第8話 友達/空気
東寺はどうにか神村さんを誘えたようだ。
どうやら、この件は僕から言い出した事になっているようで、昼食を終え教室に戻るなり神村さんから何やら生温かい眼差しを頂戴いてしまったが、貸し一つという事で今回は手打ちとした。
ちなみに、遊園地に行く事自体は二人分のチケット代を払ってもらうので、僕の中ではそれでチャラになっている。
帰りのホームルームが終わると、教室がにわかに騒がしくなり始める。
やはり、授業からの開放感が、大半の生徒の気分を高揚させているのだろう。帰宅をせず教室に残っている者達の顔は、そのほとんどが綻んでいた。
さて、帰るか。
「途中まで一緒に行こうぜ」
「あぁ」
声を掛けてきた東寺と肩を並べ、教室を後にする。
「ホント助かったよ。サンキューな」
「気にするな。チケット代出してもらうしウィンウィンの関係だろ」
話の脈絡がなく何に対する礼か分からなかったが、おそらく遊園地の件だろうと思い、返事をする。
「おう。折角二人に協力してもらうんだ。絶対決めるぜ、俺は」
「気負い過ぎてヘマするなよ」
「それは……分からん。実際にその場になってみないと」
そんな台詞がこいつの口から出るなんて、柄になく緊張しているらしい。
「ダメだったら、残念会開いてやるから」
なので、そんな空気を振り払うように、あえて茶化してみる。
「おい。縁起でもない事止めろ」
「うそうそ。絶対成功するって。大丈夫大丈夫」
「安易な励ましも止めろ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
ワガママなやつだな。
「まぁ、とにかく、何か協力して欲しい事があったら言ってくれ。出来る限り力になるから」
「晃樹、お前……」
潤んだ目で見るな。気色悪い。
大体、一緒に遊園地に行くからには、絶対に成功してもらわないと困る。仮にフラれでもしてみろ、間違いなく空気が悪いどころの話じゃなくなるぞ。……そんな状況、考えただけでもぞっとする。
「そういやお前、高梨さんとはどうなんだよ」
「どうって、何が?」
質問が抽象的過ぎて、何をどう答えたらいいのか分からん。
「デートとかはしたのかよ」
若干頬赤らめながらそんな質問して、小学生か。
「まぁな。昨日、駅前をぶらっとしてきた」
「このリア充め」
親の仇でも見るような目で見られてしまった。
「お前が聞いてきたんだろ」
理不尽極まりないな、ホント。
「冗談だよ。順調そうで何よりだ」
「順調って、まだ付き合い出して一週間ってとこだぞ。順調も何も全てはこれからだろ」
こんな最短で不協和音が生まれるようなら、そんなやつらは初めから付き合わない方がいい。……と、それはさすがに言い過ぎか。とにかく、僕達の関係はまだ始まったばかりだ。
階段を二つ降り、少し歩いた所で東寺と別れる。
「じゃあ、また明日」
「おう」
渡り廊下の方に去っていく東寺の背中を見送ると、僕は視線を教室のある方に向けた。
高梨さんが先に来ていれば、大体いつもこの辺りで待っている。いないという事は、まだ教室にいるのだろう。
待つ事数分、ようやく待ち人が来た。
「お待たせ。ちょっと、クラスメイトに捕まっちゃって」
高梨さんは人気者だ。彼女に用がある生徒はそれなりにいるだろうし、用がなくても話し掛けたいと思う生徒はそれ以上に多くいるだろう。
「行こうか」
「うん」
高梨さんを促し、一緒に昇降口に向かって歩き出す。
「神村さん、ちゃんと誘えたみたい」
「そっか。じゃあ、後は成功するのを祈るだけね」
「……きっと上手く行くさ」
「晃樹君にとって大事な人なのね。彼、彼女、それとも両方? 妬けちゃうわね」
そう言うと高梨さんは、心地のいいほどはっきりした作り笑いをその顔に浮かべた。
「冗談、だよな」
「どうでしょう? うふふ」
怖っ。これ以上の深追いはよそう。損こそすれ得はしなさそうだ。
「トウジとは小学校の頃からの仲で、なんやかんや言っても一番長い付き合いだから……」
