第11話 雨天/過去
結局、東寺の告白は上手くいかなかったらしい。
ただそう言った奴の顔は清々しく、そこに後悔はないように見えた。
二人の関係は傍から見る限り今まで通りで、少し拍子抜けしたが、まぁ悪くなっていないのなら良かったと素直に思う事にする。
というような事を昼休みに氷菓さんに話したら、「お兄様はお優しいのですね」と言われてしまった。
そういう話なのだろうか? ……そういう話、なのだろうか。
とにかく、少なくとも表面上は今まで通りの幼なじみコンビという事で、僕も一安心だ。
「お待たせしました」
今日も今日とて僕達は、いつもの場所で待ち合わせをして帰宅の途に着く。
廊下を歩き、階段を降り、再び廊下を歩く。昇降口に着くと、靴を履き替えるため下駄箱で氷菓さんとは一旦別れ、校舎の外で合流する。
――雨が降っていた。
教室を出る時までは降っていなかったのに、それなりに強く雨が降っていた。
通り雨……。いや、この強さだと微妙か。
朝確認した今日この時間の降水確率は三十パーセント。雨が降り続く可能性は十分にある。……まぁ、傘は持ってきているから別にいいんだけど。
「氷菓さん、傘は……」
当然持っているものだと思い聞いたのだが、氷菓さんの手には傘らしき物はなかった。
「ないわ」
「折り畳みは?」
「ないわ」
笑顔で言い切られてしまった。
思わず頭を抱える。
これはもしかして、そういう事か? そういう事なのか?
無言で傘を差し、雨の中に一歩踏み出す。
「行こうか……」
「うん」
傘の中に氷菓さんが、嬉しそうに飛び込んでくる。
二人肩を並べて歩く。
いわゆる相合傘というやつだ。
嫌でも周りの視線は僕達に集中する。相合傘をする男女。そして、その内の一人があの高梨氷菓と来れば、周囲の目を引かないわけがない。
僕としては、必要以上に目立つ真似はしたくないのだが……。
「うふふ」
僕の隣で氷菓さんが嬉しそうに笑う。
「何?」
「いいわよね、相合傘。恋人って感じで」
「別に恋人じゃなくてもやるだろ。例えば親子とか友達とか……」
「年頃の男女がやるかしら」
「……。人によるとしか言えないかな」
「私の勝ちね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、氷菓さんが僕に対して勝利宣言をする。
「負けてはないだろ」
精々、旗色が悪くなって程度の話で、恋愛感情を持っていない年頃の男女が相合傘をしないという結論に今の会話で至ったわけではない。……少数かもしれないが。
「照れ隠し?」
「なっ。そんなわけ……」
図星を突かれ、僕は思わず動揺を顕わにする。
肩と肩がぶつかりそうな距離で、こんな美少女と同じ傘の下にいるのだ。動揺しない方がどうかしている。
しかも、氷菓さんからはどことなくいい匂いが漂ってきており、嗅覚の面からも僕は精神的な揺さぶりを受けている。これは旗色が悪いどころの話ではない。敗戦濃厚、白旗寸前、一触即発。……いや、一体何が爆発するっていうんだ。僕の理性か? 僕の理性の話か? とにかく、マズイ事に変わりはなかった。
高校の敷地を出ると、周りを歩く生徒の数は少しずつ減っていく。
とはいえ、最寄り駅に向かっているのだからその減少割合はそれなりで、決して極端に減る事はない。まぁ、校外に出た途端、こちらに向く視線は激減したので、実際に見られている感覚はほとんどないのだが……。
結局のところ、僕の自意識過剰、なのだろう。見られている見られていないに関わらず、周囲に他の生徒がいるだけで気になる。まったく、我ながら困ったものだ。
「ふぅー」
「ひゃっ」
突然、耳に息を掛けられ、つい変な声を出してしまう。
