトルネックの話じゃなくてか?」
「答えは自分自身だよ。当然ながらプレイヤーである自分には、自分の意思でその仮想世界を体験してるっていう自覚があるからな。どうしても、今いる世界が擬い物だっていう認識が付いて回る。ゲームにしても体験学習にしても、そのノイズで気持ちが冷めちまうんだ」
「まあ……、そりゃそうなるか」
「そこで俺が開発してたのが、ダイブした瞬間から一時的に記憶を封印し、プリセットした別の記憶データ群を自分の脳に上書きするっていう拡張機能だ。
そうすることで、プレイヤーはその世界の自然な知識や価値観を持ち、同じ世界の住人として世界やイベントを体感することができる。仮想世界から抜け出た後は本当の自分の記憶と統合されて、最終的に仮想世界での体験はもう一人の自分が体験した生々しい記憶として残る。ってな寸法だな」
「はあ……。なんかヤッベーな」
「だろー? 俺様天才開発者だから」
俺の抱いた感想は何も肯定的な意味に限ったものではなかったのだが、鷹宮はヤバいという言葉を純粋に好意的な意味で解釈することにしたらしい。腰に手を当て、胸を張り、鼻高々に威張ってみせるポーズをする鷹宮。
可憐な少女の見た目だから非常に可愛らしく見えるが、これを男がやっていると思うと少し複雑だな。上位世界ではこういう芝居掛かったボディランゲージが流行ってるのだろうか。
「すまん。ほんと言うと、前提からしてブッ飛び過ぎてて、それがどこまで凄いことなのか、よく分かってないんだ」
本物の鷹宮がいる上位世界の人間相手なら、きっと感心されることなのだろうが。
「チッ、なんだよ。ま、実際は威張ってみせるほど凄くもないんだけどな」
「ふ、ふーん? そうなの?」
「ああ、9割ぐらいは既存コードのコピペの集合体だし」
「コピペ……」
「そう。コピー&ペーストのコピペな。細かいことなんてよく分かってなくても、ライブラリの引用技術だけで成立しちまうんだよ。そこが、きっとハルキたちからガッカリされるであろう、俺たちの素晴らしき科学社会の実体だ。
とにかく、全てのことが複雑過ぎて生身の人間じゃあ到底中身の詳しい部分までは手に負えないのさ。大体の基幹技術は、何をどう考えて構築したかも分からないAIが出した答えで動いてるし。
今の、この世界でも言われてるだろ? 深層学習させたAIの内部では、実際は何が起きているか分からないっていうブラックボックス問題。それが、もっともっと致命的に積み重なってできてる世界なんだ。なんでそうなるか理屈は分からんけど、とにかく動くから使っちまえっていう」
「あー……。なんだな……、あれ、アスピリンみたいな話か?」
「アスピリン! また懐かしい。そうだよ。実用先行って意味ではそうだ。そういう意味では人間の本質は昔からずっと変わってないってことだな。アスピリン、ワクチン、ペニシリン。一時期はその辺と一緒くたにした議論が大分盛んだったよ。でも、アスピリンだって、なんで鎮痛薬として働くのかっていう科学的な説明は見つけただろ? 時間は掛かっても人間が。自分たちで。
俺たちのコンピューティング工学はもう、人間じゃあ何世紀かけても理解するのは絶対無理って段階まできてる。AIを使った分析で、ブラックボックス化された実用理論を人間でも解釈可能な論文に逆翻訳しようっていう動きもあったんだけど、そんなことして解明したとして、それにどんな意味があるんだ?っていう動機付けが難しくなって、そういう研究も今じゃあ下火だって聞くな」
アスピリンというのはなんとか鷹宮の話に付いていっている体裁を保とうとして捻り出したワードだったが、機嫌良く話している鷹宮の様子を見るに、それほど的は外していなかったようだ。
持て余した時間を読書に使っておいて本当に良かったと、俺は過去の自分に感謝を捧げた。
「でぇ、今の話は? 最初に俺がした質問とどう繋がるんだ?」
「あ、ああ、そうだった。すまんすまん。さっきのは話の半分だ。大事なのは、それより後の部分だな。
仮想世界を体験している最中、本人の本物の記憶を一時的に喪失させるっていうは、プロジェクトメンバーにも共有されている大目標だったんだけど、俺が開発した方法には、仮想世界から出た後も元の記憶との統合が起こらず、記憶が封じられたままになるっていう致命的なバグがあったんだよ」