実際に口に出すのは恥ずかしいけど、あいつの思いが報われて欲しいと心から思う。
「羨ましいわ。私にはそういう友達いないから」
「え? そうなの?」
意外だ。あれだけたくさんの生徒に慕われているのに……。いや、慕われているからこそ、なのか。……というか、もし素があれだったら、とてもじゃないが人前で出すわけにはいかないか。高梨氷菓のイメージ完全崩壊だ。
「何か変な事考えてない?」
「いえ、全然、まったく、これっぽちも、一ミリたりとも考えてませんよ」
「……まぁ、いいわ」
よし。なんとか許された。
「小さい頃にちょっとショックな事があって、それ以来、人付き合いが苦手になったの。本音を見せられなくなったというか、浅く広く付き合うようになったというか……。だから、本当の友達と呼べる人は、今の私には一人もいないわ」
「そう、だったんだ……」
こう言ってはなんだが、高梨さんもそれなりに苦労しているんだな。遠目で見ていた頃には、本気で苦労という言葉とは無縁な人なのかと思っていた。……そんなわけないのは、少し考えれば分かるのだが。
「だから、買い物や遊びには、いつも従姉に付き合ってもらうの。従姉は私にとって本当のお姉ちゃんみたいな存在で。今は家を出て、その従姉の住むアパートに居候させてもらってるの」
「じゃあ、今はその従姉さんと二人暮らし?」
「そう。華の女子大生と二人暮らし。羨ましい?」
「何言ってんだか」
女子大生と二人暮らし。確かに、字面だけ見ると素敵な響きだ。まぁ別に、女子高生と二人暮らしでも……いや、何考えているんだ、僕は。
「ねぇ、晃樹君はどこの大学行くつもりなの?」
女子大生というワードが出たからか、ふいに高梨さんがそんな事を聞いてくる。
「具体的にはまだ。やりたい事も見つかってないし」
「そう。決まったら教えてね」
「まさか同じ大学にするとか言わないよな」
そもそも、僕と高梨さんでは頭の出来が違うし、専攻している分野も違う。普通に考えたら。同じ大学に進学する確率は少ないだろう。
「決まったら教えてね」
満面の笑みで同じ台詞を吐かれてしまった。
「……」
進学先はちゃんと選ぼう。そんな当然の事を、僕は改めて心に誓うのだった。
日曜日。待ち合わせ場所である狩田駅の通路に着くと、すでに高梨さんが来て待っていた。
時刻は八時を少し回ったところ。待ち合わせ時間は八時半なので、彼女がいつからいるか分からないが大分早い到着である。
「おはよう。早いね」
「おはよう。遅れるよりはいいと思って、少し早く来ちゃった」
その気持ちは僕も分かる。実は僕も、今日はいつもより十分ほど早く待ち合わせ場所に到着している。別に自分が告白するわけでもないのに、なんだろう、この妙な緊張感は……。
ん?
「それ、付けてきたんだ」
「うん。イヤリングは絶叫系に乗った時に落ちちゃうと嫌だったから、ペンダントだけ」
今日の高梨さんの格好は、胸元にロゴの入った白いTシャツに水色のロングスカート、そして首元には僕がプレゼントしたペンダントが。
「ありがとう。嬉しいよ」
「どういたしまして」
「……」
「……」
二人の間に変な空気が流れ、なんとなく同時に視線を下に落とす。
そしてどちらともなく顔を上げ――
「あはは」
「うふふ」
顔を見合わせ笑う。
「ねぇ、今日のチケット代、本当にもらっちゃって良かったの?」
「いいよ、別に。そもそも、こっちはあいつの勝手に付き合わされてる身なんだから」
当日にやり取りすると神村さんに怪しまれるという事で、チケット代は前以て東寺から二人分受け取ってあった。その半分をすでに高梨さんには渡してある。
「なんか悪いわね」
「全然気にする事ないよ。それより今日は僕らも楽しもう」
今日の僕らのミッションは、東寺のサポートをしつつ自然な態度を心掛ける事だ。まぁ、心掛けている時点で不自然さはどうしても出てしまうのだが。
「それより、久しぶりの遊園地だから、はしゃぎ過ぎて当初の目的忘れちゃうかも」
「いいんじゃない、それでも。その時はその時って事で」
