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第4話 天使/眉唾

 目を覚ます。


 そして、同時にこう思う。今日はどっちだ、と。


 平日? 休日?


 平日だと今すぐ起床して支度(したく)をしなければいけないが、休日ならもう少しこのまどろみに身を任せる事が出来る。


 僕としてはもちろん、後者だと(うれ)しいのだが……。


 (まぶた)を上げる。


 すると、ぼやけた視界にこちらを(のぞ)き込む女性の顔が映った。


 女性の顔? 母さんか? でも、どうして?


 視界に掛かった(もや)が次第に薄れていく。その結果、不鮮明だった女性の顔も徐々にクリアになっていき――


 目を覚ますと、そこに天使が立っていた。


 天使? 僕はまだ夢を見ているのか。天使なんてこの世にいるはずないのに……。


「おはようございます、お兄様」

「なっ」


 僕の顔を覗き込んでいた人物、それは高梨(たかなし)氷菓(ひょうか)その人だった。


「な、なんで君が!?」


 驚きのあまり、僕は体を起こしながら後ろに下がるという、寝起きとは思えない芸当をやってのける。どうやってやったのかは、僕自身よく分かっていない。


 今日の彼女は白いワンピースに薄での水色のカーディガンという出で立ちで、寝ぼけた僕にはそれが天使の格好に見えたらしい。寝ぼけていたとはいえ、どれだけ恥ずかしいやつなんだ、僕は。


「お母様に、そろそろ起きる時間だから起こしてきてって頼まれまして」


 母さんめ、いらない事を……。


「じゃなくて、待ち合わせは駅前に十時だろ」


 掛け時計の指し示す時刻は、八時。そしてここは、どう考えても駅前ではない。紛れもない、我が家の自室だ。


 もし仮に勘違いでここにいるのだとしたら、高梨さんは相当なうっかりさんという事になる。……って、そんなわけあるか。


「きちゃいました」

「……」


 付き合って数日で、しかも実家暮らしの人間にやるものでは絶対ない気がする。


「とりあえず、着替えるから出て行ってくれ」

「お手伝いしましょうか?」

「10、9、8……」

「あー」


 カウントダウンを始めると、僕が本気だと気付いたのか、高梨さんが慌てた様子で部屋から逃げるようにして飛び出して行った。


 たく。いい加減にしてくれ。


 ベッドから立ち上がり、カーテンを開ける。


 うん。今日もいい天気だ。まさに絶好のデート日和(びより)と言えよう。


 パジャマから私服に着替え、自室を後にする。


 外で待っている可能性も考えたが、そこに高梨さんの姿はなかった。下に降りたのだろう。


 予想が外れ、少し拍子(ひょうし)抜けだ。


 階段を降りリビングに入ると、食卓に高梨さんと母さんが並んで座っていた。


 今となってはもうおなじみの光景だ。


 父さんの姿が見えないが、おそらくこの状況に慣れず自分の部屋辺りに逃げたのだろう。まぁ、朝起きたら、突然見知らぬ女子高生が自分の家のリビングにいたのだ。逃げたくなる気持ちも分からないでもない。


 いつものように洗面所で朝のルーティンを済まし、再びリビングに戻る。


 そして、高梨さんの(はす)向かいの席に腰を下ろす。


 母さんの姿は当然のようにそこにはない。


「まったく、どういうつもりだ」

「お母さんに呼ばれたのよ」

「母さんに?」

「えぇ。晃樹(こうき)君にお弁当を作りたいと相談したら、好きな物や好きな味付けを実践込みで教えてくれるって」


 というか、いつの間に母さんと連絡先を交換したんだ?


 僕の知らないところでどんなやり取りがされるのか、想像するだけで恐ろしい。


「という事で、今日はお弁当を持って出かけましょう」

「それはいいけど……」


 今日は適当に駅周辺の店を散策する予定だった。なので、昼食をどこで取るかは特に決めておらず、それが手作りの弁当に変わったところで差程(さほど)問題はない。


「もう少し嬉しそうにしなさいよ。折角、可愛(かわい)い彼女がお弁当作ってくれるっていうのに」


 僕の朝食とコップを持ってきた母さんが、僕の反応に不満の声を上げる。


「いや、うーん」


 昼食を取る直前に「今日はお弁当を作ってきたの」と言われれば、それなりの反応を取る事も出来たかもしれないが、こうして前(もっ)て告げられてしまうと正直反応に困る。というか、起床からここまでの流れ全てに、絶賛戸惑い中である。