「はあ、バグぅ……」
演算にクジラの脳を使うようなハチャメチャな未来でもその古めかしい用語は生き残ってるのか。クジラの脳にまで寄生するとは、なんて生命力の強い……。
「当然、製品としては使い物にならない重大な欠陥だし、どうにかその問題を解消する必要があったんだが、その途中で俺は気が付いた。それが、使い方によっては人の人格を意のままに作り変える洗脳装置に成り得るんじゃないかってな」
「あ……、そうか。そういうことか」
「そうだ。いま俺たちがいるこの世界は、別に洗脳装置として作られたものじゃない。有り合わせの技術で、うっかり出来てしまった実用環境に過ぎないんだよ」
「……じゃあ分かった。それは分かったが、どうして鷹宮は自分が作ったその実験環境で他人から洗脳されるようなことになったんだ?」
「うっかり話しちまったんだ。才川の野郎に。今回できたのは偶然だが、俺が作り出せたってことは、どのみちいつか誰かが同じ用法を思いつくはずだろ?
危険な技術だから、それが世界中に拡散される前にどうやって〈禁忌アーカイブ〉送りにできるかって相談を。まあ、そういうパテント方面には才能のある奴だったし、それなりに、知らない仲でもなかったしな」
「〈禁忌アーカイブ〉って?」
「人類にとって致命的な悪影響を及ぼし得る技術群を人やAIから遠ざけておくための裏ライブラリみたいなもんだな。AIにそれを学ばせておくことで、人間からの要求があっても、その技術を含む知識の開示や演算の実行をさせないようにする仕組みがあるんだ。誰にでも手軽にブラックホールを作れたり、破滅的なウィルスをバラまけるようにされても困るだろ?」
「……じゃあ、才川の本当の狙いは……」
「俺をあいつ好みの女に作り変えるってのは、まあ多分、ついでみたいなもんだろう。
一番の狙いは、まだ世間に知られていない洗脳技術を使って、現実の世界を意のままにすること……、なのかもしれない。あるいは、単にシステムを俺から取り上げて自分の手柄にするつもりか。それともどこか他に、技術を高く買ってくれそうな売り込み先のアテがあるのかもな。
リソースは組織のものを使ってても、開発中の環境は俺個人にライセンスされてるから」
なるほどな。
仮想の世界で何もかも思い通りにできる環境があるのに、わざわざ知り合いの男を使って生きたダッチワイフを作ろうという発想には、偏執的で狂気じみたものを感じていたが、《洗脳自体は鷹宮からライセンスを奪うための手段》なのだとしたら、その動機はまだしも理解ができる。
クジラの話と同じく、またしても遠回りだったが、理解するための知識の外堀が埋まってきたことで、俺にも鷹宮が置かれている状況が飲み込めてきた。
「うーん。今はたまたまシミュレーションの途中で、鷹宮が元の記憶を思い出した状況なんだよなあ。だとしたらどうなる? ワンプレイ……という言い方で正しいのか分からんけど、このシミュレーションが終わった後はどうなると予想してるんだ?」
「仮の記憶は一回の刷り込みでは完全には定着しないはずだ。俺が今回あのサメを見て思い出したみたいに、ふとしたことで思い出したりしないように、複数回連続して記憶の上書きが行われると思う。そもそも才川は目覚めた当初の俺を見て失望していたし、《満足いく仕上がりになるまでこのシミュレーションを繰り返す》だろう」
「……あ、待て。分からなくなったぞ。刷り込みされた記憶と人格の影響が、シミュレーション内だけで終わらずに、鷹宮の生身の脳にまで及ぶ条件っていうのは、シミュレーションが正常に実行されて正常に終わったらという前提でいいのか?」
「おそらくはそうだ。とにかく偶然できあがった環境だからな。強制的に中断しても上手くいく保証はない。とりあえず最初は俺が発見したのと同じ条件を踏襲するだろう」
「んーだとしたら、洗脳するにしても随分気の遠い話じゃないか? 少なくとも丸一年は掛かるってことだろ? それだけの期間、現実の世界で人間一人を、誰にも不審に思われずに隔離しておけるものなのか?」
不意に鷹宮が表情を曇らせ俺の顔を覗き込んだ。
おや、しまったな。何か失言があったらしいぞ。なんだ?
