第11話先輩のお名前は?
月曜日。
神崎たちとカラオケに行った土曜日が遠い昔に感じられる。
あれは夢のような一日だった。
だが、俺がいくら非日常の一日を送ろうと太陽はまた昇り、そして沈んでいく。
今日もそんな風にして一週間が始まっていた。
昼休み、俺は昼食をとった後眠くなったので一階の自販機でコーヒーを買いに来ていた。
小銭を入れてボタンを押すと、ゴトンという音とともにペットボトルのコーヒーが落ちる。
俺はこの、機能も見た目も大きく変わらない自動販売機が好きだった。
それは決して、学校や会社に行くことのない猫を羨ましく思う学生や社会人のそれと同じではない。
自我を持たず利用する人々に一定のサービスを提供し続ける、変化のない存在。
俺はそういう存在になりたいと思ったし、実際少し前まではそうだっただろう。
関わる人に求められた仕事をこなし期待以上に応えることはしない。
それが俺の出した生き方の結論だった。
しかし、神崎と話すようになってからのここ最近の俺は異なる価値観を持つようになっていた。
もっと神崎に期待してほしい、その期待以上に応えたい。
そういう積極的な考え方をするようになった。
そんな風に最近を振り返りながら左手に購入したペットボトルを持って廊下を歩いていた。
ーーードンッ。
廊下を曲がった先で突然自分の胸に衝撃が加わった。
「いててて、、、」
少女が廊下に座り込んで頭を撫でている。
ああ、俺はこの子と衝突してしまったんだなと理解した。
いやベタすぎるだろ、展開が。
アニメやマンガの世界かと勘違いしてしまいそうになったが、目の前の少女はしっかりうちの高校の制服を着ていた。
紛れもなく現実に起こったこと。
「ごめんな、ぶつかって」
俺は謝りながら、少女の手を取って立たせてやった。
「私こそごめんなさい!急いでて前見てませんでした」
えへへ、と後頭部を搔きながら少女は言った。
上履きの色を見るに、彼女は俺の一個下の一年生のようだ。
深い黒髪に今どきっぽいハーフツインでぱっちり大きな目に小さな鼻と口。神崎とはまた違った部類の可愛さがある。目にハイライトがない感じがミステリアスな雰囲気を放っている。
それでいて、出るとこは出た発育の良い体つきは上級生と比べても劣らない色気を発していた。
着崩された制服から、チラチラといろんなものが覗けてしまいそうだ。
おそらくこの少女は一年生の間でアイドル的な存在になっていることだろう。
「ほら、落としてるぞ」
俺は少女の横に落ちていた本を拾い上げて渡してやった。
「やばっ!莉央ちゃんに怒られちゃう、、、」
「それじゃ、私急いでるので!」
「お、おう、、、」
手を振って、小走りで行ってしまった。こりゃまた誰かとぶつかりそうだな。
典型的なドジっ子キャラというやつだ。
「名前くらい聞いておきたかったな」
俺は少しの心残りを抱え、自分の教室へと戻った。
「ありがとうね」
「こちらこそです!また貸してください!」
教室のドアを開けると、前方の桐谷の席に桐谷とさっきぶつかった後輩の子がなにやら会話をしていた。
「あれ、さっきの」
「あ!先輩このクラスだったんですね」
「なに、2人知り合い?」
桐谷が不思議そうに俺と少女を見ている。
「まあ、色々な」
「さっきはありがとうございました!無事本返せました」
桐谷から借りていた本だったのか。
「ああ、あの落としたやつ」
「ん?今落としたって言った?」
桐谷の顔色が、貸した本を落として返されたという怒りで真っ赤に染まっていく。
「どういうこと?ヒマリちゃん」
「あ、、、」
なんで言っちゃうんですか、とでも言いたげな焦った表情でこちらを見てくる。
今に桐谷の雷が落ちてくることだろう。
キーンコーンカーンコーン。
「あ、チャイム鳴ったな」
「で、では私自分の教室戻りますね!あ、私の名前は春原陽毬です!先輩のお名前は?」
早口で春原が捲し立てる。
「も、望月健太だけど」
「了解です!望月先輩、それではまた明日〜!」
またもやすごい勢いで教室を後にしていった。
廊下で会った時と同じ光景だ。
「陽毬、、、許さないわ、、、」
桐谷さん、どうかお怒りを鎮めてください。
放課後になって、俺は桐谷に改めて春原のことを聞いてみた。
「なあ、春原って子、お前の友達なのか?」
「友達ってより、妹的な存在ね。家が隣なのよ」
そうだったのか。
神崎しかり、春原しかり、こいつの周りには可愛い女の子が多いようだ。
こいつ本人は全然垢抜けない地味な芋女なんだけどな。
「それで、あなたは陽毬とどういう関係なの?」
「そうだな。さっき、体と体を密着させてきたぞ」
「通報するわね」
「嘘嘘、廊下でぶつかっただけだ」
桐谷が人差し指でスマホの110番を打ち込もうとしていた。
こいつ、本当にやるタイプのやつだからな。
「ちょっと、さっきから2人とも仲良すぎ」
教室後方の自分の席から俺たちのやりとりを見ていた神崎がこちらに来て言った。
「それに、もっちーめっちゃ可愛い女の子と話してニヤニヤしてたし」
「言いがかりだ!ニヤニヤなんか少ししかしてない」
「少しはしてるんかい」
ドスと桐谷のチョップが俺の右の二の腕に炸裂する。痛い。
「もう、モテすぎだよ」
ペチ、と桐谷とは対照的に軽いビンタが俺の左頬に与えられた。
衝撃が軽すぎて、側から見たらただのスキンシップだ。
俺にとってはご褒美だった。
「あ、そうだ」
「なんだよ?」
桐谷がふと何かを思いついたような顔をしている。
「今日、うち遊びに来る?陽毬も呼んで」