幸い、雨音に掻き消され、こちらに目をやったのは数人。その視線もすぐに外れた。
「何するんだよ」
「ぼっとしてたから」
僕の文句に、特に悪びれた様子もなく氷菓さんがそう言う。
「だからって、変な事するなよ。びっくりするだろ」
心臓が止まったらどうしてくれるんだ。
「別に、やり返してくれてもいいのよ」
「するか」
そんな事をしたら、それこそ注目の的だ。今更な気もするが、制服着用時に自ら目立つ真似はしたくない。私服の時ならいいかと問われれば、まぁうんと答える他ない。
「それより、肩、濡れてる」
「え? あぁ……」
言われてそちらに目をやると、確かに氷菓さんとは反対側の方がしっとり濡れていた。
「いいよ、これくらい」
「よくないわよ。ほら」
そう言って、氷菓さんが強引に僕の腕に抱きつくように自身の腕を絡めてきた。
「ちょっ」
「暴れない」
僕の僅かばかりの抵抗を制し、氷菓さんがより強く僕の腕をホールドする。
これ以上抵抗すると傘がぶれるため、僕は氷菓さんの言葉に素直に従い、大人しくされるがまま彼女の言う通りにする。
……もう、どうにでもしてくれ。
「雨は好きよ」
「何、急に?」
「前に聞いたじゃない。雨と晴れどっちが好きかって」
「あぁ」
確かその時、氷菓さんは雨が好きだとは言ったが、理由までは言わなかった。
「それでその理由は?」
「こうして二人で歩けるから」
「なんだそれ」
まるで今思い付いたかのようなその理由に、僕は思わず苦笑を漏らす。
「うふふ」
それに対し氷菓さんは微笑むだけで、言い返す事も茶化す事もしなかった。
その後、駅の外、屋根のある所まで送り届けると、僕はそこで氷菓さんと別れた。
ちなみに、ふと気になり、最寄り駅から家まで傘なしでどうやって帰るのか聞いたところ、鞄に折り畳み傘が入っているからという回答が氷菓さんから返ってきた。
……やはり、持っていたか。持ってないと言った時、やけに即答だったから怪しいと思ったんだよな。折り畳み持っているなら、二人で一つの傘に入る必要なかったと思うのだが……。まぁ、いいけどさ。
「ここ、どこ……?」
辺りを見渡し、僕は呟く。
知らない場所だった。当たり前だ。ここには初めて来たのだ。言ってしまえば、この場所のほとんどが知らない場所であり、もっと言えばこの市のほとんどが知らない場所だった。
日曜日。学校も仕事も休みという事で、僕はお父さんとお母さんに連れられ、家から遠く離れた大きな公園に来ていた。
そこには大きなドラゴンがたくさんいて、その上に乗れたり滑れたりする、そんな夢のような場所だった。
夢のような場所。
だから僕は、遊ぶのに夢中になり過ぎてはぐれてしまった。お父さんとお母さんと。
見知らぬ場所を一人で歩く。
周りに見えるのは木々と芝ばかりで、自分が最初にいた場所からどのくらい移動したかすら分からない。もしかしたら、同じ場所をグルグル回っているだけなのかもしれない。そう思えるくらい、同じような景色がずっと続いていた。
「おとうさん、おかあさん……」
いくら呼ぼうと声は返ってこない。
このまま一生会えないんじゃないか。そんな嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
怖い。助けて。誰か。
「え?」
瞬間、天地が引っくり返った。そして、背中からどこかに激突する。
「っ!」
痛い。
もう、なんだって言うんだ。今日は踏んだり蹴ったりの一日だ。こんな事になるなら、公園になんて来ず、家にこもっていた方が何倍もマシだった。帰りたい、家に。
「大丈夫?」
声のした方に視線を向けると――
天使がいた。
白いワンピースに身を包んだ、可愛らしい女の子。
年は僕と同じくらい。髪は黒く長い。そして可愛い。大事な事なので、二回言った。それぐらい可愛かった、目の前の女の子は。