「いや、未来の社会習慣なんて知らないから、余計な疑問なのかもしれないけどさ。才川がお前を拉致って監禁してるような状況だと想像してたから」
「…………。確かに長いが、一年間丸々は必要ないんだ。俺が最初にハクジラの脳神経の話をしたことは覚えてるか?」
「ああ……」
「この環境レベルの仮想世界を、今の生体グリッドコンピュータ内で走らせるために必要な実時間は現実のおよそ〈五分の一〉なんだ」
「ゴブンノ……あ! おおっ、すげっ。そうか。水中を伝わる音の速さか!」
「そう。あ、いや、本当にそれが演算速度の限界を決めている原因かは分からないぞ? ブラックボックスを外から眺めた人間が、そんな理由付けを思い付いてるだけで。まあ、《この世界における一年間は実時間に換算すると約2カ月半》。その時間的尺度は間違いない」
「なるほど。そのくらいの期間なら社会的にも誤魔化しが利くと?」
「元々、俺たち開発者は研究で籠ると半年ぐらい顔見せしないなんてザラだからな。現実と仮想を行ったり来たりしているわけだし。それに間の悪いことに、《俺は向こうで長期休暇の申請をしたばかりだ》」
「そりゃあ……、まずいな」
俺はひとまず納得し、頭を整理するために考え込んだ。だがすぐに、そんな俺の顔を鷹宮がマジマジと見つめていることに気付く。
「じゃあ、こちらの状況はおおよそ分かってもらえたということで。そろそろ俺の方も一つ教えてもらおうじゃないか」
鷹宮のその口調はすっかり落ち着いたものに変わっていた。自分のことだけで精一杯になっていた少し前の鷹宮とは明らかに違う。しっかり目標を見据えた、エンジニアである鷹宮本来の眼差しとは、こういうものではないかと感じさせる瞳だった。
「俺は、まだ説明してなかったと思うんだが……。どうしてハルキは知ってたんだ? 《この世界の1サイクルが、きっちり一年間だってこと》を」
しばしの沈黙。
館内放送が流れる中、俺の背後を小学生くらいの子供がはしゃぎ声を上げながら駆けていく。それに向かって、走ると危ないぞと注意する父親らしき男の声。
いつの間にかこの辺りも行き交う入館者が増えてきている。随分長いこと同じ場所で話し込んでいたものだ。
「……あー。ハハ、なるほど、そこでバレたのか」
俺としては最早、頭を掻いて笑って誤魔化すしかない。ちょっとした悪戯がバレた子供のような心境だった。
何しろ相手はこの世界の外から来た存在。自分たちの親や創造主とも呼ぶべき相手なのだ。最初から本気で隠し果せるとも思っていなかった。
「言っとくが、最初から頃合いをみて話すつもりではいたんだぜ?」
「ふうん?」
腕組みをして話の続きを催促する鷹宮。
「言っただろ? 場合によっては俺も手助けできるかも知れないってな」




