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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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覚悟を決めました

(アスミさんがすでに亡くなっている? 何で、どうして。なら、警視庁で会った婦警の片平さんとアスミさんは別人?)


 琴の疑問は、篠崎の言葉によってすぐに解消された。


「忘れもしねえぜ。捜査一課の元エース阿澄清隆あすみきよたか……神立と共に俺の親友を追いつめ、神立の目の前で撃たれておっ死んだ野郎よ! そりゃあ、奴にとっては悪夢にうなされるくらいに大事なんじゃねえか? だから阿澄刑事の命日であり、親友が捕まった日の今日を選んでやったんだ!」


「そんな……」


(じゃあ、レイくんがカレンダーに『アスミさん』って書いていたのは、今日が阿澄刑事の命日だから……? あんなにも苦しみながら焦がれるように『アスミさん』と呼んでいたのは、阿澄刑事がもう二度とこの世には戻らないことを知っていたから……?)


 阿澄刑事が撃たれた場面を、悪夢として見ていたのだろうか。


 それに、二年前ということは、レイが孤独な瞳をするようになった時期と被っている。ならば、レイがあんな瞳をするようになったのは、阿澄を目の前で殺されてしまったからということか。


(それなのに私、勘違いしてレイくんに何てことを……!)


 ひどいことを言ってしまった。レイに。彼はどんな思いで、琴が『アスミ』と口にするのを聞いていたのだろう。


 レイのためを思ったつもりの独りよがりで、彼の心をナイフで刺してしまった。胸が痛い。後悔で押し潰されそうだ。きっとまた、優しいレイを傷つけた。


 俯く琴の髪を引っ張り上げ、篠崎は促した。


「さあ、分かったら命乞いをしろ。カメラに向かって神立レイへ呼びかけるんだ」


 囚われた時からずっと我慢していた涙が、レイへの後悔により、堰を切ったように溢れる。死への恐怖よりも、彼を傷つけてしまったことが辛くて琴は泣いた。


「それとも、神立レイのせいでこんな目に遭っていると恨み事でも叫ぶか?」


 篠崎の言葉に、琴は激しく首を横に振る。怖い目に遭っているのはレイのせいではない。悪いのは職務をまっとうしたレイを逆恨みし、凶行に走った眼前の男だ。


(それに私に、レイくんに助けてもらう資格なんてない……)


 胸の痛みがせり上がってきてぐっと喉が詰まる。嗚咽混じりに、琴は口を開いた。


「レイくん……ごめん、勘違いして傷つけてごめんね……。守ろうとしてくれてたのに……それから……」


 カメラを睨みつけ、琴は意を決し叫んだ。


「絶対に殺人犯を釈放しないで!」


 殺人犯を野放しになんてできない。琴は思った。レイと阿澄が、国民を守るために命がけで捕まえた殺人犯が釈放されたら、また罪のない命が奪われるかもしれないのだから。


「でも、私も命を諦めたりしない……!」


 助けてもらう資格なんてない。でも、レイに直接謝らずに殺されていくのも卑怯だと琴は思った。目の前で大切な人が殺される痛みを味わったレイに、また身近な人間が殺されるのを目撃させる苦痛を味わわせるなんて、できない。


「何を強がってやがる! 震えてるくせに!」


 憤激した篠崎は、真っ赤になって琴に殴りかかった。


「きゃ……っ」


 力いっぱい殴られたことで、頬が熱い。口内が切れ、鉄の味が広がった。体勢を崩したが、鉄柱に繋がれているため転ぶことはなく、手錠が手首に食いこんで血が滲んだ。


「お前は怯えて、助けを求めてりゃいいんだよ!!」


 怒鳴る篠崎に、琴は口から血を流しながら「そんな必要ないもん」と笑った。


(ああ、私、もう昔みたいに純粋な心は持ってないと思ってた。でも、やっぱり変わらないものもある。――――子供の頃からずっと、レイくんは正義のヒーローだって、信じてる)


「……あれだけレイくんを傷つけた私が、もうレイくんに大切な存在と思われてなくても……それでもレイくんはきっと助けにきてくれるもの。無神経で独りよがりで、空回って一人相撲して勝手に傷つくような私でも、レイくんは私が謝るチャンスをきっとくれる……。もし私に失望していたって、レイくんは、正義のヒーローだもん! あんたみたいな犯罪者を逃したりしない! あんたを捕まえに必ずここに来てくれる! 私の……私が世界一大好きなレイくんは、そういう人だもん!」


 篠崎が再び手を振り上げる。琴は、レイのことを思えば、何度殴られたって平気だと思った。







 同時刻。警視庁捜査一課では、篠崎から送られてきたタブレットの周りに捜査員が集まり、琴が叫んだ言葉を耳にしていた。


 琴の居場所を探るため捜査員が関東周辺の地図を広げる中、捜査員の一人は肝を抜かれたように呟いた。


「普通の女子高生なのに、大人だって怯えるような局面でなんて肝の据わった子だ……。いや、よっぽど神立さんを信頼しているのか……」


 その言葉に、広報課から様子を見に来ていた片平はそっと目を伏せた。それから、諦めたようにその場を後にした。


「……勝ち目なんて、私にはない、か……」


 その言葉を残して。


「神立くん、拳から血が出てるぞ」


 タブレットに映る拘束された琴の姿を、爪が食いこむほど拳を固く握って見つめていたレイは、上司である警部に言われ顔を上げた。


「あんな風に、全幅の信頼をおいてくれる存在は、僕には琴しかいません。僕も捜索に加わります。何かあれば情報を」


「ハードディスクからデータを抜き取って発信元を割りだす手は使えんのか?」


「奴は映像を見る以外の操作が無効になるプログラムを施行しています。一度解体し、二度と映像が見られなくなったら……」


「宮前琴の安否が確認できなくなる、か」


 レイの言葉を、警部は引き継いだ。上の人間は犯人の要求を飲むことも視野に入れているようだ。レイの顔には焦燥の色が滲む。


 警部は眉間を押さえて言った。


「やはりしらみ潰しに怪しい場所を探るしかあるまい……いや……」


 警部が視線を落としたタブレットの画面の向こうでは、篠崎が照明をつけていた。


「待て、神立くん。宮前琴が何か言っているぞ」


 レイは再びタブレットを覗きこむ。琴の口から発せられた言葉を聞いたレイは目の色を変え、急いで捜査範囲を特定のエリアに絞るよう指示を飛ばした。


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