「そうね。何かを勘付かれるより、そっちの方が百倍マシよね」
「そういう事」
今日頑張るのは、あくまでも東寺であって僕らではない。なので、必要以上に気負う必要はないし、当然ながら責任を感じる必要もない。もちろん、上手く行って欲しいという気持ちはある。しかし、結局最後はお互いの気持ち次第、外野がどうにか出来るものではないだろう。
「ねぇ、晃樹君は告白された時どうだった?」
「……」
それを本人が聞くのか。まぁ、いいけど。
「信じられないっていうのが一番だったかな。高梨さんと接点ないし、可愛いし。高嶺の花、みたいな? とにかく、びっくりしたよ」
「びっくり、だけ?」
「……もちろん、嬉しかったよ。これでいいだろ」
「うん。ありがと」
たく、こんなバカップルみたいなやり取り、誰か知り合いにでも見られたら――
「ねぇ、見て東寺。バカップルがいるよ」
「ホントだな。付き合いたてで、周りが見えなくなってるんじゃないか。嘆かわしい」
ばっちり見られていた。
「というか、いつの間に?」
「信じられないのが一番とか言ってる辺り?」
言いながら、神村さんが首を傾ける。
「声掛けてよ」
「えー。だって、二人の空気作ってるのに、間に割って入る事なんて出来ないよ」
「馬に蹴られるのは御免被りたいからな」
二人揃って、うんうんと頷く神村さんと東寺。
息ぴったりじゃないか。まさに、お似合いのカップルというやつだな。とっととくっ付いてしまえと周りが言う気持ちがよく分かる。
「改めて、おはよう二人共」
「おはよう。いい天気になって良かったな」
それぞれ挨拶をする神村さんと東寺に、僕達も「おはよう」と挨拶を返す。
「わぁー、高梨さん可愛い」
「そう? 神村さんもとても可愛らしいわよ」
テンションMAXの神村さんに若干押されつつ、高梨さんもなんとかそれに応じる。
「今日はホントありがとな」
その隙を突き、東寺が僕の隣に並び小声でそう言ってくる。
「まぁ、どうせ暇だったしな」
「暇って。付き合いたてなのに、それでいいのか」
「うるせー。これから予定作るつもりだったんだよ」
「さいですか」
こいつ……。
「あー。男子二人がなんか内緒話してる」
「「!」」
声のした方に視線をやると、いつの間にか神村さんが僕達の側に立っていた。
高梨さんに気を取られていると思って、完全に油断していた。
「別に、内緒話なんてしてないよ」
反射的に答えた事もあり、我ながら下手な返しをしたものだと思う。
こういう返しをする奴は、十中八九指摘された事をしている。間違いない。
「ホントー? 怪しいなぁ」
案の定、神村さんに怪しまれてしまう。
しかし、この反応を見るに、どうやら神村さんは僕達の会話を一切聞いてなかったようだ。
よし。これなら。
「実は、トウジが神村さんの格好可愛いなって」
「な!」
「え?」
僕の発したその場の思い付きの出まかせに、東寺と神村さんがそれぞれ違うテイストの驚きの声を上げる。
実際、今日の神村さんの出で立ちには、高梨さんとはまた違う可愛さがあった。
ベージュのセーターに黒い革製のショートパンツという組み合わせは、神村さんの表情も相まって見る者に活発な印象を与える。
どちらがいいという話ではなく、どちらも可愛くまた似合っていた。
「東寺ったら、そんな事言ってたの」
にやけ顔で東寺に顔を近づける神村さん。
その様子は、まるで獲物を見つけたハンターのようだった。
「いや、ちが――」
咄嗟に否定し掛けた東寺たったが、僕の顔を見て途中でその言葉を慌てて飲み込む。
「……まぁ、言ったかもな」
「へー。東寺がねぇ」
素直に認めるとは思っていなかったのか、神村さんの声のトーンが変わる。
「なんだよ……」
「ううん。ありがと」
「おぅ……」
嬉しそうにお礼を言う神村さんと、照れながら返事をする東寺。
この二人、本当に付き合ってないのか? 実は騙されてないか、僕達。……まぁ、そんなメリット東寺にはないから、完全に考え過ぎなんだけど。