「あの……」
僕が何も答えなかったからだろう、女の子が更に心配そうに眉を下げる。
「え? あ、ごめん。大丈夫」
嘘ではない。下が芝だったためか、痛みは最初の一回だけでその後は然程感じなかった。
「よっ」
女の子を安心させようと、僕は必要以上に大げさな動きで起き上がる。
「ほら、平気」
「ホント? 良かった……」
僕の様子を見て、女の子がほっと胸を撫で下ろす。
体に付いた汚れを払う。
完全には綺麗にならなかったが、どうせ今日は汚れてもいい服で来ているし、これぐらい別にいいだろう。
「君は?」
芝をある程度払い終えたところで、改めて女の子と向き合う。
「あ、私は****です」
「僕は海野晃樹。よろしく」
女の子が名乗ったので、僕もそれに倣って自分の名前を告げる。
見た目通りの可愛らしい名前だ。
「****ちゃんはどうしてここに?」
「私は……お父さんとお母さんとはぐれちゃって」
口にして思い出したのか、****ちゃんの瞳に見る見る涙が溜まっていく。
「僕と一緒だ」
「え?」
「僕もはぐれちゃったんだ、家族と」
言って、僕はにぃっと笑う。****ちゃんを安心させるために。
「あなたも……?」
「そう。仲間。だから、一緒に探そ」
「うん」
頷き、****ちゃんが涙の溜まった瞳のまま、嬉しそうに笑う。
「そういえば、気になってたんだけど、それ」
そう言って僕は、****ちゃんの手にある白い傘を指差す。
「これがどうかした?」
「もしかして、今日って雨降る?」
「うん。天気予報見てこなかったの?」
「……見てこなかった」
言われてみれば、お母さんが人数分の傘を持っていたような……。ぼんやりとした記憶なので確かではないが、多分、きっと、間違いない、はず。
「行こうか」
「うん」
****ちゃんに声を掛け、肩を並べ歩き出す。
これから雨が降るというのなら、少しは急いだ方がいいだろう。
「晃樹君はさ、私の事初めて見た時なんて思った」
「え? 天使かなって」
後は、可愛い。
「何それ」
笑われてしまった。
けど、悪い気はしない。****ちゃんが相手だからだろうか。
「晃樹君もその、格好いいと思う、よ」
「ホント? ありがとう」
お世辞でも嬉しい。
可愛い上に性格までいいなんて、どんな完璧人間だ、この子は。やっぱり、天使? 天使なのか?
「な、何?」
僕の視線に気付き、****ちゃんが戸惑いの声を上げる。
「いや、本当に背中に羽根生えてないのかなって」
「……もう。羽根なんて生えてるわけないでしょ。晃樹君って、実はお調子者?」
そう言いつつも、****ちゃんはどこか楽しげで、どこか嬉しそうだった。
歩けども歩けども似たような場所が続く。先程と同じ展開。だけど、今度は先程と違い、不安は感じない。今は二人だから。一人じゃないから。
「あ、雨」
立ち止まり、****ちゃんが空を見上げ、言う。
それに釣られ、僕も立ち止まり空を見上げる。
確かに、雨粒がぽつぽつと落ち始めてきていた。小雨。傘を差すか差さないか悩むくらいの、そんな雨量だ。
「?」
視界が急に白い何かで遮られる。
隣を見ると、傘を差した****ちゃんが立っていた。
「濡れちゃうから……」
「ありがとう」
恥ずかしそうに言う****ちゃんに、僕は笑顔でそう返す。
「あの、私達って……」
「ん?」
「なんでもありません……」
なんだろう? 気になるけど、無理に聞き出すのも違う気がするし――
「早く見つかるといいね。お父さんとお母さん」
結局、僕は全然違う話を振った。
「うん」
そして僕達は、二人で一つの傘に入り歩き出す。当てもなく、すぐにお互いの両親が見つかると信じて。