「あはは、照れてるだけですよ。晃樹君、照れ屋さんだから」

「誰が照れ屋さんだ」

「そう。まぁ、氷菓ちゃんがそういうならいいんだけど……」


 僕の反論など無視し、勝手に会話を進めていく二人。


 信念のない負け戦に挑むほど僕も馬鹿(ばか)ではない。ここは大人しく、黙して語らず、食事に専念しよう。


 今日の朝食は白ご飯と目玉焼き、それにベーコンと味噌(みそ)汁といった和食寄りの内容だ。


 まずは味噌汁から。うん。美味い。これぞ我が家の味、日本の心だ。


「晃樹君はどういう物が好きなんですか?」


 という質問を高梨さんは、僕に――ではなく、母さんにする。


 目の間に当人がいるのだから僕に聞けばいいのにと思う反面、とっさに好物を聞かれてもすぐには思い浮かばないなとも思う。自分の事は意外と自分自身では分からないものなのかもしれない。


唐揚(からあ)げ、トンカツ、カレーにお寿司……男の子が好きそうな物与えておけば、大体間違いないと思うわ」


 なんだか馬鹿にされている気分だが、そんなに大きくは間違っていないので、あえて口を挟む事はしない。


 目玉焼きうま。


「じゃあ、逆に嫌いな物は?」

「ニンジン、ピーマン、玉ねぎ、後はこんにゃくかしら」

「なるほど」

「だから、いっぱい入れてあげてね」

「おい」


 それまでだんまりを決め込んでいた僕だが、さすがに今の言葉には声を上げさせてもらう。


「何よ、好き嫌いは良くないわよ」

「だからって、必要以上に入れるのは違うだろ」

「そうでもしないと克服しないでしょ」

「逆に、よりいっそう嫌いになるわ」

「ふふ」


 声のした方を二人で見ると、高梨さんが口元を押さえて隠すように笑っていた。


「ごめんなさい。仲がいいんだなって思って」

「「……」」」


 無言のまま、僕と母さんはなんともなしに顔を見合わせる。


「まぁ、悪くはないかな」

「親子だしね」


 僕の言葉に、母さんがそう言葉を続ける。


「いいですね、そういうのって」


 笑い、そんな事を言う高梨さんの言葉を聞いて、ふと思う。


 そういえば、高梨さんの家族の話は今まで聞いた事がないな、と。




 朝食を終えると、一緒に料理をするという二人を残し、僕は早々に自室に引っ込んだ。


 当初出掛ける予定だった時刻まで、まだ一時間半以上の猶予(ゆうよ)がある。さて、どうやって時間を(つぶ)そうか。


 少し悩んだ挙句(あげく)、僕は本を読む事にした。


 テレビを見る気にはなれなかったし、宿題もないのに自主的に勉強するほど僕は真面目でもない。そうなると後やる事と言えば、スマホを触るか本を読むかくらいしかなく、二つの選択肢を天秤に掛けた結果、僕の中で後者の方にそれが(わず)かに(かたむ)いたのだった。


 理由は特にない。()いて言えば、スマホより本の方が見栄(みば)えがいいからだろうか。漫画ではなく小説を手に取った辺り、多分そういう事なのだろう。


 ……。

 …………。

 ………………。


 気付くと、時刻はあっという間に一時間が経過していた。


 それもこれも、読み始めた小説が面白(おもしろ)過ぎたのがいけない。内容に引き込まれ、続きが気になり、ついつい夢中になってしまった。


 しかし、生まれ変わりか……。本当にあるのだろうか?


 いや、創作上の設定という事はもちろん分かっている。だが、だからといって絶対にそれが存在しないとは言い切れないのではないだろうか。


 ……自分自身、馬鹿な事を考えているという自覚はある。その思考の根底にあるのは、間違いなく高梨氷菓の言葉。


『私とお兄様は実際の兄妹(きょうだい)なのです』

『いえ、そうではなく、前世の話です』


 前世か……。もし本当にそんなものがあったとして、前世の僕はどんな奴だったんだろう? 来世でも付き合いたいと思うほど、魅力的な人間だったのだろうか?


 ……ん?


