第17話 機会
その後は四人でテーブルを囲み、しばらく談笑をした。
氷菓さんと秋人さんの会話はたどたどしくとてもスムーズに行っているとは言えなかったが、まぁ思春期の娘と父親と思えばあれが通常運転なのかもしれない。
結局、僕達は高梨家に一時間程程滞在し、頃合いを見て退散をした。
柚季さんから一緒に夕食を取るように勧められたが、丁重にお断りさせてもらった。時間的にも心の準備的にも、今日はそこまで長居は出来ない。
二人に見送られ、高梨家を後にする。
時刻は四時過ぎ。まだ、真っ直ぐ帰らなければとなる時間ではなかった。
「お父さんと話せて良かったね」
「はい。お兄様のお陰です。本当にありがとうございました」
そう言って氷菓さんが、僕に向かって頭を下げる。
「まぁ、少しでも、二人が話すきっかけになれたのなら良かったよ」
きっかけ。僕の役割は所詮その程度だろう。おそらく、秋人さんは娘に謝るきっかけが来るのをずっと待っていたのだろう。でなければ、あそこまですんなりと謝罪の言葉を口にする事は出来ないと思う。なので、僕の役割はきっかけ。それで十分だ。
「それにしても、驚きました。お兄様と父が以前にも会ってたなんて」
「僕も驚いたよ。まさか狗城公園で会ったおじさんが、氷菓さんのお父さんだったなんて」
「その時は何を話したんですか?」
「話したというか、ストラップを探したというか……」
「ストラップ?」
僕の言葉に、氷菓さんが小首を傾げる。
「ストラップの紐が切れたみたいで、それを秋人さんが探してたんだ。そこに僕が出くわしてそれを見つけたってわけ」
見つけたと言っても、探し当てたわけではなく服に付いていたのを偶然発見しただけだけど。
「そのストラップはどんな物でした?」
「確か、茶色い筆のやつ、だったかな? でも、なんで?」
「そう、ですか。まだ付けてたんだ、アレ」
「?」
どういう意味だ?
「あのストラップ、私が昔あげた物なんです。小学生の頃、まだ関係がぎくしゃくする前に、誕生日プレゼントで」
僕の疑問を反応から察したのだろう、氷菓さんがすぐにその答えを教えてくれる。
「だから、あんな必死に……」
人から、しかも娘から貰った物を落としたなら、秋人さんのあの必死さにも納得がいく。
内心では相当焦っていただろうな、あの時の秋人さんは。
「ところで、氷菓さんの誕生日っていつなの?」
「私の誕生日ですか? 八月八日です」
「八月……。夏生まれなんだ」
なんか、意外だ。……いや、氷が名前に付いているから瞬間的にそう思ってしまったが、そもそも氷菓とはアイスクリームの事だ。むしろ、夏とは相性がいい。俳句の季語になっているくらいだし。まぁ、あちらの場合、五月から七月で八月は含まれてないけど。
「夏休みか。当日はどこか行ってもいいかもね」
「はい。お兄様とご一緒出来るならどこにでも。なんなら――」
「なんなら?」
「……なんでもありません」
なぜか言いながら、僕とは反対の方を向いてしまう氷菓さん。
「?」
ホント、なんなんだろう?
「夏といったら、花火に海にプールに川……。後、祭りとか?」
そう考えると、夏はイベント目白押しだ。
「祭り、いいですね。桜祭りは一緒に行けなかったので、夏祭りは一緒に行きたいです」
「桜祭りの時はまだ話した事もなかったもんね」
あの頃は、氷菓さんとこんな関係になるなんて考えもしなかった。当然だよな。僕と氷菓さんは月とすっぽん、住む世界が違うとすら思っていた。なのに、今は――
「? どうかしました?」
僕の視線に気付き、氷菓さんが不思議そうな表情をその顔に浮かべる。
「いや、夏が来るのが楽しみだなって」
「その前に期末テストもありますけどね」
「また嫌な事を……」
僕の成績は決して悪くはない。けど、悪くないだけで良くもない。気を抜くと赤点も有り得るかもしれないし、何より氷菓さんの彼氏として情けない成績は取れない。
「テスト前になったら、一緒に勉強しましょうか」
「それはいいね。勉強も楽しく出来そう」
専攻は違うためテスト範囲が違う科目も多くあるが、ただ二人で勉強をするだけでもいい刺激になって捗るはずだ。もちろん、逆効果になる可能性もあるが、僕と氷菓さんなら性格的に大丈夫だろう。
「放課後、図書室でやる?」
「そうですね。平日はそれでいいとして、休日はどこでやりましょう?」
休日。休日か……。
「僕の部屋なんてどう、かな?」
「お兄様の部屋ですか? いいですね。お兄様さえ良ければ、是非そこでお願いします」
言って微笑む氷菓さん。
その姿を見て僕は、内心でほっと胸を撫で下ろす。
もうすでに家には来ているとはいえ、改めて自分の部屋に誘うという行為にはやはり勇気がいる。もちろん、僕に下心なんてものは存在しないが、誘い方によってはそう誤解される恐れもあるわけで……。まぁ、氷菓さんの反応を見る限り、その心配はなさそうで安心した。
そもそも、氷菓さんの中にそういう発想は存在するんだろうか。二人きりの時の呼び方はお兄様だし、前世で兄妹だったと思っている以上、そういう事をしたいとは思わなそう……。
「お兄様」
名前を呼ばれ、手を引かれる。
「こっちです」
どうやら、曲がらなければいけない道を僕は、そのまま通り過ぎようとしていたらしい。それを氷菓さんが、手を引いて止めてくれたのだろう。
「ごめん。ぼっとしてて」
「もう。でも、仕方ないですよね。今日はずっと、緊張しっぱなしだったでしょうから」
「あはは。まぁね」
ぼっとしていた理由はその事と無関係だったけど、訂正して本当の理由を聞かれてもこちらが困るだけなので、あえて訂正はせずに笑って誤魔化す。
握られた手は向こうから解かれる事はなかったため、二人手を繋いでそのまま道を歩く。
「でも正直、父とお兄様がすぐに打ち解けたようで安心しました。娘の父と恋人は揉めるのが常と聞いた事があったので」
「常かどうかは知らないけど、その可能性は高いかもね。年齢を重ねたら、また話は違ってくるのかもしれないけど」
まぁ僕自身は、娘の彼氏と会った事はおろか、娘を持った事すらないので、所詮は聞きかじった知識による想像でしかないわけだが。
「お兄様のお父さんとも早くちゃんと話さないと」
「いいよ、別に。あっちが避けてるんだろ」
息子の彼女と顔を合わせるのが恥ずかしいなんて、子供かよ。気持ちは分からないでもないが、いい年した大人のする事かと聞かれれば首を傾げざるを得ない。
「そういうわけにもいかないですよ。将来的には家族になるわけですし」
「家族?」
その言葉に思わず僕は、きょとんとしてしまう。
意味は分かる。ただ、上手く理解が出来ないだけというか……。
「だって、お兄様と私が結婚したら、義理の親子になるわけでしょ。お父さんと」
「……まぁ」
結婚。その事を全く考えた事がないわけではないが、口にするのさえまだ早い、それは僕達にとって遠い先の行為……。
「その内、機会を作るよ」
「え?」
「父さんと話す機会をさ」
そう遠くない未来に。
「はい。その時を楽しみにしてます」
そう言って微笑む氷菓さんの手を、僕は何かを伝えるようにぎゅっと少し強く握った。