 誰かが階段を登っていた。


 母さん……いや、氷菓さんか? 聞き慣れた母さんの足音とは微妙に違う。


 その足音は階段を登り切ると、僕の部屋の前で止まった。

 そして、コンコンと扉がノックされる。


「はーい」

「氷菓です」


 やっぱり。


「どうぞ」


 扉の外の声に答えながら僕は、さっきは勝手に入ってきていたのに今回は許可を取るんだなという、比較的どうでもいい事を思う。


 程なくして、扉が開く。


「お弁当の準備出来ました」

「そっか」


 掛け時計を見る。時刻は九時半を少し回ったところ。


「行こうか」


 立ち上がり、スマホと財布をズボンのポケットに突っ込むと、扉に向かって歩き出す。


 約束の時間にはまだなっていないが、そもそも待ち合わせ場所は駅前であり、今から移動したらちょうどいい時間になるだろう。


 ちなみに、駅前と言っても僕の家の最寄り駅の方ではなく、一つ向こうの駅の方である。


 狩田(かりた)駅。この辺りでは一番大きな駅であり、周囲に様々な種類のお店やデパートが点在する、近辺の学生の間では有名な買い物&遊びスポットだ。


 階段を二人で降りる。


 降りた先、玄関にはトートバックが置かれており、高梨さんがそれを拾い上げる。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

「行ってくる」


 見送りに出てきた母さんにそれぞれ言葉を返し、僕達は家を後にした。


 休日だからだろうか、この時間の住宅街を歩く人の姿はまばらで、すれ違うのは車ばかりだった。


「ようやく二人きりですわね」


 そう言って、高梨さんが僕の腕に自分の腕を(から)めてくる。


「おい……」

「いいじゃないですか。休日くらい」

「……」


 まぁ確かに、平日は学校内ではもちろん、登下校もどこで誰に見られているか分からないという事で色々と自重してもらっている。そう考えれば、高梨さんの言うように休日くらい別に……。


 いや、言い訳だな。誰にでもない自分への。


 僕はこういう事を恥ずかしいと思っている。こういう事自体もだけど、高梨さんに釣り合わない自分が彼女とこういう事をしているというその事実も。


「今日はどのお店に行きましょうか?」

「あの辺って何屋があったっけ?」

「服屋、雑貨屋、本屋……後はスポーツショップとか?」

「そういえば――」


 スポーツショップという言葉を聞き、僕は知り合う前から気になっていた事を、この機会に高梨さんに(たず)ねる事にした。


「高梨さんって部活には入らないの?」

「どうしてですか?」

「いや、高梨さんって運動神経いいんでしょ?」


 まだ入学して一ヶ月程ながら、彼女の運動神経の良さは学年中の噂になっている。(いわ)く陸上部の特待生に短距離走で勝ったとか、バスケ部の特待生に1ON1で勝ったとか……。


 噂自体は眉唾(まゆつば)ものだが、火のないところに煙は立たないというし、高梨さんの運動神経がそれなりにいいのは間違いないだろう。


「運動神経は悪くはないですね。でも……」

「でも?」

「お兄様と会える時間が減るので私は入らないです」

「……」


 満面の笑みだった。満面の笑みなのだが、その顔には一切の反論を許さない、確かな揺るぎない強さがあった。


 ……正直怖い。まぁ、部活なんて人に強制されて入るものではないので、別にいいんだけど。いいんだけど、ただ、余所(よそ)でその理由を口にするのだけは止めて欲しい。数多(あまた)の運動部から僕が恨まれる未来に容易に想像出来るから。


「そういうお兄様は、どこか入りたい部活ないんですか?」

「え? けど、僕が部活入ったら、どっちにしても一緒にいれないんじゃ……?」

「大丈夫です。その時は私もその部活に入るので」


 満面の笑みパート(ツー)


「い、今のところ入りたい部活はないかな……」

「そうですか。でも、もし部活に入りたくなったら言ってくださいね。すぐに準備しますから」


 準備? 準備ってなんだろう? 気になるけど、深追いすると面倒くさそうだからこの話をこれ以上広げるのは止めておこう。


「ま、その時が来たら言うよ」 


 多分、そんな時は来ないと思うけど。


「はい。お待ちしております」

「……ちなみに、高梨さんに関する噂ってどこまでホントなの?」

「噂、ですか?」

「陸上の特待生に短距離走で勝ったっていうのは?」

「あー。それは嘘です。彼女には後少しのところで負けてしまいましたから」

「……」


 後少しって事は、特待生相手と互角の走りをしたという事か。ある意味、ただ勝ったという話よりリアルで恐ろしいな。


「バスケの特待生に1ON1で勝ったっていうのは?」

「それも嘘です。私は5本中1本しか入れられず、向こうは5本中3本入れましたから」

「……」


 逆に言えば、特待生のオフェンスを二回止めたという事か。


「中学の時、バスケ部だったとか?」

「いえ、テニス部でした」

「そっか……」


 高梨さんの話を聞いて僕は、やはり噂話には尾ひれが付くんだなと思うと同時に、この手の話はグレードが下がった方がむしろ(すご)さが増すんだなと新たな発見をするのだった。

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